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第三帝国の威厳、要塞として造られた高射砲塔の行方

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第二次世界大戦時。
ドイツ軍は戦略上において重要拠点となる都市群に設置した対空地防衛施設がありました。
それが高射砲塔です。

第二次世界大戦の最大の要である兵器は航空兵器でした。戦争の記録を紐解けば、戦闘機や爆撃機などの活躍が数多に挙げられます。

空を制す事が戦略上もっとも重要だった時代。
それゆえに対空防御は必ずと言って良い程、都市防衛構想の基本としてあげられていました。

目次

高射砲塔とは

当時は各国が一番熱を入れ研究していた議題でもありました。
その中でも世界有数の大国であった第三帝国は、都市地形による防空体制の研究を進めていました。

航空機や爆撃機に対する攻撃手段である高射砲の配備を進めましたが、密集した都市において効率性のある砲陣地の構築は多数必要となってしまいました。その構築の為の莫大な予算と人、また部隊配置は不可能とされ、これを解決するために防衛陣地である要塞の構築が企画されたのです。

それが高射砲塔です。

さて高射砲塔とは街のどの建物よりも大きな高層建築物であり、その上部または中部に高射砲と機関砲が多数に設置されました。
効率的広範囲の射角を確保し、都市部に攻め入る敵航空機や歩兵に機動部隊から防空防地体制を効率よく行う為に制作され、都市の中心部に建造されていきました。
高さは30m以上と、当時にとっては非常に建築が困難な分厚い鉄筋コンクリートの工法が使用されている高射砲塔。

なんでこんなにも頑丈に作られてしまったのか?

Bundesarchiv, Bild 183-J16840 / CC-BY-SA 3.0 [CC BY-SA 3.0 de], ウィキメディア・コモンズ経由

それは無数の爆撃機による絨毯爆撃にも耐えれることを想定され建築されたからです。

また対空防御の要となるレーダーや指揮装置を備え、また砲撃の衝撃波などのレーダーの干渉を避ける為の設置され、通信線用のトンネルと豪華絢爛の連結構築されたその要塞は、別名巨人の城とも言われていました。

でも実際のところ……戦時下においてはそれなりの活躍は期待されてはいませんでした。
それは連合国ことアメリカ軍の豊富な資源と物資による、兵站の差によって、高射砲塔の防衛力は圧倒されてしまっていました。

空を無数に覆うアメリカ軍の爆撃機。
多数の高射砲や機関砲を持つも、連合軍ことアメリカ軍の圧倒的な物量の前には、その防衛力は無力に等しかったのです。

都市の絶対的な防衛手段とはならずに、連合軍による都市部の空爆を許してしまいます。
しかも大戦末期ともなれば、高射砲塔を活かす為の砲弾や人員の確保も難しく、都市の絶対的な防御兵器としての活躍がそがれてしまいます。

そして第二次世界大戦後期

連合国軍はドイツ国内の全制空権掌握に成功し、都市防衛は事実上不可能となってしまいました。
その為に、高射砲塔は第二次世界大戦の記録では、その活躍は全くと言って良い程に記載されてはいません。

また大戦末期においては長期戦を覚悟したような構造の高射砲塔も建造され、民間人用の避難場所や市街戦時に要塞として長期戦出来るように自家発電機に貯水槽など設置され、文字通りの最後の要塞として造られたものまであります。

ですが、その活躍の無く、どちらかと言えば無用の長物として扱われてしまっていました。

ならば地上戦においては絶対の要塞となる筈と、僅かながらの希望と構想で構築はされていましたが、連合軍の圧倒的な侵攻の前に、高射砲塔は廃棄されてしまい、また無視され、重要拠点へと進軍されてしまう等と、活躍する機会はなかったのです。

ですが唯一の戦闘記録として残っているのがあります。
ソビエト軍のベルリン市街戦時、その際に要塞として使用されましたが、何の皮肉なのか、その高射砲塔は初期に建造された、高射砲塔でした。
建造された当初は、まさかこんな事になるとはと夢にも思わなかった唯一の活躍も虚しく、第三帝国は滅亡し、戦争は終結します。

高射砲塔のその後

戦後、高射砲塔はどのようになったのかと言えば、爆破されたり、解体されたりとしましたが、解体は容易ではありませんでした。

まずあまりにも頑丈だった為に、簡単に解体する事が難しく、また解体するには莫大な費用がかさむために、当時の敗戦で負債を抱え過ぎたドイツには全てを撤去する事は出来ませんでした。

支配され、占領された国々も解体や撤去に頭を悩まし、迷惑な置き土産として扱われていきます。

それゆえに戦後においては放送局かスタジオとして利用され、はたまた音楽学校にナイトクラブとして使われるなど、それなりの活用方法が見出されていきました。

作者 flamenc (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 3.0], ウィキメディア・コモンズ経由

その見た目の強固さ故に建造された高射砲塔。
支配した占領地または第三帝国のの偉大さを示す為のモニュメントとして建造され、支配の象徴として大陸全土に高射砲塔を打ち建てていく計画があったかもしれません。
でもその願いもむなしく、その象徴はかつての強者が夢の跡として、後の歴史に刻まれてしまい、平和な時代にそうような形で支配する筈の都市一部となったそれは、ある意味幸せなのかもしれませんね。

またアーレンベルクには、高射砲塔が美術関係として保存所されており、今もなおもその姿を見る事ができるとも言われています。
もしヨーロッパ旅行をするなら、一度覗いてみるのも良いかも♪

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