今やアメリカ海軍の大型原子力航空母艦の艦載機にも、所謂第5世代世代戦闘機と呼ばれるロッキード・マーチン社のF-35ライトニングⅡC型が2010年からの実戦配備を受けて次第に増加しつつある。
それでもこれまで艦上戦闘機として配備されているF/A-18スーパーホーネットとの併用は今しばらく継続される見込みで、その同機の息の長さには時代の要請と敵の戦力に対するバランスの重要さを再認識させられる。
しかしそうした取得を始め運用までも含めた費用面を抜きにして考えるならば、未だアメリカ海軍の航空母艦艦載機の名機として多くの人々の脳裏に焼き付いているのはF-14トムキャットではないだろうか。
1986年にトム・クルーズの主演で人気を博した映画「トップガン」でも余りにも有名なこのF-14トムキャットは、数多のアメリカ海軍の艦載機の中、何と言っても可変翼と言うギミックが今も記憶に新しい。
2022年には続編である映画「トップガン・マーベリック」も公開され、今も尚人気の劣えないF-14トムキャットについて、その歴史や性能等について今回は取り上げて見たいと思う。
開発後は順調とは言い難かったF-14
F-14トムキャットはこちらもアメリカを代表する名機として知られ、日本の航空自衛隊でも採用されていたF-4ファントムⅡを代替する機体として、当時のグラマン社が1960年代から開発を始めた。
この時代のアメリカ海軍は航空母艦の艦載機としてF-4ファントムⅡやF-8 クルセイダーを運用していたが、旧ソ連との冷戦構造の激化でそれらを上回る性能の機体を配備する必要があるとの判断を下した。
後の1991年の旧ソ連の崩壊後にはこの当時のアメリカが危惧した程には、旧ソ連の航空機の性能は高度では無かったと判明したのだが、冷戦の最中では必要以上に警戒心を抱いていたと言えるだろう。
1967年にアメリカ海軍の新型の航空母艦艦載機の入札を落札したグラマン社は、1969年にF-14トムキャットの最終案の了承を得て1970年末には初飛行させ、合計で13機の試作機を製造した。
そして1973年にはF-14トムキャットの実戦配備が行われたが、この年はオイルショックが世界を襲った為にグランマン社は売却額を超える製造コストを負担せざるを得なくなり、経営危機に直面する。
これについてはアメリカ海軍も調達価格を最終的には引き上げたものの、同年にはアメリカはベトナム戦争から手を引く決断を下し、それもあって高コストなF-14トムキャットは更なる悲運に見舞われる。
それはアメリカ海軍が当初予定の調達機数722機を478機まで大幅に下げた事で、1974年に当時パーレビ王朝であったイランがオイル・マネーによってF-14トムキャットの導入を決めたが穴埋めには遠かった。
そのイラン・パーレビ王朝も1979年のイラン革命で崩壊、今に続く反アメリカ主義を掲げたイスラム国家となった為、F-14トムキャットの輸出総数も79機で打ち切られる運命を辿った。
F-14トムキャットの概要
F-14は基本型のA形の場合、複座で全長が18.78メートル、全幅が最大19.55メートル、最小10.15メートル、全高が4.88メートル、空虚重量が17,322kg、最高速度約マッハ2.34、航続距離2,500km以上を誇る。
当初のF-14トムキャットはプラット&ホイットニー社製のTF-30P-412と言うターボファン・エンジン2基を搭載していたが、機体の重量に対しては非力とされ、後の1987年以後にゼネラル・エレクトリック社製のF110な換装された。
このゼネラル・エレクトリック社製のF110エンジンを搭載した事でF-14トムキャットは動力性能を高め、最大の特徴でもある20度から68度まで可動する可変翼と相まって非常に高度な機動性を獲得した。
F-14の可変翼はコンピュータ制御の全自動であり、急加速時や巡航時に最大の68度まで後退させ空気抵抗を減らし、旋回や着陸などの低速時に20度まで開く事で小回りと安定性を両立させている。
兵装についてF-14トムキャットで特筆すべきは、同機での運用の為だけに開発された大型の空対空ミサイル・AIM-54フェニックスで、射程処理は200kmを超え、最大で6発を胴体と主翼下に懸架する事が出来た。
