航空母艦、通称空母。
それは飛行甲板を備え、航空機運用能力を持ち、海より敵地へと自軍の航空機を送り込み、芳醇な弾薬燃料補給と各機器の整備を兼ね、現在の戦時においては重要なる拠点となる存在……
でもその最初は、現在の様な形ではなく、航空母艦へとなる為の試行錯誤が繰り返され、ようやくにして今の形が得られるようになったのです。
航空母艦がいつに造られたのか
今回はその事についてまとめていきましょう。
人類史の初の航空母艦となった「フューリアス」は、大英帝国ことイギリスによって生み出されました。
第一海軍卿ジョン・アーバスノット・フィッシャーによる、先見の眼による発案により、次なる時代の戦闘は、航空機による空の戦闘だと、その発想のもとに航空母艦「フューリアス」は、建造されました……
でも一つだけ問題があったのです
その為、最初の空母も今現在の空母とはあまりにもかけ離れた存在となっていたのです。
まず、この「フューリアス」は、建造当初において飛行甲板を搭載する為に、航空機のスペースを得る為に、前部の大砲を撤去し、滑走路を戦艦内に内蔵する事に成功したのです……が、滑走路が短いが為に、発進は出来るも、着陸ができない、実に片道切符な人類初の航空母艦となってしまったのです!
後部の大砲を外す事は認めず、前部だけの滑走路で事足りると、フィッシャー提督の決断は揺るぐことなくに、「フューリアス」は就役したのです。
さて、前部にしか飛行甲板ない空母では発艦できても着艦できないと問題点を抱えながら、一度飛び立った航空機は、自力で自国内の基地へと着陸しなければならず、また港でクレーンを使い、搭載しなければいけなと、実に面倒な空母となってしまったのです。
一応に活躍する機会はありましたが、何分に航空機搭載に時間が掛かりすぎる問題を解決する為に、当時のパイロット達や「フューリアス」の乗組員達は、驚くべき方法で、それらの問題を解決させようとしたのです。
それは……狭い飛行甲板に無理やりに着陸するという、実に曲芸飛行な方法がとられたのです!
もともと着陸を想定して建造されていない空母に、どうやって着陸をするのか?
まず、失速寸前の速度で空母後方から近寄り、艦体側面すれすれで飛行し、艦橋を越えたところで方向を転換させ、斜め方向で短い甲板に無理やり着陸すると、実に荒業すぎる方法で着陸が成されたのです。
でも飛行機が自力で着陸するのは無理があり、乗組員が手助けする方法がとられました。
それは着陸したと同時に、乗組員たちが総出で着陸した航空機にフックを掛け、また準備していたネットなどを使い、人力で引っ張り、速度を殺すという、実に無茶苦茶な方法がとられたのです。
当時の航空機は複葉機が主流であり、今の様なジェット機ではなかったために、一応にまだこの荒業が成功していたのですが、もちろん失敗することも多々あり、航空機の墜落と、乗員の巻き込まれる事故などが多発し、この着艦方法は禁止されたのです。
その為に、仕方なくに戦艦後部の大砲も除去し、後部にも飛行甲板を備える事を決定しました。
でも元は戦艦
艦橋が真ん中にある為に、滑走路が短くなってしまい、また煙突などが邪魔になり、気流などの関係で着陸は不可能と結論が出されてしまったのです。
もし着陸させるには、動力を止め、静止した状態にしなければいけないと、戦艦として実に問題がある性質が出た為に、発艦専用の航空母艦として活躍する事を余儀なくされてしまった、人類初の航空母艦。
でもこの戦艦で得た様々な検証が、後の空母建造に大きく関わり、構造物を置いてはいけない全通甲板の構想へと着想し、現在の航空母艦の形となったのです。
試行錯誤の末にようやくに空母を生みだした、最初の空母「フューリアス」。
空母を語る上で忘れてはいけない存在です。
icon image : 作者 不明 [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
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