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フジミ模型の空母「大鳳」の思い出

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今から半世紀ぐらい前の1970年代初頭。帝国海軍の空母のプラモデルは「信濃」しかなかった時代、突如としてフジミ模型が1/700の空母「大鳳」のプラモデルを発売しました。

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フジミ模型「大鳳」の思い出

嬉しかったですねえ、信じられませんでしたねえ!
モーターライズで走行するキットで、飛行甲板上の特定の飛行機を横に回転させるとスイッチが入る仕組みだったと記憶しています。

半塗装という贅沢キットで、船体の吃水線より下が赤、上がアメリカ海軍の軍艦職に近い、白っぽいグレーだったと思います。その為、素組みして出来上がったモデルは艦首がエンクローズド・バウであることも手伝って、日本の空母というよりアメリカかイギリスの空母っていう感じでしたね。

大鳳は帝国海軍の他の空母と違って、艦首と飛行甲板が一体化しているエンクローズド・バウを唯一採用した船でしたので、艦橋が大きい事とも相まって外観が異国の空母の様に見えてしまいます。

横綱大鵬と空母大鳳

ところで当時、相撲界のスーパースターだった横綱の大鵬が引退。1971年5月の出来事でした。
その頃は、各家庭に白黒テレビに代わってカラーテレビが定着しつつあった時代。
プロ野球ジャイアンツの長島さん、王さんと併せて、横綱・大鵬の活躍はお茶の間の話題をさらっていた。
大鵬の引退は、国民に一抹の寂しさを感じさせたのは言うまでもありません。

空母大鳳のモデルは、そんなご時世に発売されたのでした。フジミ模型が大鵬の引退を惜しんで空母大鳳のモデルを世に出したのでは?
その真意の程は分かりませんが、多分、「軍モノオタクの思い込みの激しさ」ってやつでしょうね。
でも当時は今と違ってプラモデルは子供から大人とおくからまで多くのファンを獲得し、それなりにモノを言う文化を形成しておりました。

大袈裟かもしれませんが、プラモデルメーカーが世の機運を盛り上げてやろうと、躍起になるという事があったとしても不思議ではなさそうです。現に、この後すぐにタミヤ模型の呼びかけで、静岡の四大メーカーが提携してウオーターラインシリーズが発足します。

平和憲法を持つ日本が、再び軍国主義に走るのでは?
学生による安保闘争が全国各地で起こり、どこか混沌とした雰囲気が漂う時代でしたね。

1980年代後半の頃

さて、時代は下って1980年代の後半、フジミ模型はかの大鳳のプラモデルの復刻版を発売しました。
社会人になって数年が過ぎたころの私は、故郷を離れ、東京で仕事をしておりました。プラモデル趣味は相変わらず続いており、復刻版の大鳳は実に懐かしかったですねえ。

奇遇にも、それから少し経って仕事中に大鵬親方を遠くから見た事があったんですよ。
両国ではなく水道橋付近だったと思うのですが、着物姿の大柄な体躯で横断歩道を堂々と渡っておられたので、多分間違いはない筈です。
後継の育成に日々いそしんでおられる事だろうと、ある種のときめきを伴って私はウクライナ出身の凛々しいかんばせを眺めておりました。
空母大鳳の復刻版、そして大鵬親方との出会い。

これは大砲をぶっ放すがごとく、仕事の上で何か大きな成果が挙げられる吉祥ではないかとリキんでみましたが、残念ながら何もありませんでしたねえ。
思い込みってやつでした~。

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