カスピ海の怪物?地面効果翼機 エクラノプランとは?

旧ソ連が生み出した「エクラノプラン」と言う一風変わった兵器が実在するのですが、その印象を表現するならば1970年台の日本のSFアニメや、イギリスの人気作品・サンダーバードにでも登場しそうな形状です。
この「エクラノプラン」基本的には超低空を飛行する航空機に分類されるのですが、活動が想定されていたエリアはカスピ海等の水上であり、用途的には船舶に近いと言える為、国際法的にもその範疇に収まるとみなされています。

但しほとんど実用化されていない為、こうした国際法上の扱いが適切か否かと言う点も含めてそれを規定する事は甚だ困難な代物であるのですが、世界の一部では今後も開発が行われているとの情報も散見されてるのです。

かつて旧ソ連を中核とする東側陣営とアメリカを中心とする西側陣営とが対峙した冷戦時には、旧ソ連の「エクラノプラン」のひとつ「KM」の存在を確認したアメリカのCIAはこれを「カスピ海の怪物」と呼んで警戒していました。
それはその使途不明な物体が旧ソ連の恐るべき秘密兵器かもしれないと訝しんだ故の事で、当時の世相を色濃く反映したエピソードとなっているのですが、最近この意外な再利用が伝えられ話題を呼んでいるのです。

目次

「エクラノプラン」の開発とその概要

旧ソ連が「エクラノプラン」の開発に着手したのは第二次世界大戦最中の1940年台にまで遡り、そこから10余年を経た1961年にCM-1として初飛行に成功、これは全長約20メートル、全幅約10メートル程のサイズだったのです。
「エクラノプラン」は物理学上の地面効果を応用した地面効果翼機であり、概ね平坦な地形の地上若しくは水上を極めて低高度で飛行するもので、高速性と積載性を両立させる意図を持って開発されました。

CM-1の開発を担ったのは船舶の高速化を目指して水中翼船を手掛けていた旧ソ連軍の部署であり、この事からも「エクラノプラン」は船舶の用途の延長線上からそのコンセプトが導き出されたと見て良いでしょう。
翌1962年には改良型のCM-2が完成し、時の旧ソ連の指導者フルシチョフにその初飛行が披露されてお墨付きが得られた事で開発は加速、SM-5まで進むが1964年に同機は墜落による死亡事故に見舞われてしまうのです。

それでも「エクラノプラン」の開発は継続され、1966年に全長92メートル、最大積載重量は540トンにも達する大型のKMが完成、その速度は巡行で時速400キロメートル以上を記録しています。
このKMの存在は翌1967年には軍事用人工衛星によってアメリカのCIAに捉えられたものの、当時の西側陣営には地面効果翼機の知識が薄く、用途も不明瞭だった事から「カスピ海の怪物」と言う異名で知られるようになりました。

以後1972年には全長31メートル、全幅14.8メートルの中型の「エクラノプラン」がA-90オルリョーノクとして完成、更に1987年には全長73.8メートル、全幅44メートルのルーニ型を世に出すに至った。
このルー二型は巡航速度で時速500キロメートル以上を記録すると同時に、上部に3M80モスキート対艦ミサイルを6発搭載した重武装が特徴であり、当時の旧ソ連の脅威を具現化した存在だと言えるのです。

現実的には著しく実用性に欠けていたと思しき「エクラノプラン」

「エクラノプラン」はこれまで紹介してきたように航空機の高速性と船舶の積載性の両立を図った兵器として開発が進められ、加えて燃費に関しても高効率で更に超低空を移動する事からレーダーにも捕捉されにくいと喧伝されました。
これらのメリットを挙げウスチノフ国防相の庇護の元で「エクラノプラン」の計画は推進され、中型のA-90オルリョーノク120機を旧ソ連海軍へ導入する予定で進められたものの、後に30機に削減されています。

但し即中止とはならなかったとは言え「エクラノプラン」の生産には強度的に不足な船舶用のアルミ合金しか与えられず、これが元で慢性的なトラブルを抱えた事や設計通りの積載量を確保出来ない事が明らかとなって行きます。
そして最も致命的な「エクラノプラン」の欠陥は、その特異な形状故に通常の船舶用とは別に専用の停泊用施設が運用には必須だった事であり、これを整備する財政的な基盤が旧ソ連にはなく、本格運用は絵に描いた餅でした。
そのため最大の推進者であったウスチノフ国防相が1985年に世を去ると「エクラノプラン」の開発計画は事実上終焉を迎え、結果A-90オルリョーノク3機とルーニ型1機が配備されたのみであったのです。

Fred Schaerli, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

観光資源として蘇る?「エクラノプラン」

結局第二次世界大戦時から数えて約半世紀の時間を費やし、旧ソ連で実用化されたのはA-90オルリョーノク3機とルーニ型1機のみだった「エクラノプラン」ですが、同国の崩壊以前に有用性が無いと判断された結果だと言えます。
そんな歴史の陰に埋もれて忘れ去られて行く運命だった筈の「エクラノプラン」が、再び世界の注目を集めたのは2020年7月の事であって、唯一現存していたルーニ型1機がその活動領域であったカスピ海を移動したのでした。

このルーニ型1機はカスピ艦隊のカスピースク基地に配備されたまま放置され朽ち果てていくのみかと思われていたのですが、現ロシアを構成する1国のダゲスタン共和国のデルベントに曳航され、その巨体に注目が集まったのです。
ダゲスタン共和国のデルベントにはパトリオットパークと言う公園を整備中であり、ここでルーニ型1機は観光用の資源として展示される事が決定されたようで、其れに向けた整備作業が進めれていると言います。

このパトリオットパークは旧ソ連・現ロシアと続く軍事関連装備を展示する場所であり、博物館としての側面とレジャー施設としての側面を持ち、ロシアの観光資源としてルーニ型を再利用する方向のよう。
因みに現ロシアの首都モスクワのロシア海軍博物館にも、A-90オルリョーノクが保存・展示されており、デルベントのパトリオットパークはその意味では2つ目の「エクラノプラン」展示場所となりそうです。

今も一部で続く「エクラノプラン」の末裔たちの開発

実用性に乏しいとしか言いようのない「エクラノプラン」ですが、今でもその後継とも言えるものは細々とではあるが命脈を保っており、現ロシアでRadarMMS社製の「チャイカ」と呼ばれるシリーズが製造されています。

1970年代から開発が始められたと言う「チャイカ」最新型がインドへの輸出も検討されていると言い、同国とロシアとが共同開発した超音速巡航ミサイルである「ブラモス」を兵装として搭載する可能性も示唆されています。
またシンガポールのウィジェットワークス社は「エアフィッシュ-8」と呼称する「エクラノプラン」を開発しており、アメリカのフライングシップ・カンパニー社でも研究・開発が進められていると言うのです。

観光産業どころかロシア自体の今後も不透明化

2022年2月24日に大方の世界中の予想を裏ってウクライナへの軍事侵攻を強行したロシアは、この戦いが如何なる結末を迎えるにせよ、基本的には西側諸国との断絶を自ら選択した事になるでしょう。

「エクラノプラン」を観光資源としてダゲスタン共和国のデルベントのパトリオットパークに据える計画は、その予算はもとより、そもそも今後の同地への観光客誘致すらロシア国内も疲弊し困難となる事が予想されます。
そんな状況を鑑みれば、今後西側諸国で「エクラノプラン」が顧みられる可能性は限りなく低く、パトリオットパークの計画自体が頓挫してしまい再び放置される光景が目に浮かんでくるのでした。

歴史に翻弄される「エクラノプラン」、これからどうなっていくのでしょうか?

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