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永遠の翼 F-4ファントム を読んだ

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F-4EJ、通称“ファントム”は長らく日本の空を守ってきた主力戦闘機であり、その座をF-15に譲り渡してからも共に防空の任についてきました。
もともとは1950年代にアメリカで開発され、日本ではF-86Fの後継機種として1966年に選定、1974年に輸入開始、三菱重工業でのライセンス生産もあり、半世紀近くにわたって使い続けられてきたという稀有な機種です。
ベースになっているフレームがとにかく頑丈!

さまざまな改修を重ね、また新しい装備を追加していくことで現在の情勢にも対応できるように、と耐用年数の見直しもされたうえで運用されてきましたが、現在残る飛行隊は2個になり、そのうちの第302飛行隊は2018年度内にF-35Aに機種更新が決定しているため、残すは第301飛行隊のみとなりました。

その歴史の古さから、SNSやファンの間では敬愛を込めて“ファントムじいさん”と呼んでいる人たちもいます。

この本の作者小峯隆生氏は自身が東海大学航空宇宙工学科出身で、かつては航空技術者を目指そうとしていた経歴を持ち、劇画『ファントム無頼』などの影響もあって、ファントムには特別な愛着をもっています。
この『永遠の翼』は、その歴史の最後に、ファントムについて熱く語る人々へのインタビューや現在ファントムを飛ばす任務に携わっている人たちに密着取材を敢行した記録なのです。

目次

ファントムライダーという人種

『蘇る翼F-2B』で松島基地の復興と水没したF-2Bのレストアを指揮した杉山政樹基地司令は、かつてF-4EJを駆って飛ぶパイロット(ファントムライダー)でした。
戦闘機のパイロットは単座機(シングル)か、複座機(タンデム)かに分けられます。
現在はF-15イーグルもF-2も単座になっていますが。
杉山元司令はタンデムであったファントムでの経験が震災時に大きく役立ったのだ、と言います。

アイコンタクトが出来ない環境下で、いかに意思の疎通を図るか。
短く正確に正しく判断できる情報を与え、受け止め合わなければならない、そのためのコミュニケーション術が磨かれていった、というのです。
さらに、被災した松島基地の現場で、そして東京の防衛省との折衝で、長い職歴の中で培ってきた人間関係が大いに役立ったのだと。
本書を書きたいと杉山氏に申し出た著者に、杉山氏が即座に紹介したのが、兄でありファントムライダーとして先輩の杉山良行航空幕僚長でした。

本書には、こうしたさまざまな『縁』が書かれています。
ファントムは、金属の塊ではなく、何某かの『魂』が宿った存在である、と思わせてくれる所以です。

長い運用期間の中で、多くのパイロットを育て、日本の空を守り、しかし一度も実戦を経験していない、そんなファントムを語るということは、そのまま携わっている人々を語ることになるのです。

日本における「ファントム」

警察予備隊から自衛隊になり、F-86F、F-104と装備が充実してきたころに配備されたファントムはF-15イーグルに主力戦闘機の座を引き渡すまでの間のみならず、現在もなお防空の任にあり続けていることがその性能とパワーが優れている証だと言えるでしょう。
往時は北から南まで日本列島をカバーする6飛行隊、および偵察航空隊(第501飛行隊)がありましたが、戦闘機部隊は第302飛行隊、第301飛行隊を残すのみとなっています。
その第301飛行隊も2020年をめどにF-35へと機種変更が決定しており、ファントムの長い歴史にもエンドラインが確実にひかれているのだということが解ります。
そんな状況もあってか、近年、ファントムへの人気が再燃しており、スペシャルマーキングを追いかけるファンたちも熱心に活動しています。

F-15、そしてF-2といった単座の戦闘機と比べると、二倍の人材を載せている複座の強みがあり、同じ性能なら勝てる!と言い切るファントムライダーもいます。
その練成は、後席でナビゲーションを習熟し、前席へ移る、つまり前席は師匠、そして教官だというのです。
コクピットの中で、声と言葉で情報をやり取りし一機を二人で飛ばす。
日本のファントムは、まさに『人』とともにあり続けている、そんな航空機です。

『ファントム無頼』とリアル・ファントムライダーズ

今のように自衛隊がメディアの材料になることなど夢のようだった昭和の時代に、奇跡的に存在したマンガ作品がありました。
『ファントム無頼』です。
1978年から1984年まで『週刊少年サンデー増刊号』で連載されていたこの作品は、航空自衛隊百里基地を舞台にした天才的なパイロットとナビゲーターのコンビを主人公にして描かれています。
神田鉄雄ニ尉と栗原宏美ニ尉は、恐らく当時20代。
彼らと同年配、そして中高生などマンガを読んでいた世代で大きく影響を受けて自衛隊・戦闘機パイロットを目指していた人たちがいたのだ、と言うことが良く解ります。
なぜなら、本書でインタビューを受けた現役・OB含む数多くのファントムライダーたちが大ファンだと公言して憚らないからです。
前述の杉山政樹基地司令、そして杉山良行空幕長の兄弟も同様です。
実際に空を飛べる資質を持つ人は限られていますが、それ以外にもこの作品を読んで空自に入隊した、という人は数知れません。
また、同様にこの作品から空に興味を持ち、航空機を作る側として三菱重工業やIHI(石川島播磨重工業)などにその活路を見出した人々は優れた技術者として運用を支えていったのです。

