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日本の歴史の裏舞台に存在し続けた銃

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~歴史の教科書だけ見たら淡々と起きたように見える歴史的事件ですが、ひとつのものにスポットを浴びせたら意外に面白いものです~

「エンフィールドライフル」は19世紀半ばにイギリスで正式採用された、ミニエー弾と呼ばれる現代に近い形状の弾丸を使用するライフルです。
従来のマスケット銃と違って、撃てば狙ったところに弾丸が飛ぶようになった画期的なライフルでした。

このエンフィールド銃はクリミア戦争や太平天国の乱などで使用され、インドのセポイ反乱の原因にもなった銃として知られています。
この銃が最も大規模に運用されたのがアメリカ南北戦争です。南北双方に最大90万丁も輸入され、米国で生産された同等品のスプリングフィールドライフルも100万丁以上生産されました。

By Copied from Smithsonian site which is a branch of the US Federal Government see: http://www.civilwar.si.edu/l_weapons_enfield.html (US Wikipedia) [Public domain], via Wikimedia Commons
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幕末

南北戦争終結後、大量に余ったエンフィールド銃はまずは薩英戦争でイギリスと講和した薩摩藩が導入し、後にグラバーなどを通じて長州藩にも払い下げられます。
結果、官軍となった各藩には大量のエンフィールド銃が配備され、旧式装備の幕府軍を圧倒していくのです。
つまり、南北戦争で余ったエンフィールド銃こそが明治維新のパワーアイテムだったということになります。

歴史の皮肉です。

明治

明治に入り、陸軍が創設された後もエンフィールド銃は前装式から後装式に改造され、西南戦争などで活躍します。

日清戦争では国産小銃の村田銃にその主役を譲りますが、後備師団などでは日露戦争まで使われていたようです。

こうして歴史的役割を終えたはずのエンフィールド銃ですが、20世紀も半ばになって歴史の転換点で思わぬ活躍の場が与えられることになります。

作者 不明Unknown author [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

太平洋戦争末期

終戦間近の1945年7月。

義勇兵役法などが成立し本土決戦の準備が着々と進む中、首相の鈴木貫太郎は陸軍将校の案内で国民義勇兵に支給する予定の武器を視察することになりました。

なんと、その中には幕末に輸入され、後装式に改造されて倉庫に眠っていたエンフィールド銃が混じっていたのです。
鈴木をはじめ、居合わせた面々は「これ以上は戦争は無理だ」と確信したと言われています。

明治維新の立役者であったエンフィールド銃が、終戦工作の隠れた立役者にもなった皮肉なエピソードですね。

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