今だから読んで欲しい!新谷かおる先生の「ファントム無頼」

F-4EJ、通称「ファントム」と呼ばれるその重量感たっぷりな強面の戦闘機は、1950年代初頭に設計され、50年代半ばに原型機が初飛行、その汎用性の広さから様々なシリーズが作られ、世界各国で長い間使用されてきました。
ことにベトナム戦争で米軍が使用していた歴史と戦績が良く知られていますが、それも1960年代から終戦の1975年ということで、今からざっと半世紀ほど前に活躍していた戦闘機です。
日本には1966年にF-86Fの後継機種として選定、輸入したのちに、三菱重工のライセンス生産により調達されていました。

その後、F-15、支援戦闘機のF-1、そしてF-2が飛ぶ時代になっても、今なおファントムは現役で日本の空を守り続けているのです。

ファントム無頼

「ファントム無頼」は、連載開始が1978年(~1984年)。
ベトナム戦争は終了していましたが、東西冷戦後の危ういバランスの端っこに日本が載っているような時代でした。

主人公は航空自衛隊百里基地、第7航空団第305飛行隊に所属する神田鉄雄と栗原宏美(ひろよし)という二人の若手パイロットたち。
作中の階級はニ尉(二等空尉)ということで、恐らくは20代後半と思われます。
神田はファントムの操縦に関しては他の追随を許さない能力を持っており、ゴリラ並みの体力と揶揄されながらも野生の勘で数々の危機的状況を切り抜けていきます。
また、栗原は頭脳明晰なイケメンで、一見その線の細さと優し気な物腰に侮られがちではありますが、神田と対等に渡り合ってるだけのことはあり、最強のナビゲーターとしてコンビを組むようになります。

F-4ファントムは複座の戦闘機です。前席が操縦士、後席がナビゲーターと役割を分けているのです。
現在航空自衛隊に存在している複座の航空機の殆どは教育・訓練用のものであり、実戦に出ている戦闘機はF-15、F-2ともに単座となっています。

そんなファントムに乗る「神栗コンビ」はある意味完璧な一対であり、その乗機である680号機と共に恐れられ、米軍にもその存在を知られるほどになっていくのです。

この物語の最大の魅力はファントムを飛ばしている個性豊かなキャラクター達です。
神田・栗原は独身であり、いろんな意味で捨て身のようなところがありますが、それと対照的な既婚者&子持ちコンビ(西川ニ尉・水沢ニ尉)がいたり。
基地司令の太田空将補は副指令の矢瀬一佐と二人で、神栗コンビが何かやらかす度に胃に穴を開けそうになるほどのストレスを感じながらも全面的にバックアップしてその背中を押しているし、ベテランの整備班長今井一曹はまるでファントムを生き物のように扱いながらも神田らの良き理解者でもあり、互いに強い信頼関係を結んでいます。

時代背景

この時代(昭和50年代)は、今とは違った意味で混とんとした時代でもありました。
ロシアはまだソ連であり、神田らがファントムを駆ってスクランブルに出ていく対象のほとんどがソ連機、ウラジオストックからベトナムに向かう定期便があったり、北海道から太平洋側に出て南下、時には津軽海峡を横断し、そして引き返していく『東京急行(TOKYO EXPRESS)』と呼ばれていた偵察飛行(挑発行為?)が珍しくなかったのです。

また、世紀になった今でも、自衛隊は男性が圧倒的多数の組織です。
この作中、ほとんど唯一の女性自衛官が、神田に憧れる少女として登場した横山久美子空士長でした。
彼女が目指していた戦闘機のパイロットという職業は、作品から30数年を経て、今年ようやく本当に登場したのです(とはいえファントムではなく、F-15イーグルでしたが)。
誤解を恐れずに言えば___『ファントム無頼』が描かれたのは…男が男らしく、そして女たちがそれを陰で支えながらもたくましく生きていた、そんな時代でした。

数々の事故やトラブルに見舞われながらもその持ち前の操縦技術と判断力で切り抜けてきた神田・栗原たちの姿は大変魅力的であり、リアルタイムでこの作品を読んで憧れを抱き航空自衛隊を目指した若者たちが、操縦士としてファントムと共に生き、その先達の世代が既に退役している、という事実があります。
それだけの人々の人生に影響を与えた作品として、ある意味『レジェンド』ともいえますね。