まだネットも、パソコンすらもなく、情報が限られていた時代には、こうした媒体がとても貴重だったのだと実感します。

ヒーローものではなく、実際に命懸けで日本を守るために働いている人たちがいる、と言うのは、リアル以上に胸に残るものが多かったのです。
その時、そこに夢を見出して手を伸ばし、つかんだ人たちが本当にいる、それも少なからず。
当時は『萌』という言葉がまだありませんでしたが、まさにその感情が人生を変えていったのだ、と実感します。

みどころ

本書でも多くのページを割いているのが『ファントム無頼』関連の部分です。
原作者は史村翔さん。
『北斗の拳』では武論尊のペンネームを使っており、この方が一般的には浸透しているかもしれません。

彼は自身が自衛隊出身者(中学卒業後に自衛隊生徒として入隊)であることから、娯楽性を持ちつつもそこで働く人々を実に活き活きと描いています。
彼がそうした作品を世に出したいと願った時に紹介されたのが、新谷かおる氏です。
新谷氏は松本零士氏の愛弟子であり、飛行機なら何でも描きたい!という人でした。
当時は『戦場漫画シリーズ』で第二次大戦の頃の空戦をメインに作品を描いていた時期でしたが、ジェット戦闘機を主軸にした作品は新谷氏にとってはエポックメイキングなものだったそうです。
作品のベースは“娯楽”だけれども、『命がけで日本を守っている人たちがいる』ということを訴えていたのだ、と作り手のお二人は言うのです。

その発表当時、この作品に大きな影響を受けた世代は今50~60代ですが。
今なお養成をうけてファントム(RF-4E)に乗りこむ若者もいます。
偵察航空隊でナビゲーターになったのは26歳の三尉で、彼が最後の一人になるのだそうです。
タックネームは“ルーキー”。
職を辞するその時まで、永遠の『新人』というのは粋なネーミングです。

多くのファントムライダーたちが、本書の中で自らの経験を語っています。
今だから語れる、かなり危険な事案もそのなかに列挙されていました。

ベイルアウトの経験や、スクランブルで“脅威”と対峙したときの話。
そして、硫黄島などで発生する人知を超えた事案など。
生々しい話を聞きだしてくれた著者に感謝したいボリュームとクオリティでした。

ファントムおじいちゃん

さて、“ファントムおじいちゃん”の歴史があと2年で幕を閉じることになった今だからこそ、ここに書き残してくれて『ありがとう』と言いたいことがありました。

1973年5月1日、百里基地のF-4EJ、304号機が鹿島灘沖で原因不明の空中爆発で墜落。
搭乗者の尾崎義弘一佐と阿部正康三佐は殉職されました。
事故発生当時、尾崎一佐のご遺体は発見されず、その12年後(1985年1月)に、その耐Gスーツとご遺体(大腿骨)が漁網に引っかかって回収された、というニュースがあったのです。

今でも、その耐Gスーツは百里基地の第301飛行隊に大切に保管されており、毎朝お茶をお供えしたり、手を合わせたり、と故人の冥福とともに、飛行安全を祈念しているのだそうです。
その遺品は、301SQからファントムが退役するとともにご遺族に返還されることになっているのだとか。

そのご遺族こそ、尾崎義典空将補です。
防衛大学校32期生(昭和40年生まれ)ということで、世代としてはF-15が隆盛を極めていた時期に幼いころに亡くなった父親と同じファントムライダーを目指していた、というのです。
御遺骨が発見されたのは、彼が防衛大の学生だった頃です。
その流れに、大きな運命のようなものを感じます。

データとして、そうしたことがあった、といういろいろな記憶はありましたが。
本書ではそうしたものが多くの人々の言葉として語られ、まとめられています。
著者の小峯氏が『ファントムを書きたい』と取材に取り掛かる時にも、前作『蘇る翼』で縁のあった杉山政樹氏からの人脈が大きく影響していました。

ファントムは金属の塊?

ファントムは、金属の塊ではありましたが。
確実にその機体には魂がこもっているのだと感じさせてくれる、そんな経験談や、今実際に最後のファントムに接して働いている現場の人たちのことが丹念に書かれています。

そして、世界ではもう殆ど飛んでいないファントムに対して欧米など他国の航空ファンらからも注目されている日本の“ファントムおじいちゃん”たち。
その引退のときには広く一般に公開されるイベントがあって欲しい、と望まれているのです。
あと二年。

その日が幸せなものでありますように、と願ってやみません。
実戦を経験することなく、日本のファントムが全て退役するということには、大きな意味があるはずだからです。

(C)永遠の翼 F-4ファントム 小峯隆生 並木書房

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