今から30数年前。
航空自衛隊には“罰金帖(ばっきんちょう)”というシステムがありました。
久しぶりにその文字を見たのが杉山隆男氏の著書でした。
私がそれを初めて知ったのが1985年頃に放送されたNHK特集「スクランブル 日本の空でいま何が」の映像によるもので「ほとんどの基地には罰金帖が置かれている。スクランブルや訓練の際に犯したミスを自分で申告し、罰金額を決めて反省の材料にするノートである」というナレーションがあったのです。
“罰金帖”の中身
その番組はおそらく日本で初めて航空自衛隊の“スクランブル”を一般に向けて放送したものであったと記憶しています。
場所は、千歳基地のスクランブル待機室。
そのノートの中には・・・・・
「めちゃくちゃミスの多いフライト!!情けない!!・・・・・1,000円」
「進歩無し。だんだん悪くなる・・・・・1,000円」
「牛乳の飲みすぎ。腹痛との闘いであった・・・・・500円」
といった文面が並び、パイロットが日々自問自答している様子が率直に綴られていました。
その後、松島基地、浜松基地の飛行隊で見かけたことがある罰金帖はもっとハードなことや大きい金額が書かれていました。
パイロット一人ひとりがその時直面していた悩みや、反省が赤裸々に綴られていたのです。
教育隊であれば、操縦課程の学生さんたちが感じたことを吐露し、実働部隊であればもっとハードな現状を含む内容があり、多種多様、空の上であった様々な出来事が思い思いに書き込まれ、そのインシデントの深刻さは金額に表れていたものでした。
それは、特に秘密にされているわけでもなく。
飛行隊の共有スペースに無造作に置かれており、私のような部外者が手にとってもとりたてて咎められるようなことはなかったのです。
興味本位で見せてもらったそこには、前述のような内容がいろんな字体で書き込まれており、勿論実名入りであったり、名無しで少し多めの罰金額が書き込まれていたりしていたものでした。
そして、そのノートの側には貯金箱があり。
皆そこに設定した“罰金”を突っ込んでいくのです。
ある一定期間貯めて置けば、その“罰金”は結構な金額になります。
それは部隊毎にイベントの予算に組み込んだり、オフィスのお茶・コーヒー代や歓送迎会の会費の足しにしたり、時にはオリジナルのパッチやグッズを作るというときに使われていたのです。
“罰金”から転じて、皆のお楽しみのために使われることが慣習となっていました。
インシデントの共有
罰金帖のなかに書かれていたことは、多くの場合、自分のミスやヒヤッとしたことでした。
また、自分で書くことをためらっていても、気づいていた教官や先輩が書いて金額も設定する、ということもあったと、杉山隆男氏は著書の中で書いています。
そうした手書きの情報の蓄積は、とても大きな意義があったのだ、と空自のOBの方がおっしゃいました。
現在でも、フライトで何某か問題があれば、その記録は残るはずですが。
それは厳重に管理され、閲覧できる人間は限られてきます。
検索することは可能でしょうが、それは事象の記録であり、生々しさは大きく削れてブラッシュアップされたものになるはずです。
しかし、かつての罰金帖は、とても素朴なシステムで、ノートを開けば皆が苦労していたあれこれや、実際に危機的状況一歩手間なことまでが書かれていたこともあったようです。
そこには、その部隊で飛んでいる人たちの生の姿がありました。
性格や癖、それぞれの為人、時には人間関係やバディの相性なども透けて見えることもあったようです。
だからこそ、皆がそのノートを日々ぱらぱらとめくり、自らも書き、そして周囲の皆の書き込みを読むことで、日常的に情報が自然にいきわたる、とてもシンプルなシステムだったのです。
自らもファントムライダーであったOB氏曰く。
「電子辞書でピンポイントに単語を調べるのと、紙の辞書でその単語だけでなく前後や隣のページにあるイディオムまで何となく眺めているうちに覚えて理解する、というのに似てる感じ」とのこと。
いつでも任意で書いて読めるアナログな資料だったからこそ、大きな意味を持っていたのだと彼は言うのです。
罰金帖の隠れた問題
そんな罰金帖のシステムも、時代の流れでどの飛行隊も撤去するようになったようです。
理由の一つは“情報の保全”です。
自衛隊の訓練やスクランブルは、“秘”のかたまりです。
そこに「誰が」、「いつ」、「どこで」といった極めてパーソナルな部分までが判読できるノートはとても危うい情報の塊になってしまったのだとか。
それまでは不文律で皆が当たり前に使っているものも、新しい規則ができてしまうとそれにそぐわない場合は排除せざるを得なくなる、ということで、次第に飛行隊の共有スペースから、罰金帖は撤去されてしまったのだそうです。
もう一つは“お金”
罰金帖の運用について、もう一つ問題視されたのが“罰金”の存在でした。
前述の通り、皆で貯めたお金は部隊で何かするときの予備費のように運用されてきました。
皆で何かの記念に揃いのスペシャルパッチやマグカップなどのグッズを作る資金に使うこともありました。
何処の職場でも、こうした“集金”はあるでしょう。
しかし、問題はそれが“ペナルティ”で集められたこと。
帳簿に付けられない微妙な意味合いのお金は好ましくないという意味もあったようです。
民間であれば、それほど杓子定規に捉えなくても良いのではないかと考えますが。
実際そんな理由もあって、“罰金帖”というシステムは方々の飛行隊から消えてしまったようです。
変わりゆく時代のなかで
昭和から平成になって、随分と航空自衛隊を取り巻く情勢は大きく変わりました。
政権政党の方針によって、さまざまな事柄が変わり、現在に至ります。
良い方向に変わったことが多い中で、役所として杓子定規にばっさりと“仕分け”されてしまったなかに、こんなシステムまでが引っかかるとは思いませんでした。
空自OBの方も「そうか、罰金帖、無くなっちゃったのかぁ」と残念そうでしたが。
これもまた時代の流れですね。
彼の孫の世代が操縦課程の学生として入ってくる令和の時代、それだけの時間が流れて、自衛隊の装備も、システムも、人も大きく変わったのです。
しかし、日々無意識にしていただろうインシデントの共有は続けて欲しいな、とも。
「“罰金帖”は、ある意味“命を守るノート”だったかもしれないからね」。
※写真はイメージです。
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