映画「Fukushima50」

日本が未曽有の震災に見舞われた2011年、3月11日。
現代日本がこれまでに経験したことのない規模の津波によって、東京電力福島第一原子力発電所は壊滅的な被害を受けました。

SBO(Station Black Out)手元を照らす灯すら乏しい中で、原発内に残った技術者たちは懸命に瓦解しそうな発電機と対峙していたのです。
終わりの見えない危機的状況、メルトダウンと水素爆発が起こる中で、自身の生命をかけて戦った彼らのことを、のちにFukushima50と呼称するようになりました。

この映画は、若松節郎監督が作り出したエンターテインメントです。
ドキュメンタリーではありません。しかし、そのなかに浮かび上がった“魂”は本物だと感じました。

あらすじ

福島県はその日、震度6強という強烈な揺れに見舞われました。
海を間近に望む場所にあった原子炉、その傍にあるサービス建屋に当直長の伊崎(佐藤浩市)がいました。
彼らはあらかじめ決められた通りの手順を遵守して非常時の対応を始めていたのです。

その頃、署長の吉田(渡辺謙)は内陸側の免震棟で中央に被害報告を始めていた頃、津波警報が発令・・・退避の指示が飛び、作業員たちが駆け出した直後に、10mの防波堤を超える巨大な津波が襲いました。
濁流にのみ込まれる車や機材の中、かろうじて避難した作業員たち。

しかし、その波は非常用のディーゼル発電機を呑み込み、原発を管理すべき施設の全ては沈黙してしまったのです。
「このままでは“チャイナシンドローム”が起こる!」
古い映画のタイトルになった隠語、原子炉のメルトダウン、高温の核燃料が炉外に漏れ出すメルトスルーを予感するその言葉に震える伊崎たち。

最悪の事態を防ぐための戦いはすでに始まっていたのです。

福島は、どうなってしまうのですか…?

震度6強の地震で大きな被害を受けた周辺地域に避難指示が出されました。
不安げな様子の住人達は、急遽用意されたバスや、地前の車に最小限の大切な荷物を積んで避難を始めたのです。

伊崎の妻・智子(富田靖子)と娘・遥香(吉岡里帆)は、身体が不自由な父を連れて古い家から逃げました。
父の敬造は、福島原発の黎明期に建設作業員として働いていました。
そこに仕事が出来たことで、都会に出稼ぎに行かず、家族と冬を越せるようになった、そんな時代の生き証人だったのです。

その姿を見て育った伊崎も、高校を出てすぐに原発に就職し、仕事一筋に生きてきたのでした。
地元にはそういう人脈があり、彼らは家族以上の絆を以て原発を守ってきたのです。
避難所には、当直長の前田(吉岡秀隆)の家族もいました。

妻のかな(中村ゆり)とその小さな息子を見つけた智子は、とっさにかなの着ていた東電のロゴ入りのコートを隠しました。
狭い体育館には多くの人があふれており、その感情が荒れるのを恐れたのです。

その頃・・・東京の首相官邸では記者会見が行われていました。
誰もが初めてのことに戸惑うなかで、侃々諤々の時間が流れ、その中で一人が質問に立ち上がりました。

福島民友新聞の記者(ダンカン)は、すがるようなまなざしで壇上を見つめ、問うのです。
「教えてください。福島は、どうなってしまうのですか…?」
その質問に答えられる者はいませんでした。

決死隊

陸上自衛隊からも応援の部隊がやってくる中で、しかし状況は悪化するばかり…電源を喪失してしまったことで冷却水の供給が滞り、原子炉のなかの温度が上昇し、危険が増幅されてきていました。
このままではメルトダウンが避けられない、という事態です。
状況を打破するためには、本来の倍以上の圧力になった炉内の弁を開けるしかない、という選択。

そのベントと呼ばれる作業を、従来の方法が使えないSBOの状況下では、手動で行うしかないのです。
伊崎は、まず自身が手を上げ、もう一人同行してくれるものを募りました。
安全を確保するために、この作業は二人一組でないと行えないのです。

監理グループのベテラン当直長・大森(火野正平)らが伊崎に代わって志願しました。
伊崎は原発全体の状況を統括すべきである、との判断です。
炉内の状況は想定を超えており、高温と、ハイレベルな線量になっていました。

