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動物的直観で南方戦線を生き延びた祖父

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これは父方の祖父が実際に話してくれた体験談です。
祖父は航空兵としてビルマ方面に従軍したそうで、爆撃機の後部座席の任務と言っていました。
小学校の夏休みの宿題で、戦争の体験を聞こうというのがあり、その際聞いた体験談になります。

目次

祖父は加藤隼戦闘隊のお仲間?

祖父はどうも志願兵だったようで、航空兵として南方軍としてビルマに送られました。
調べてみると、九九式双軽という爆撃機が配備された戦隊と祖父の戦友会の名前から第5飛行師団に所属していたと考えられます。
第5飛行師団はかの有名な加藤隼戦闘隊の64戦隊が所属していた師団です。

任務は推測するに、戦線が比較的安定していた昭和18年くらいまでは援蒋ルートの攻撃。末期はイギリス軍への攻撃と思われます。
もしかしたらインパール作戦にも航空兵として参加してたかもしれませんが、祖父は具体的な作戦名などは明かしてくれませんでした。

幸か不幸か南方の島々にはほとんど行っていないようで(ラバウルに一時いたっぽいことは言ってましたが)、飢えたり病気でとか言うことはあまりなかったようです。

動物的直観と生き残るためのアナログな秘策

祖父はどうも直感で「この作戦はヤバい」というのがわかったようで、危ない作戦の前日に上手に病気になる方法を会得していました。

20ミリ機関砲の火薬を醤油で割って飲むそうです。
当然、翌日は黄疸や吐き気で寝込んでしまいます。本人曰く、水飲んで吐き出せばすぐに治ったそうですが・・・

これで搭乗割りから外されて危ない任務を回避していたそうです。
生きる知恵ですね。
本人は多少降格しても気にしなかったようですが、よくまあ殴られなかったなと思います。

本人曰く「うまいことやっていた」そうですが・・・

祖父最大の危機

そんな祖父が一番命の危険を感じたことがありました。
ある夜、天幕で寝ていたら足先がチクチクするので起きたらサソリが祖父の足に乗っかっていたのです。
パニックになって拳銃を取り出して撃ったら自分の足の指も一部吹っ飛ばしてしまったとか・・・。

確かに祖父の足の親指は少し欠けていました。
このような危機を乗り越え、終戦後昭和22年に祖父は無事復員を果たします。

※画像はイメージです。

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