作中で、神田・栗原は何度かベイルアウトや墜落の危機に見舞われています。
愛機の680号機も、もう間もなく用廃になる、という時期に彼らを守るようにして墜落していきました。
この作品の中に登場するファントムたちは皆『生き物』のようであり、操縦士たちも、整備士たちも、皆がファントムにはまさに生命があるかのようにとらえているのです。
そんな物語は、実際に航空自衛隊に勤務した経験を持つ原作者の史村翔氏の経験や思いと、それらを温めて紙面に描き出すことができる新谷かおる先生の絵によって、より一層熱いものとして読者の心を打ち、強烈な記憶として残っているのです。

みどころ

連載開始から40年。
今なお日本の空を飛ぶファントムはSNSで『ファントムおじいちゃん』などと親しみを込めて呼ばれています。
しかし、改修を重ねたとはいえ、40年を超える年数を耐え抜き現役で飛んでいる、というのはミラクルとしか言いようがありません。

そういえば、作中に登場するブルーインパルスの機体は初代のF-86Fでした。
現在はその後の機種変更でT-2からT-4と二世代の交代を経ています。

ファントム自体は、レーダーや火器管制などの電子機器はどんどん新しいものになっており、日本ならではのきめの細かい技術による整備と、操縦教育を重ねた結果として、F-15が主力戦闘機となり、F-2が導入され、今またF-35が選定された時代でもなお、ファントムは現役で日本の防空の一翼を担っているのですが___。

この作品の中では、F-15が導入されるというタイミングで、神田がその訓練を受けるというシーンもあったのです。
しかし、彼は自らそのチャンスを手放して百里に戻ってきます。
勿体ない、と言う栗原に『でもあれ、単座機(シングル)だろ?背中が寒くてな』と言い、自分はファントムライダーなのだと、その飛び方を再確認したように語るのでした。

また、時代を象徴する登場人物がいます。
定年を目前にした整備班長の今井は、太平洋戦争当時の整備兵の生き残りでした。
戦中、百里から多くの戦闘機を送り出していた…など、作中で何度かその当時のエピソードが語られています。
復刻したゼロ戦を神田が飛ばし、その性能の素晴らしさを体感している、というシーンもありました。
これらは、恐らく原作者の史村翔氏の体験から作り出された物語なのでしょう。
彼が、中卒で自衛隊生徒として入隊した頃、自衛隊としても黎明期の昭和30年代、現場にいたのは旧軍の生き残りの世代であり、鉄拳制裁も当たり前…良くも悪くも、その“時代の生き証人”らによって訓練され、組織を形作っていたのだそうです。

新谷かおる先生とサンデー

作画を担当された新谷かおる先生もまた、太平洋戦争当時のゼロ戦などをモチーフにした作品を沢山描かれていた松本零士氏の愛弟子であり、『飛行機ならなんでも大好き』ということで『ファントムを描いて欲しい』というオファーを受けたのだそうです。
ただ、自衛隊の組織を緻密に描くのではなく、ファントムとともに、そこに生きる人々を描くのだということ。
命がけで空を飛び、戦っている彼らを描くのだということ___そこにコメディの要素も入れて、エンタメとしての価値も見出して行く、その結果として、こんな名作が出来上がったのです。

この作品が描かれている当時、こんな風に自衛官の日常を描いている作品は他には見当たらなかったと記憶しています。
増刊とはいえ、少年サンデーの紙面で掲載されていた、というのは凄いことだったはずです。

また、当時の人気の一端を表すエピソードとして、これが実話のように感じていたファンがおり、百里基地の305飛行隊に『神田さん、いらっしゃいますか?』と電話をかけてきた人がいたそうです。
それに対して『ああ、今ちょっと飛んでますねぇ…伝言があったら承りますよ』と答えた隊員さんがいたのだとか。
今のようにSNS全盛ですぐに情報を検索できるような時代ではなかったからこそのほのぼのした“伝説”です。

そんな神栗コンビも、実年齢を考えるともう恐らく60代後半。
彼らが無事に定年退官してくれているはずと信じている今、ファントムもあと二年で日本の空から完全に退役することになりました。

世代交代は、たとえそれが戦闘機であったとしても寂しいものですが…日本の「ファントムおじいちゃん」が『一度も実戦を経験しない』ままにその役目を終えられますように、と、ファンとしては祈らずにいられないのです。

(C) ファントム無頼 史村 翔 新谷 かおる 小学館/週刊少年サンデー

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