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天の浮舟UFO説の誤解

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『竹内文書』に拠ると、神武天皇から連なる天皇家は、どこかしらのタイミングで世界の宗教や文明の源流になっているという。

このために必要になったのが、移動する能力である。
彼らは、「天の浮舟(あめのうきふね)」と呼ばれる飛行機械を使ったという。
宇宙の彼方「天日国」から飛来する時にも利用されたという、一種の宇宙船であったという。
さて、この話、妙なところがあるとは思わないだろうか。

目次

偽書上等

前提知識として知るべきは、この竹内文書が「皇祖皇太神宮天津教」という新興宗教の聖典である、という事実である。

偽書とされるが、歴史的事実とぴったり一致する聖典など、どの宗教を探してもありはしない。
著者や語り部が霊感を受け、その内容を記したのであれば、神話や聖典と呼んで差し支えないだろう。
多少盛って欠かれていたとしても、教団スタートアップ時、権威付けのため、多少の嘘を混ぜる事はあるだろう。会社だって、出来もしない企業理念を掲げる。

この聖典によれば、天皇一族つまり「神」は、パワフルな存在であり、技術的に優れているが故に世界に影響を与え、あらゆるものの源流となった。
ここまでは良い。常識的聖典の範疇だ。
だが、天の浮舟、これはどうしたものだろう。
神々の力が人間より遥かに優れたものだとして、宇宙から来たというのは飛躍しすぎている。

神話の飛行装置とUFO

飛行装置について描かれる神話は数多い。
ギリシャ神話においてアポロンはチャリオットで空を駈け、ダイダロスは翼を作った。ナタ(ナタク)は風火二輪で飛び、ソロモン王は絨毯、臼で飛ぶ魔女もいれば、橇で飛ぶ聖人もいる。
それ自体は飛ばないが、ナスカの地上絵のように、上空からの視点をイメージさせる建造物も存在する。

 これらの存在のうち、いくつかを異星人の宇宙船の意味の「UFO」と同一視する考えがある。
日本書紀に描かれる天磐船は、恐らく天の浮舟の元ネタと考えられるが、高天原から降りる為に利用したとも、天の川を進む船ともいわれる。
日本しか見えない高天原の高度は、宇宙の高さには足りないかも知れないが、天の川を「渡って来られる」なら光年単位の距離を航行していそうだ。

奥多摩でオタマジャクシを調教しよう

1つ考えて欲しいのだが、仮に飛行能力を持つ乗り物があったとして、それが必ず宇宙に辿り着けるだろうか。

物による。

その通りである。
ジェット機で宇宙には行けない。
一方、ロケット構造であれば、弾道ミサイルの時点で宇宙に出る。
神話に描かれる乗り物のうち、重力そのものを操っているかのような飛び方なら、時間かかかってもいつかは宇宙まで辿り着く事が可能だろう。

問題はここからだ。
神はどれほどの速さで、どれほどの距離を動けるのだろうか。
天の川を渡るというなら、数百、数千光年を数時間で移動するレベルではないか。
常識的な飛行速度の組は、ここで脱落する。
話は、超光速に突入する。
全知全能の面々は、距離は関係ない。だが乗り物も必要ないだろう。
そうでない神は、光速の壁を破るか、移動時間の壁に耐える必要がある。

光速の壁を破る場合、物理学的な常識を突破する事になる。
それはつまり、現実世界の法則が適用されない、多次元的存在になっている状態だ。
こうなると、現実世界の人間が、コミュニケーションを取るべき相手に見えているかが怪しくなってくる。

移動時間の壁を耐えるならどうだろう。すなわち、そこそこの速度で数千年、数万年という旅をするのだ。
人間なら気の遠くなる時間を、宇宙船で移動する。
一体何のため?
自分が誕生した星を捨てて?
途中の数億という星をスルーして?
辿り着いた先で、現地の猿を相手に神の真似事をする。

そのメンタリティはおかしくないだろうか。
人間で言うなら、休日に半日かけて奥多摩に行き、オタマジャクシに芸を仕込むようなものだ。
彼が行くべきはカウンセリングか転職相談であって、奥多摩ではない。

勝負はジョーカー抜きで

結論から言えば、空を飛ぶという部分から、いきなり宇宙に結びつけるのはナンボ何でも飛躍し過ぎである。

わざわざ宇宙の彼方からやって来る事はない。
突然変異的に知能の高い個体が人間に現れた、それで良い。
その天才は、鳥を見て飛行機械を閃いたのだ。

飛行機械が作れる訳がないというのは現代人の思い上がりである。
最初の飛行機は、自転車屋と印刷屋の手作りだ。勿論、自転車も印刷の活字も、最初は人の手が作ったものだ。
人間は、ホモ・サピエンスになって以降、生物種としての進化はしていない。
最高の時計職人と同程度の器用さを持つ個体は、原始人の中に既にいる。

すなわち、機械よりも正確な機械を作る手は既にある。
ならば「神」の命令で、空飛ぶ機械が作られたところで何の問題もない。
だが、属人的な技術は、伝承されずに廃れていくのは常だ。
結果として、一代で技術は失われ、多くの形にならなかったアイデアも消えて行く。
これによって「飛行機械神話」は、それぞれの神話に織り込まれたのではなかろうか。

ここに、宇宙人というワイルドカードを足さなければ、筋の通る説明にならないのは、どうにも雑な仕事ではないか。
何しろこの「宇宙人」は万能で、意図も提唱者の思いのままなのだ。
最短距離の合理的な説明に収斂するのは、科学もオカルトも同様であろう。
世界はあくまでシンプルなものの組み合わせなのだ。

※画像はイメージです。

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