今まさにベントを行おう、というとき、首相が陸自のヘリで福島原発に降り立ったのです。
吉田所長らはその対応に忙殺されることになりました。
「我々は、決死隊を作っているんです!!」
ようやく行われたベントで、二つのうち一つは成功し、内圧を下げることができましたが、もう一つにはあまりの高温と線量の高さに引き返さざるを得ず。
一号機(イチエフ)の水素爆発を防ぐことはできなかったのです。

蝉のションベン

消防車を提供した陸自の隊員らも含めて懸命に状況を打破しようとしていた現場でしたが、水素爆発による被ばくの恐れと度重なる瓦礫の飛散に負傷者も出て、事態は一進一退を繰り返していました。
皆、疲労と被爆の恐怖に直面し、ぎりぎりのところで踏ん張っていたのです。

冷却水の代わりに海水を使ってメルトダウンを防ごうと懸命に知恵を絞り、陸自のヘリが吹き飛ばされた原子炉建屋の上から海水を散水しているのがテレビで流され、吉田所長はぽつりと「蝉のションベンだな…」と呟きました。
イチエフにもっとも近接した中央制御室に最小限の5名を交代制で配して他の作業員を免震棟へと退避させる措置が取られ、伊崎もその指示で数日ぶりに外に出ました。

彼は娘の遥香にメールを送りました。
「お前の やりたいように 生きろ」
地震が起こる前。

遥香は会津に住むバツイチの年上の男性・滝沢(斎藤工)と知り合い、愛し合うようになっていたのです。
造り酒屋を営む彼には幼い子供もおり、せっかく苦労して東京の大学まで卒業させた娘がどうして自ら苦労が目に見えている道を選ぶのか、と愚痴を呟く伊崎。
しかし、こんな状況になったからには、もう、本人が生きたいように、やりたいようにするしかないだろう、と伊崎も思ったのです。
そのメールには、これまで伊崎が絶対に使ったことのない絵文字が添えられてあったのです。

トモダチ作戦

日本に駐留していた米軍は、その発災から大使館を経由して本国と綿密にやり取りをし、支援策を練っていました。
その中に、一人の将校・ジョニー(ダニエル・カール)がいたのです。

彼は、刻々と変化する福島原発のニュースに心を痛めていました。
「あそこには良い思い出しかない」
彼はその幼少期を福島で暮らしていたのです。

父親は、ゼネラルエレクトリックのエンジニアとして福島第一原発の一号機に携わっており、ジョニーは住んでいた双葉町では地元の子供たちとともに元気に遊んでいたのです。
東北の困窮・混乱ぶりを見聞きしたジョニーらは、救援物資を送り出し、被災地を支援するトモダチ作戦を開始したのです。

未来へ

エフイチ(一号機)の周辺では作業員が命がけでホースをつなぎ、注水を進めた結果、残された原子炉はまるで奇跡のように小康状態を得たのです。
伊崎も家族の姿を求めて避難所を訪れ、再会を喜びました。
娘を抱きしめ、死線を乗り越えたことを実感した彼。
しかし、目の前には帰宅困難区域になってしまった故郷と、そこから避難した多くの人々の姿がありました。

その三年後の春。
桜の花びらが舞う双葉町に伊崎の姿がありました。
彼の胸に去来していたのは、所長の吉田のことです。
同い年の二人は過去にも一緒に仕事をしていました。
震災の前年に所長として久々に福島に赴任してきた吉田は気さくな大阪弁で「頼むでぇ!」と笑いかけ、そんな彼を伊崎は“よしやん”と親しみを込めて呼んでいました。

吉田は、原発事故の二年後に食道がんで亡くなりました。
その葬儀で弔辞を述べた伊崎に、吉田は手紙を残していたのです。

あの時、何が悪かったのか・・・それは振り絞るような後悔と、未来への提言でした。
自然の力を侮り、津波対策が甘かったこと、そして全てが後手に回り、被害を食い止められなかったこと。
それは人間としての“慢心”だったのだと吉田は綴っていました。

