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創作物から読み取る「恐怖」の解釈

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ある日、家族団らんの時間帯にとあるホラー映画を観る機会があり、鑑賞後に内容とオチに関して興味深い考察が飛び交った。いわゆる主人公を脅かす恐怖への解釈とは。原初的なテーマであるが、初心に帰る思いで紙面を広げる。

映画は旅客機が雪山に墜落するシーンから始まる。重傷の仲間を見捨て生き残った4人の男女が、辿り着いた山中の小屋で恐怖を体験しながら命を落としていく、という内容だった。初見ではないその作品を「初めて観た幼少の頃はひどく怖がったなぁ」と懐かしく観ていると、「結局登場人物たちを殺していったのは誰だったんだ」という疑問が他の家族の間で湧いていた。

目次

小屋の中の5人目の存在

静観していると、どうやら浮上した説は大まかに2種。
「登場人物たちが見捨て、結果死んでしまった5人目の仲間の幽霊説」と「唯一生き残った主人公が実は他の生存者を殺していた説」が真っ向から対立していた。確かに映画の中には、どちらの解釈もできる描写が随所に見て取れた。幽霊説は『小屋の中で憔悴していく登場人物たちが死んだ仲間の亡霊の影に怯えるシーン』を、主人公黒幕説は『記録を残すために起動させていたカメラに、死んだ仲間のスキーウェアを着た主人公が生存者の1人に斧を刺す瞬間が映っていたシーン』を根拠に各々が主張している。


ここで見解を求められたので作中に盛り込まれていた複数の雪山の恐怖体験談に関して補足した。くだんの映画には『スクエア』という雪山で遭難した者たちの体験談の中で語られ広まったとされる降霊術を元にしたシーンがあり、こちらは幽霊説に加担した。一方で登場人物の1人が『仲間を見殺しにした罪悪感から無意識に仲間の遺体を掘り起こしテントに運ぶ登山家の恐怖体験談』を引き合いに出すシーンもあり、こちらは主人公黒幕説に信憑性を与えた。この2極の描写が意図的に含まれているとしたら、視聴した家族の間で起きた論争はきっと作者の思惑通りであり、作者がこの光景を見たならほくそ笑んでいることだろう。

数多ある恐怖の『解釈』

創作物中の解釈の2極化・あるいは多極化は、作中の明確な事象の描写と曖昧に表現されている描写の混在により起きる。
今回挙げた作品中で明確なのは『主人公たちが仲間を1人見殺しにした点』と『見殺しにした仲間に対して罪悪感を覚えている点』。ここを明確に描写することにより、『仲間を見殺しにしたことによって小屋の中での惨劇は起きた』という筋ができる。

曖昧なのは『登場人物たちを殺したのは何者か』という点。先に論点にもなった箇所であり、恐怖の解釈はここで分かれる。作中に様々な要素を盛り込むことで『主人公たちが誰に恐怖していたか』という点の解釈の幅が大きく広がり、結果議論が成り立つほどの解釈が生まれる。

主人公たちに恐怖を与えていた存在を『誰』ではなく『何』と捉えると、作中の恐怖の解釈は上記の2種より広域になる。死んだ仲間の怨嗟か、生存者たちの罪悪感か…という言い方をすれば、斧を振りかぶる凶行に走ったのが幽霊にしろ生身の人間にしろ、主人公たちを密室の中で死に追いやったのは『極限状態の人間から生まれた思念』である、とも言えてしまうのだ。

最も忌み恐怖を抱く対象は?

創作物中の恐怖の解釈は作中のどの要素を取り上げ考察するかに加え、考察する視聴者の経験則も影響を及ぼす。その人物が根底で最も忌み恐怖を抱く対象は『幽霊』か『人間』か、はたまたそれらが向けてくる…自らも抱く『思念』か。

創作物を通し垣間見えた、各個人が抱く『恐怖』への解釈の違いは、初心的で興味深い。紙面が尽きたので筆は一旦置くが、興味が湧いたならぜひそんな視点からも考察・観察してみてほしい。

最近恐怖だったのは手元が狂ってカッターの刃が脇腹を掠った瞬間

※画像はイメージです。

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