MENU

日常生活と在る神と宗教観

当サイトは「Googleアドセンス」や「アフィリエイトプログラム」に参加しており広告表示を含んでいます。

比較宗教学という分野がある。世界の宗教を大まかに3つに分類し、それぞれの起源や伝わる神話、崇める対象、儀式などを比較していくものである。文言で表すと小難しく感じるが、自国や他国の根付いた宗教観の違いというのは、日常生活でも感じられる場面は存在するし、気付けば中々興味深い。

以前、動画配信サービスでとある楽曲を聞いていた時、コメント欄に「歌詞の意味がピンときていない視聴者」が一定数いる事に気付いた。くだんの曲は邦楽、コンプレックスを抱える女の子がそれでも周囲からの押しつけがましい評価を退けながら芯を持って生きる・・・という独特な世界観の曲で、曲中の問題の歌詞は要約すると「私は神様が創造に失敗した存在」という具合だった。この「神」の部分にピンとこなかったのは海外の視聴者勢である。

「創造主たる神は失敗などしない」という言及を聞き、ここで今度は邦視聴者勢がハッとする。
この海外のコメント主と邦楽の作詞者の思い描く神のイメージ・・・ひいては、創造主の神を中心に据えた宗教観が違うのだ。

目次

神は全知全能か

導入でも触れたが、自国の宗教観を意識したり他国の宗教と比較する機会に気付けば中々興味深い考察ができる。
宗教とは規模を問わなければ世界中にごまんと存在する。それらも比較宗教学では3つに分類するが、他の項目として、「宗教観の中に存在する神は一体か複数体か」という見方もある。天地万物を創造した神が一体なら「一神教」、各々司る神がこぞって天地万物を創造したなら「多神教」と呼ぶ。

一神教はユダヤ教、イスラム教、キリスト教などが代表的でイメージしやすいだろう。一神教ではただ一体の唯一神が全てを司り創造を行い、その様子が言い伝えや経典の中でも神々しく描写されるので、全知全能の神=失敗はしないという概念を抱かれている事が多い。
一方多神教では神の数だけ言い伝えも逸話もある。海外だと仏教やギリシャ神話、北欧神話などか。豊穣や海、戦などそれぞれを司る神が万物の数だけ存在する多神教の神は、神話に描かれる姿はどことなく人間臭く、親近感の湧くエピソードも多い。

自分の住む国や地域がどのような神様を崇めているか、どんな神様が自分たち万物を創造したか、この捉え方こそ「宗教観の違い」であり、先述した「私は神様の失敗作」という歌詞に対し「神はそんな失態は犯さない」と言うか「あー、神様も手元狂う時あるよね」と言うかの分岐になるといえる。

神が在る我々の世界

先述した通り宗教は世界中にごまんと存在する。その中でも神道が多神教に分類される日本の宗教観は深堀すると更に独特である。ただでさえ「八百万(やおよろず)」と言わしめるほど日本には何某かを司る神が多く存在するが、加えて長年使った道具に宿る「付喪神」の存在もある。

付喪神は正確には神ではないが、昔からそれらを「万物に宿る様々な個性や性質を持った摩訶不思議な存在」と雑把に括り、畏怖と敬意を以て伝承してきた我々の宗教観には、曲に登場する「1人の女の子の創造を失敗する神」がすんなり抵抗なく馴染んだといえる。寛容ゆえか、我が国の文化にはそれら八百万の神を題材にした創作作品が多く存在する。

それらの作品を前に自国と他国の宗教観の比較を意識しながら視聴する事は稀だと思うが、興味が湧いたなら、そういう視点で観るのも興味深いかもしれない。

※画像はイメージです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

どんな事でも感想を書いて!ネガティブも可!

コメントする

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)

目次