封門村は中国で最も有名な「鬼のいる村」と言ってもいい村。
封門村は1981年、村全体が集団移動して空村となり、誰も住んでいない封門村は、さらに恐ろしいものになっていくのでした。
事件が起きたのは、まだ人が住んでいた1963年。
封門村の奇妙な村の家と風景の噂を聞きつけて、鄭州から3人の絵描きの青年がイーゼルを持って封門村に写生に来たことから始まります。
村に入ったその日、前日、家族三人が高熱で急死しので葬式を行っていたのでした。
村では出棺の際に故人が生前に枕にしていた枕を道の真ん中に置くのが習わしですが、村に来た三人の若者は、道の真ん中に枕が邪魔だと蹴けり飛ばしました。
封門村に着いてから、3人は絵を描く為に滞在するために村長を見つけて住居を手配してもらいます。
※当時の中国では、村に宿泊施設が無い場合が多く、空いている家を間借りする事がよくあったそうです。
ちょうど空いていた、死んだ家族3人の空いた家を青年に住居させます。
人が死んだと家と聞いているけれど、この三人の若者は気弱なのと、地元の人に迷惑をかけるのが怖かった事もあって、その事について誰も口を開きませんでした。
そして住み始めると、夜中に外で子供が「ママ~ママ~」と呼ぶのをよく耳にするが、外に出てみると家のまわりには誰もいません。
それ以外にも、三人が次々と同じ悪夢を見たりと、奇妙な事が立て続けにおきたのでした。
ある日、一人が昼クローゼットを開けて洋服を探していたら、悲鳴を上げて気絶しました。
目が覚めて事情をきくと、クーロゼットの洋服の裏に隠してあったお面が、自分が見た顔とそっくりだったと言った。
その後、ほかの人たちはクローゼットを探しましたが、何も変わったところはなく。その日、倒れた若者は高熱を出して寝込んでしまいます。
その夜、家の庭にある井戸で一糸まとわぬ女性が水浴びをしているを、別の若者がみかけます。
若者は首をかしげながら、声をかけようとすると、女は怪しく笑いかけて一気に井戸に飛び込みました。
若者は人を助けに行くのではなく、こわばってしばらくぼんやりしていましたが、誰かが井戸を跳んだと、みんなを起こしました。
懐中電灯で井戸の中をのぞくと水面は穏やかで、さざ波もなかった。井戸の端の石台は乾いていたし、水がついていなかった。
幻覚でも見たんじゃないかと笑われたが、水に飛びこんだ女を見た若者は翌朝には高熱を出して寝込んでしまう。
三人目の若者は二人の友達の熱が下がらないのを見て、とても焦った。
村で医者を探し、村人からも薬をもらっても熱は下がりませんでした。
そしてある夜、最後の一人にも事件が起こります。
寝ていると鬼の顔を夢に見て、だんだんと息苦しくなり目が覚めると、高熱で動けないはずの仲間の一人が、上に乗り必死に自分の首を絞めているのでした。
幸いにももう一人の仲間が叫び声で目を覚まして、急いでろうそく台を使って狂った仲間を殴って気絶させた。
それから三人は、とうとうこの部屋に住んでいることが原因だと気がついたので、さっそく村の村長のところへ行ってみると、村俗にそむくようなことをしたことはないかと尋ねられた。
しかし若者は村に入ってからずっと、たいしたことはしていない、枕を蹴ることなど、まったく気にしていないという。
知ってか知らずは解らないけど、村長は若者三人にお供え物の鶏と酒を持って、村にある代々祭っている二つの石像と家族三人の墓にお参りするように指示をしました。
その後、熱は少しずつ下がっていきました。
封門村は鬼が同居し、人が村から出てこない風習もある。
村の家屋の道路の向きの問題のため、曲がりくねった路地が多すぎて、迷路のような村に閉じ込められて、鬼はなかなか出て行きません。
加えて異教の崇拝、仏も道教もないので、この村は三界の外に遊離して、正陽のものを弾圧することがなくて、以前の2つの石像はますます多くの鬼を抱える。
これが村の陰気さの原因である。
※画像はイメージです。
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