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人類の愚行 ジェノサイドとは? 意味と歴史、ホロコーストとの違い?

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人類の歴史は其れ即ち「戦争の歴史」と言われるほどに、有史以来、世の東西を問わず様々な時代、地域、人種等を超えて同種での争いを続けており、ある種非常に稀有な動物だと云わざるを得ない。どれほど凶暴な肉食動物であっても自己の生存に必要な範囲内で、獲物として他の動物を捕食する事はあっても、主義・思想に準拠した行動としてそれ行う事はなく、戦争は人間に特有の業だと言えるだろう。

そうした人間の戦争の歴史の中から、ある特定の集団が別の特定の集団に対して、その絶滅を企図して行う一方的な殺害行為も、不幸にして発生しているのが実情であり、こうした行いは「虐殺」と呼ばれている。
こうした人間の「虐殺」が近代においては「ジェノサイド」と言う単語で表現されるようになり、今日では広く人口に膾炙した用語として定着している。

目次

「ジェノサイド」と「ホロコースト」の関連性

「ジェノサイド」とはナチス・ドイツとソ連によるポーランド侵攻によって祖国を失い、後にアメリカに逃れたユダヤ系のポーランド人のラファエル・レムキンが第二次世界大戦中の1944年に著作の中で使用した用語である。レムキンは著書「占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治」の中で、ギリシャ語の「ジェノス(種族)」とラテン語の「サイド(殺戮)」を合わせた「ジェノサイド」と言う造語によりナチス・ドイツの行為を表現した。

これは「ある特定の国家的規模の集団の絶滅を企図し、且つその集団に必須の生活インフラの破壊を目的とする全ての行動を統括する計画」を指し、ナチス・ドイツが講じた占領地域での統治政策を意味するものだった。
ここで唱えられた「ジェノサイド」の概念は、今日ナチス・ドイツが主に「ユダヤ人」に対して行ったその絶滅政策の「ホロコースト」と内容的にはほぼ同義であるが、両者には時代的な差異がある。

「ホロコースト」がナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅政策を指す用語となったのは、1978年にアメリカで放映されたTVドラマのタイトル「ホロコースト」によるもので、これ以降それが定着し今に至っている。
そのためより広義の意味で、ある特定集団に対する虐殺が「ジェノサイド」であり、「ホロコースト」と呼ばれるようになったナチス・ドイツのユダヤ人絶滅政策もその一種と考えてよいだろう。

国際連合の定める「ジェノサイド条約」

1948年に国際連合では「ジェノサイド条約」を採択しており、それは国民・民族・人種・宗教的な集団の全部若しくはその一部を破壊する事を企図した行為で、その抑制を図るものと定義している。
具体的には前述の集団に対する、構成員の殺害・又は肉体・精神的な危害を加える行為、故意に肉体の破壊を企図した生活条件を強制する行為、意図して出生を阻害する行為、児童の強制移住などが該当する。

この「ジェノサイド条約」の内容からは、殺害のみならず肉体・精神的な危害行為も含んでいる事が特徴であり、より広義の意味である特定の集団への抑圧行為を防ごうとする意図があることが見て取れる。
但し日本においては憲法を始めとする法体系との兼ね合いから「ジェノサイド条約」は締約されておらず、これを巡る議論は現在進行形と言える状態にある。

世界における「ジェノサイド」① ナチス・ドイツの「ホロコースト」

前述のように「ジェノサイド」と言う造語をユダヤ系ポーランド人のラファエル・レムキンが生み出す元となったナチス・ドイツの対ユダヤ人政策は、1933年の政権掌握から1945年の崩壊まで続けられた。

金髪・碧眼の白人種のアーリア人を優等人種と定義し、逆に下等人種と見做したユダヤ系の人種の絶滅を企図し、ポーランドに設置されたアウシュビッツ強制収容所等でのガス室での大量虐殺はつとに悪名高い。

犠牲者数には諸説あるものの概ね600万人前後とする説が有力で、ここまで大規模な「ジェノサイド」が実行された背景には、ヨーロッパ社会に通底する反ユダヤ主義の土壌があったことも否定出来ないだろう。

世界における「ジェノサイド」② オーストラリア先住民・アボリジニへの迫害

オーストラリア大陸の先住民であるアボリジニは、18世紀にイギリス人がが植民地として入植してきた時点では最大100万人とも言われている人口を有していたが、1920年にはなんとこれが7万人までに激減した。
これは入植者であるイギリス人達がオーストラリア大陸にはそれまで存在せず、アボリジニらには免疫が無かった病原体を持ち込んだ事が大きいと考えられているが、銃火器による狩猟対象とした事も一因だろう。

オーストラリアのアボリジニの悲劇は、白豪主義と呼ばれる非白人への弾圧政策がもたらしたもので、アメリカ先住民の例と同じく西欧列強の人種差別主義の典型的な暗部の一例と言える。

世界における「ジェノサイド」③ カンボジアの独裁者、ポル・ポトによる虐殺

フランスの植民地であったインドシナは、同国の撤退後にベトナムと同様に内戦状態に陥り、現カンボジアで1976年に政権の座に就いたのが、クメール・ルージュと呼ばれた共産主義・武装勢力を率いたポル・ポトだった。

ポル・ポトは1975年から1979年の5年足らずの間に当時総人口780万人程であったカンボジアで、自身の共産主義政権に知識人や都市労働者は不要と考え、150万人から200万人にも及ぶ人々を虐殺したと見られている。
ここで虐殺が行われた処刑場は「キリング・フィールド」と呼ばれ、1984年には同名の映画が英米の合作で制作され、熾烈なカンボジア内戦を描いた作品となっている。

世界における「ジェノサイド」④ 中国による複数自治区での民族弾圧

近年では中国政府による新疆ウイグル自治区のウィグル族に対する人権弾圧がマスコミ等で報じられており、香港の民主化弾圧や新型コロナウィルスの武漢起源説と並んでチャイナ・リスクの代表例ともなっている。
しかし中国には1950年に同国の人民解放軍が侵略を行い併合を強行したチベット自治区もあり、ここでも既に70年以上にも及ぶチベット民族及チベット仏教への弾圧行為が一貫して実行されている。

新疆ウイグル自治区では100万人とも言われるウィグル族や少数民族が拘束されているとも言われ、安価な綿製品を生産するアパレル工場ではこうした人々が強制的な労働に従事させられている疑いも浮上している。

最後に

これまで世界で発生したと思しき「ジェノサイド」の例を幾つか挙げては来たが、ナチス・ドイツの「ホロコースト」やカンボジアのポル・ポトによる虐殺は、大半の国でそれが事実だとは認識されている。
しかしオーストラリアのアボリジニへの迫害や中国での民族弾圧等、それを実行した主体の国家や政府が今現在でも存続している場合には、その事実を認めない事も多数あり、必ずしも人類共通の見解とはなっていない。

そうした例としてこの2022年に今正に現在進行形であると思えるのが、ウクライナに侵攻したロシア軍の蛮行であり、ウクライナの首都・キーウ近郊のブチャにおいて同軍の撤退後に報じられている事象だ。
ここではウクライナ側の発表によれば、後ろ手に縛られたまま殺害された多数の民間人が確認されたと言うが、無論ロシア側はこれをウクライナ側が捏造したフェイク・ニュースだと強弁しており、認める筈もない。

多分このウクライナ侵攻が軍事的にはロシア側の敗北で終了したとしても、ロシアが国家として存続する限りこれを事実だと認定する事はなく、オーストラリアや中国の例と同様の経緯を辿るのだろう。

※画像はイメージです。

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