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風船おじさんについて考察

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昭和世代だと「風船おじさん」というと、「あった、あった」と思い出す人も少なくないだろう・・・。
かくいう筆者も、かなりのインパクトで記憶している。

風船おじさんといえば、たくさんの風船をつけた気球で空を飛び、そして「ファンタジー号」と名付けられた気球に乗り、行方不明になった。いつしかテレビで見なくなり、人々の記憶からも飛び立って行ってしまった。

そこで、風船おじさんとはどんな人物だったのか?どうなってしまったのか?
今も語り継がれる都市伝説などにも触れていきたい。

目次

風船おじさんはどんな人物なのか?

まずは風船おじさんの本名は「鈴木嘉和」である。
何となく変人な(失礼)雰囲気を醸し出したおじさんだったと筆者は記憶し、定期的に事件を起こし、その度に「お騒がせおじさん」的な扱いを受けていた。

今回改めて鈴木嘉和氏のプロフィールを調べなおしてみた。
鈴木氏は国立音楽大学付属高等学校を卒業し、ヤマハの契約社員となり、そして東京都小金井市でピアノ調律業をしていたらしい。筆者は確かかなり経営が苦しい自営業者だったと記憶していたので、思わぬ経歴に驚いている。

私の記憶違いかとも思ったが、どうやら間違ってはいなかったらしいのが・・・これからの半生である。
1984年に音楽教材販売会社「ミュージック・アンサンブル」を企業。

音楽イベントも定期的に開催し、イベントの最後には、毎回風船を飛ばしていたらしい。
この頃から風船にこだわっていたようだ・・・。

生涯3度結婚しており、ファンタジー号で飛び立つ半年前にピアニストの石塚由紀子氏と結婚が最後となる。
妻以外の家族は、ファンタジー号で行方不明になったときに取材を受けた最初の妻との娘。
他にも血は繋がらない娘が3人いて、音楽グループを結成してディナーショーなどで活躍しているそうだ。

バブルがはじけて人生に暗雲が

1984年に44歳となった鈴木さんは、音楽教材を販売する会社を起業、86年には銀座で音楽サロンを開店している。
その後雀荘やコーヒーサロンなども経営していたらしいが、バブルがはじけ1990年に倒産し、4億~5億の借金を背負っていたという。
この頃から、風船をつけた飛行船「ファンタジー号」の太平洋横断の冒険で、借金を返すと債権者に語っている。

そもそも、鈴木氏はかなりの問題人物であり、この後もいくつか迷惑事件を起こしている。

Yes’89横浜博覧会立てこもり事件

1つは1989年にYes’89横浜博覧会立てこもり事件。
内容は手塚治虫がデザインしたマスコットキャラクターに扮した鈴木氏が、運営協会に抗議をするために鉄塔によじのぼり立てこもったのだ。結局説得の末におりたものの、協会事務局長からは厳重注意を受けている。

それはそうだ、ただし鈴木氏の言い分もわからなくもない。
博覧会の本来の集客、売り上げ見込みを聞いて出店したにもかかわらず、実際は1/3にも満たない。テナント代だけとられるけど対策してくれない。言い分を聞いているとこういった感じだ。

ただし、抗議はまったくの無駄でもなかった。主催側と協議のうえで許可を取り、独自のアトラクション「ヘリウム風船のゴンドラの空中散歩」を自費にて実施したのだった。
これはそこそこあたったもようだが、万博好きの著者は実際に何度かYes’89に足を運んだ事があるのだが、こんなアトラクションがあった事は全く覚えていない。

2度目の迷惑事件

2度目の事件は1992年に、風船を椅子に括り付けた飛行船が民家に不時着し、屋根の瓦を破壊する事件を起こしている。
この時は、千葉県の九十九里浜を目指し、多摩川の河川敷より飛び立つ。

府中署の警官が止めるが制止を振り払うように飛び立ち、目的地どころではない、たった24キロ先の東京都大田区の民家の屋根に不時着して、テレビアンテナと瓦を破損。この時は大きな怪我はなかったが、被害を受けた家には謝罪も弁償もしていない。駆けつけた警察官には謝罪したが、「成功していれば、次はハワイだ」と話していたらしい。
酷い話だ。

NHKのラジオ番組に出演

この後、風船による太平洋横断計画があるという事を、出演したNHKのラジオ番組で発言。
以前からまことしやかに語られていた、計画がここで明るみに出る。
借金返済の為、命をかけた太平洋横断の大冒険・・・いや大博打の実行宣言でもあったのだろう。

