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芙蓉部隊が沖縄で使用した新兵器とは?

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最後まで特攻を拒否し、搭乗員の練度を上げ新兵器を動員して沖縄の米軍に夜間攻撃をかけ続けた芙蓉(ふよう)部隊。
彼らが使った新兵器とは?

目次

芙蓉部隊とは

芙蓉部隊とは太平洋戦争の末期の昭和19年末に、美濃部正海軍少佐を指揮官として誕生した、どこの司令の指図も受けない独立した夜間攻撃専門の飛行隊である。

ほとんど使用されていなかった静岡県の藤枝飛行場を借り受け、本来はフィリピンへ再投入される予定であったが、戦況の変化は早くフィリピン進出はままならず、沖縄の米軍攻撃へと任務が変更された。ちなみに芙蓉とは藤枝基地からよく見える富士山の事である。

作者 User Felix c (English Wikipedia [1]) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

当時の日本の航空作戦は

当時の日本の航空作戦は猫も杓子も不条理な特攻攻撃へと傾いていたが、美濃部少佐はこの特攻至上主義に頑として反対し、あくまで熟練した搭乗員による夜間通常攻撃を貫き、終戦まで沖縄において戦果を挙げ続けたのである。

機材は主に彗星艦爆とゼロ戦の52型で、特に彗星艦爆は整備の難しさから嫌われていた物をあえて取り寄せ、メーカーの技術者を招いて徹底的に整備の練度を上げて他の部隊にはみられない高い稼働率を誇った。
そして鹿児島の鹿屋を前進基地とし、藤枝を後方基地として機材と人員をローテーションする事で疲弊を防ぎ高い戦力を保ったのである。

ある物を何でも使うと言う美濃部流の柔軟な考えは、使用した特殊爆弾にも表れている。

当時日本には

当時日本には仮称3式1番28号ロケット爆弾というものがあった。これは対潜水艦用として作られたロケット弾であるが、仮称と言う名が付いている通りまだ実用試験が行われずに制式採用されていなかった。
テスト用の製品は倉庫に眠っているのだから、美濃部少佐は早速これを実機でテストしてみたところ、非常に弾道性能が良い事が分かった。

弾の重さは14キロで、炸薬は850gあり、小艦艇や空母上の艦載機を撃破する威力は十分にある。発射後は秒速230メートルのスピードで飛び、200メートル先の目標に対して弾着散布は1メートルであった。

image source:海軍砲術学校

芙蓉部隊では

芙蓉部隊ではこのロケット弾をゼロ戦と彗星艦爆に4発ずつ積んで沖縄の米軍攻撃に使用したのである。すべて夜間の作戦なので地上からの目撃は確認できないが、日本軍が戦場で使用した唯一の空対地ロケット弾であるのは間違いないだろう。

そのほか、爆弾の頭から電光を発して地表近くでその反射光に反応して爆発し、周辺の破壊の範囲を広める31号光電管爆弾(190キロ)や、いわゆる海面スキップ爆弾である対艦反跳爆弾、3式25番8号爆弾などの新兵器が続々と芙蓉部隊に納入されて行った。
これらの新兵器はもはや航空隊によって使う場面がほとんどな無く、すべて倉庫に眠っていた物ばかりである。芙蓉部隊ではこれらをテストし習熟訓練を重ねて確実に戦力化して行った。

太平洋戦争末期の総崩れとも言える日本海軍の中にも、このような活躍をしていた部隊が最後まで存在していたのである。

icon image: By photographer is unknown (秦郁彦 (1982) 太平洋戦争航空史話(下), 中公文庫) [Public domain], via Wikimedia Commons

仮称3式1番28号ロケット爆弾の画像は、桜と錨の気ままなブログ よりお借りしました。
ありがとうございます。

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