この空対空ミサイル・AIM-54フェニックスを運用可能とするべく、F-14トムキャットはその射程に対応した高性能な火器管制レーダー・AN/AWG-9が搭載されており、長距離での空対空戦闘能力を付与されている。
こうした空対空戦闘能力を付与された理由は、旧ソ連のアメリカ海軍の航空母艦への対抗策が爆撃機による空対艦ミサイルの飽和攻撃だった為であり、それらを攻撃前に要撃するコンセプトから生み出された。
これらの兵装の確実な運用を行う為にF-14トムキャットは複座形式を採用しており、後席の搭乗者はその操作、前席の搭乗者は機体の操縦に専念するという役割を担う事が前提で設計されている。
F-14には派生型として、機関部をゼネラル・エレクトリック社製のF110-GE-400に換装したB型や、レーダーをAN/APG-71へと換装したD型等があるが、F/A-18が1983年から配備され限定的な数に留まった。
計画のみであればスーパートムキャット21、アタック・スーパートムキャット21など数々の派生型が構想されたが、時代は単価が安く整備性にも優れたF/A-18に流れ、何れも実用化される事はなかった。
実戦におけるF-14トムキャット
F-14トムキャットの実戦における初の戦果は、1981年8月に地中海に展開したアメリカ海軍の航空母艦「ニミッツ」の艦載機2機がリビア空軍所属のSu-22M2機を同海シドラ湾上空でAIM-9空対空ミサイルによって各々撃墜した事である。
この戦闘では先にリビア空軍のSu-22MがAA-2空対空ミサイルをF-14トムキャットに向けて放ったとされるが、これを回避して逆にそれらを撃墜しており、機動性と攻撃の正確さを証明する戦闘となった。
また8年後の1989年1月にも奇しくも同じシドラ湾上空でリビア空軍のMiG-23ML2機とF-14トムキャット2機は対峙し、ここでもAIM-7及びAIM-9空対空ミサイルを用いてそれら2機を撃墜する戦果を挙げている。
1991年に生起した湾岸戦争に際してもF-14トムキャットは投入されたが、この時の敵であるイラク空軍は1980~1988年にかけてイラン空軍のF-14トムキャットに苦戦を強いられた経験から交戦を避けたと言う。
その為湾岸戦争においてF-14トムキャットは敵戦闘機を撃墜する事はなく、逆に1機をイラク軍の地対空ミサイルによって撃墜されており、またこれ以後の複数の戦いでは戦闘爆撃機として空爆での使用が主となった。
アメリカ軍におけるF-14トムキャットの最後の実戦投入は2003年のイラク戦争であり、やはり精密誘導爆弾による空爆に威力を発揮したが、その3年後の2006年9月にはF/A-18スーパーホーネットに置き換えられ全機が退役となった。
因みにイラン空軍は未だかつて調達したF-14トムキャットに独自の近代化改修を施して延命させており、79機調達したうちの62機を少なくとも2030年までは稼働させるものと考えられている。
F-14トムキャットの人気の理由はやはり絵になるそのか可変翼
今に至るも数多ある戦闘機の中でも、ここまでF-14トムキャットが高い人気を維持しているのは、強力なレーダーや空対空兵装は無論の事、やはり何と言っても可変翼と言う絵になるギミック故だろう。
そうした中で当時アメリカ以外の国で唯一F-14トムキャットを採用し今も稼働させているイラク空軍は、F-15イーグルと比して同兵装でも長射程、機動性と汎用性、そして操作性も上回ると判断したと言われている。
しかしF-15イーグルが商業的にも大きな成功を収め、第4世代戦闘機としては史上最強の制空戦闘機と言われ、未だEX等のバージョンアップが行われている事と比べれば、F-14トムキャットは不遇な機体かも知れない。
ここまで高性能で且つ人気の高い機体となったF-14トムキャットだが、当時も含めグラマン社としては同機が商業的な成功とは無縁だった事は、実に皮肉な巡り合わせと言ってもよいのかも知れない。
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