京都府東山区にある「安井金比羅宮」。
縁結び・縁切り神社として有名なその場所、これはお参りに行った体験を元に、神の「縁切り」に関して考察していきます。
縁切り体験
昔が勤めていた会社に、自分だけを目の敵にする上司がいた。成果は横取り、ミスは押しつけ、意見を言えば罵倒が返ってくる。他の社員は自分に被害が及ぶのを嫌がり見て見ぬふりで、到底さばき切れない程の仕事を割り振られ、日付を跨いでも帰れない日もあった。
一応第一志望の職種だったし、他の同僚や先輩は上司がいない場では労わってくれた事もあって、仕事を辞めたいとは思っていなかったが・・・ただ・・・あの上司さえいなければ。
神経が擦り減り限界を迎えたある日、地元の安井金比羅宮を訪れた。関西では強力な縁切りの神社として有名な神社なのだ。
事前に調べた手順でお参りをし、一心不乱に「上司と金輪際関わらずに済むようにしてほしい」と願った。
すると数日後、激務からふらついてしまい、階段から落ちて足首を骨折、数か月入院することになったのだ。
これから大きな取引を控えていたのに・・・上司と顔を合わせずに済む「縁切り」とはこういう事か!?と、ベッドの上で憤慨していると、数日後に同僚が見舞いがてら近況報告に来てくれた。
いわく、例の大きな取引は、私の後を引き継ぐ形で件の上司が請け負った。便宜上上司の直属の部下であったから、道理といえば然り。しかしほぼ全ての業務工程を私に押し付けていた普段からすれば、上司にまともな後続の仕事などできるはずもない。
会社をあげて重要視していた取引先相手に致して犯したミスは、存続も危ぶまれる程責任の重いもので、結果、私の足が治る頃には上司と顔を合わせる機会どころか、部署ごと無くなってしまっていたのだった。
復帰した後、私のいままでの仕事自体が評価されてたようで、部署が無くなった会社に残るのではなく、実質、引き抜かれて同業へ転職。おかげで現在は今回についての蟠りを感じる事なく、さらにはホワイトな環境で働いている。
しかし「自分が縁切りを願ったばかりに同僚まで職場を失った」と気が滅入っていた時期もあったが、元同僚たちは全員無事に別の部署へ配置転換や転職し、以前より環境が良くなったと聞いて、気を持ち直した。
だが、風の噂で例の上司は一年以上経っても再就職できずにふらふらとしているらしい。
縁切り神の裁量
今回の経験から考察しますと安井金比羅宮に限らず、神の行う「縁切り」は強力なのですが存外雑把なのではないでしょうか?調べていくと、周りを巻き込んでしまうというケースは多々あるようです。
当人が本当に切りたいと願う「縁」を、周囲の様々な縁ごと切ってしまうのだと感じます。つまりは、神側から見た一個人の人間に対する解像度は、人間から見た蟻に近いのではないかと。我々人間だって、よほどの興味が無ければ足元の蟻を個体ごとに識別することはまずないですよね。そして蟻に水分不足で悩んでいると訴えられれば、蟻が溺れる可能性には頭を回さず巣にじょうろで水を注ぐのではないでしょうか?
参拝する人間の縁を根こそぎ切る神の心境は、これに近しいのかもしれないと思います。
ダイエット(脂肪との縁切りという解釈?)を願った参拝者が、不治の病に倒れて衰弱しやつれる形で体重を落とした、という話もあります。比べるのは無粋ですが、結果的に私個人や知人が無事に済んだ方ではないかとすら思えます。
神に縁切りを願う際の注意点は「願いを詳細に伝える事」だと思います。
切りたい縁と切られては困る縁を明確にして、縁切りと縁結びを祈願する。縁切りの神は良くも悪くも律儀だから、ちゃんと伝われば望み通り悪縁は断ち切れるでしょう。
縁切りを願う際に借りる神の力とは、元より我々人間には到底扱いきれる代物ではないのだと、念頭に置いておくのが必要そうです。
※画像はイメージです。
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