穢多、非人の真実!

歴史の教科書では、江戸時代の身分制度は「士農工商」その下に穢多、非人と教わりましたよね。
現在では、そうじゃなかった、どうも武士が身分制度の上で、その下に町人である士農工商が同じランク、穢多、非人はその下ではなくて、枠外とされていたと教えているそうです。
ちなみに、天皇、公家、神官とかお坊さん、学者や医者も枠外、武士が支配していたので武士以外はっきりきまってない、ということになるみたいです。

目次

封建時代と身分制度

封建時代というのは、身分制度で縛って人間を支配していたので、現代から思えば理解不能なことが多いです。
知り合いの年配女性なんか、昔は「士族」で先祖は侍だったから自分も偉いと勘違いしてましたが、脳内はテレビの時代劇のレベルで、武士の子孫らしいところなどひとつもなく、自己愛が強い単なるせこケチでした(苦笑)。

それはいいとして、実際は侍階級だって、将軍をピラミッドの頂点に、ランク付けがされてたんですよね。
例えば「坂の上の雲」には、秋山好古が東京で下宿していた元旗本のお嬢さんと結婚したとき、松山藩士の家柄の秋山のことをお嫁さんは、「陪臣の家に嫁ぐなんて、清水の舞台から飛び降りる気持ちだった」と言ったとありました。

明治になっても直参旗本のお嬢様は、エリート陸軍軍人に向かってすら、地方大名の家来の家柄と下に見てたのかと思いました。

穢多、非人

ところで、穢多、非人というと、いわれなき偏見で差別を受けた人々として、取り上げたら気の毒だとか思いますよね。
私も最近知ったのですが、よくよく調べてみると、この固定観念ががらっと覆るのです。
そもそもは、日本は昔から神道の影響で、「穢れ」を嫌っていたために、死、病気、お産、動物、罪人とか処刑、汚物や血などに関わる仕事をする人も穢れているとしていました。

そういう仕事をする人たちが、穢多と呼ばれていたのです。
それに非人は、古くは弥生時代、奴隷や降伏した敵が朝廷のための下働きなどと引き換えに許されたのが始まりという説もあって、追放された犯罪者、ハンセン氏病など不治の病で追放された人、寺や神社の下働きから歩き巫女、大道芸人となったりした人。

そしていわゆる浮浪の民、河原に住むと無税だったから河原に住んだ「河原者」という人たちで、皮革加工業者、井戸掘り、能や歌舞伎役者、行商や、造園に携わる人たちもいたのです。

昔は仏教の影響で、肉食をしなかったし、動物の死体を扱う(と殺は禁止で、農耕に使った死んだ牛馬らしです)職業が、穢れているとされたのですが、
この皮革工業は、東北に技術がなかったので、関西方面から皮革生産者の穢多の技術集団をスカウトして領国に定住させた大名がいたという話もあるくらいで、かなりの特殊技術を持っていたわけなんです。

彼らの技術

彼らの技術は、博物館に飾られている芸術品のような鎧兜、馬具などとして残っています。
また、井戸掘りや石垣作り、造園なども、重労働だからか、穢れた仕事とされたのですが、今に残る京都の銀閣寺の庭とかを作った「善阿弥」は河原者として差別されていたけれど、将軍足利義政が重用したことで有名です。

それに戦国時代はあちこちで大きな城が作られ、石垣や井戸の技術が必要とされ、ひっぱりだこだったはずです。
現在、発掘調査が進んで、城郭考古学の先生がテレビですごいすごいと解説してくださるのは、まさに彼らが作った石垣や堀の跡だし、外国人観光客が殺到する京都の名庭園も彼らの作品です。
それに能や歌舞伎など、日本の伝統文化として世界に名が通っているものはほとんどが彼らが作ったと言っても過言じゃないほどなんですよ。

そういうわけで、穢れを扱う、扱う人も穢れている、と見なされ差別されたのはひどい、偏見をやめようと言うのは当たり前ですが、時代がコロッと変わってしまっている現代、当時の価値観、衛生状態などから穢れとか差別の理由と、すでに現在の価値観とはかけ離れているということをきちんと教えることからやってほしいです。

そして現在も残っている彼らの業績を博物館や城跡、名庭園できちんと穢多、非人が作ったと説明することで、人の嫌がる仕事をやってきたなんて立派だ、それに差別されてここまですごい仕事を残すなんて、なんてすごい人たちなんだと、逆に尊敬の対象になると思うのです。

そもそも、昔は細かい技術を要したり、手足を汚す仕事は卑しいと言われて、手工業などの技術者の地位が低かったのですが、現代では日本の手工業の技術や丁寧な仕事ぶりが世界的に認められている、この違いも大きいのではないでしょうか。

忍者

その証拠に、現在、世界的に人気のある「忍者」。
忍者は、実際に活躍している時代は、正規の武士とは身分が違う、卑しい存在だったのです。

乱破とか素破とかいわれて、正攻法で戦う武士と違い、夜討ち朝駆けとか待ち伏せとか不意打ちとかのゲリラ戦法、それに毒を使ったり暗殺とかも得意中の得意、江戸時代に作られた忍術の本には、心理分析とか薬草なども載っていていろいろな技術を持っていることがわかります。

昔は得体のしれない存在として、武士の仲間に入れてもらえなかったし、雇われてもやっすい報酬だったので、
「誰にも名前を知られないのが優秀な忍者で、誰も真相を知らないが○○を暗殺したのは自分、歴史変えたったで」と、
ひとりで暗い喜びに浸っている暗い存在だったみたいです。

その忍者が、いまや世界中の憧れのヒーローとなったのは、やっぱり技術を尊び、情報や人が考え付かない作戦を実行できる斬新さが認められる現代、身分制度が厳しい封建時代の価値観が激変したからではないでしょうか。

豊臣秀吉

もうひとつ、あの有名な日本の英雄が非人出身だということをきちんと教えることも必要でしょう。
豊臣秀吉は、尾張中村の出身ですが、母が碗や盆などを作って売り歩く漂泊民の居住地だった御器所村の出身で、秀吉の義兄の弥介は織田家の鷹匠の助手で鷹の生餌を担当、伯父は清洲の行商人ということです(これは非人の仕事なんですって)。
なので、秀吉は都市部の賤民たちが暮らす地域の生まれと言われるのです。

また、秀吉は10代で継父竹阿弥とけんかして家出し、各地を放浪したのちに尾張に帰って来て信長に仕えたのですが、当時、農民が田畑を耕さず勝手に家出したら罪に問われるので、平然と帰って来れないのですね。
秀吉が何も処罰されなかったということは、浮浪の民すなわち非人であった証拠ということです。

秀吉には、墨俣城を一夜で作ったとか、色々な情報を集めて信長に重用されたのが出世のもとでしたが、武士ではない階層出身の柔軟な考え方や、放浪して得た知識や経験を生かしてのし上がったのは間違いないでしょう。
日本では徳川家康よりも人気があり天下統一をした英雄の秀吉が、差別された階級出身と教えられれば、歴史ファンでなくても目が覚めるような気がするのではないか、秀吉の出世がさらに輝く気がします。

そういうわけで

そういうわけで、現代においては、封建時代の身分制度の厳格さを察するよりも、実際に博物館やお寺、城跡で伝統芸術を見る方が、はるかに簡単で意義があることではと思うのです。
穢多、非人、孤高の技術集団、日本の伝統文化を作った人たちとして、忍者の次のヒーローになりそうな予感すらするのですが・・・。

※画像はイメージです。

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