「よしやん…オレは最期までおまえさんと一緒だった」

特別な許可を得て帰還困難区域に入っていった伊崎の車の進む町並みは荒れ果てていましたが、錆びて朽ちかけた看板が残されていました。
原子力・明るい未来の・エネルギー___伊崎はそれを幼い頃から当たり前に見上げ、遠足や社会科見学で原発を学び、そして導かれるようにその道に進んだのです。

あの日を境にすべてが変わってしまいましたが。
それでも桜の花は変わらず咲き誇り、伊崎を迎え入れてくれるかのようでした。

「よしやん…今年も、桜が咲いたよ」

伊崎が見上げた空は晴れ渡り、さわやかな風が花びらを散らしていたのでした。

見どころと感想

この作品のオリジナルテーマを角川歴彦(つぐひこ)社長に提言したのは故・津川雅彦さんでした。
そしてその熱意をもって多くのスタッフ・キャストを巻き込み、このような壮大でリアリズムに溢れた作品が完成したのです。

映画と言うメディアの特性を以てたくさんのものを投げかけ、訴えかけてくれています。
渡辺謙さんの吉田所長のどっしりとした構え。
伊崎を始めとしてエフイチの被害を食い止めようと懸命に働いた現場の人間の姿は、報道のカメラも入りえなかった場所を見事に再現し、そして見る側の記憶に衝撃とともに刻まれていきました。

フィクション部分をさしはさむことには批判も多いですが。
映画ならではの表現には大きな力があり、そこからリアルを知る足掛かりにはなるはずだと確信しています。

さて、この作品には陸上自衛隊が大きく協力をしています。
吉田所長が“蝉のションベン”と称した放水や、首相が福島原発を訪れたシーンでは、同じヘリを飛ばしています。
しかし、エンドロールの撮影協力には防衛省・陸上自衛隊の文字はありません。
いろいろと物議をかもすことを承知での協力であったのかもしれません。
しかし現場で発電所の職員とともに命がけで働いていた隊員の存在や、被爆覚悟で原子炉の直上を飛んだパイロットたちの覚悟をこういう形で表していたことについては、大きな意義があったと思っています。
また、この作品で恐らくはフィクションであったと思われますが、米軍将校のジョニーの存在、彼の思い出の表現がとても素敵でした。

地元・福島県民を除く日本人の多くは、福島原発の成り立ちを知りません。
1970年代の高度経済成長期、伊崎の父親の世代が建設にかかわったこと。
そしてその心臓部である原子炉が実はアメリカのゼネラル・エレクトリック社製であったこと・・・。

最新鋭とはとても言えない巨大なシステムを、地元出身の職員たちがまるで職人のように面倒を見て稼働させていたのだということ。
物語のなかに組み込まれたそうした情報は、正直、意外なことでした。

その建設のために赴任した父について日本にやってきて、地元の子供たちと遊んで育ったというジョニー少年の遊び仲間には、回想の中で垣間見えた伊崎の姿もあったのです。
そうした縁が巡り巡って、トモダチ作戦を後押ししたのだというのであれば、ちょっと素敵なお話だなと思いました。

ちなみに、日本国内で在日米軍が撮影協力したのは初のことだったとのこと。
エキストラの米兵は本職さんたちです。

批判をするのは簡単です。
しかし、こうした物語の裏側を知ると、そこからドキュメンタリーに立ち返って本を読んだり、調べたりする、そしてまた年月が経ったときに繰り返しこの事故のことを振り返る、そのきっかけのコンテンツとしては大変秀逸なものに仕上がっている“Fukushima50”。

原作の門田隆将さんは、吉田所長を取材して、この未曽有の事象に日本人がどう戦ったかを100年後、200年後に残したいと言う思いがあったのだとか。
その想いと拘りは映画化によって増幅され、見事に結実しています。
ラストシーン、桜の舞う空から見下ろす福島の街が、いつかまた人の行きかう平和な場所になることを祈らずにいられません。

その撮影の一年後の今年、この辺りは避難指示が解除され、鉄道が再開されました。
人の暮らしをすぐに戻すことは難しくても、少しずつ変わっていく街の姿は、復興の象徴になるはずです。

昨年春、わざわざクランクアップを伸ばしてまで実写の撮影にこだわったというこの桜の光景・・・・一見の価値、アリです。

(C) 2020『Fukushima 50』製作委員会

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