しかし、度重なる実験の失敗により要注意人物とされたのか、業者からはヘリウムガスも売ってもらえなくなっていった。マスコミからも相手にされくなっていた。

ついにアメリカに向けて出発

1992年11月23日に、飛び立っていった。

太平洋横断実行の為に作成された、飛行船ファンタジー号。
想定段階で揚力は約800kgを得るために、メインの直径6メートルビニール風船6個、補助の直系3メートル風船26個を使う予定であったが、調達が難しい状況だったのであろうか、メイン4個、補助が20数個程度と減っていた。

着水したときを考慮し、浮力の高いヒノキでできた、約2メートル四方のゴンドラはそこそこに重さがあるだろうし、既に破れてガス漏れしている風船さえあった。そのためかなかなか上昇せず、出発前にバラスト兼、体を温めるためと思われる焼酎200本、上空で必要な酸素ボンベすら下してしまう。

もちろん運輸省からの許可は出ておらず、試験飛行のハズだったが、飛び立っていった。

試験会場には、支援者と密着取材していたフジテレビの取材班などが同伴していたというが、あらかじめ家族をマスコミよけにホテルに泊めさせていたりするため、最初から飛ぶ意思があったようだ。

飛び立ってしまえば、後の祭り。
マスコミは「風船おじさん」として連日トップニュースのお祭り騒ぎのような状況。

風船おじさんが消息不明に

風船おじさんは出発から40時間後、宮城県金華山沖の高度2500メートル地点を漂っていた。
予定だと1万2千キロ飛んでいるはずだったが、10分の1程度しか飛べていない。
そもそも高度1万メーターまで上昇し、ジェット気流に乗っていれば、20時間でアメリカに到達していると計算だったのだが、出発の状態でそこまで上昇するのが難しいのは誰でも解ることではないか?

この時点でギブアップをしたら・・・筆者も思うし誰しもが思ったようだが、風船おじさんは続ける意思表示をしていたらしい。24日の深夜にSOS信号が出されており、海上保安庁の飛行機が、ファンタジー号を宮城県沖で発見。
3時間ほど見ていたものの、遭難信号が消えたことで追跡を打ち切っている。

この頃、鈴木氏の妻と娘は、「なんだ、まだ宮城県沖なの」と笑っていたそうだ。
以後、鈴木氏の音信は途絶えてしまった。

12月2日海上保安庁は、アメリカやロシアなどに遭難要請をしているが、見つからなかった。
鈴木氏は支援者に「2億円の生命保険をかけている」と説明していたらしく、債権者にも成功したらCM料で返済すると話していたらしい。

無線の免許を持っていなかったために、無線機を載せていなかった。
風船おじさんがもっていったのが、携帯ではなくて無線だったら救援できたかもしれない。

風船おじさんはどうなったのかを予測

研究者たちは、ロシアのカムチャッカ半島くらいまでは達したのではないかと予測しているという。
ただし海上保安庁の飛行機が見たときは、かなり風船もしぼんでいたらしいので、そこまでもったのかも疑わしい。

宮城県沖に着水したならアラスカへ、アリューシャン列島付近ならば、オホーツク海へ流されるだろうとのこと。
風船おじさんが流れ着きそうな海岸に、残骸を探しに行った人もいましたが、結果残骸すら発見されていません。

そこでオカルト的な噂も流れている。
あくまで噂なので、話半分程度に聞いてもらいたい。
なんでも「サハリン沖に不時着し、記憶喪失で北朝鮮にいる」「気流の中を凍って飛んでいる」「ロシアに追撃された」「アラスカに住んでいる」などなどだ。
どれも現実味は薄い気もするが、どのような状態化で生きていると考えておくと、遺族は気持ちが楽になるかもしれない。

また、とある航空会社の情報が出回っている。
なんでも、微弱なSOS信号をキャッチしたそうだ。
自衛隊も「オホーツク海の中央部を飛んでいた」「サハリン沖方向からSOS信号を傍受した」そうで、やはりピンチだったのは間違いないだろう。

取りまとめると、北の方に流されたのは間違いなさそうで、オホーツク海でSOSを出した後、墜落したのではなかろうか?

最後に

鈴木氏は長らく戸籍上は生きていることになっていた。しかし度重なる国の催促で2001年に失踪届を提出。
遺族は頑張って鈴木氏の借金を返済していたらしい。

そして色々な説が出ているも、オホーツク海あたりで落ちて帰らぬ人となった・・・といったところかと感じている。
潮流も早いため、発見されないということもあるだろう。
ただし、遺族のことを考えると、アラスカで生きているといった話なども夢があって良いのかもしれない。

結局、風船おじさんは周りを大きく巻き込んだ騒ぎとなり30年近く経っているが、よくも悪くもインパクトがある人となった、夢を追いかけ続けた人がいた、そういった事実を知ってもらえれば幸いだ。

※画像はイメージです。

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