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傭兵の代名詞?!グルカ兵は最強なのか?

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一般的に日本では馴染みが薄いかも知れないが、「傭兵」と言う言葉が用いられる際にその代表例として挙げられるものに「グルカ兵」という存在がある。現在のネパールの複数の山岳民族から構成される「グルカ兵」は、元々は敵であった筈のイギリスにその精強さを認められ、今に続く評価を獲得した兵達だ。

このため世界的に「グルカ兵」の名が知られるようになったのは、主としてイギリス絡みの戦争・戦闘が多いが、その成り立ちや歴史について調べてみたい。

目次

ネパールを統一したゴルカが訛ったものがグルカ

現在のネパールは北を中国、南・西・東をインドに隣接し、国土の大半がヒマラヤ山脈などの世界最高峰の山々に占められた過酷な自然環境下に置かれた国家である。ネパール地域には4世紀にリッチャビイ朝が興り、その後9世紀にはテーヴァ朝、14世紀末にマッラ朝と続き、そこからしばらく複数の王朝が並立する時代となった。

その中で最大勢力であったマッラ朝も18世紀前半に勃興したゴルカ朝に最終的に淘汰され、ゴルカ朝が遂にネパールの全土を統一、1768年にネパール王国が成立する。その後1790年から1791年にかけての中国の清朝との戦争を経た後、ネパール王国は東インド会社を通じてインドの植民地支配を進めるイギリスとの1814年からのグルカ戦争に敗れた。

イギリスは旧ゴルカ朝を「グルカ」と訛って呼称していた為、その読みが世界に広まり、ネパールの山岳地帯出身の兵を「グルカ兵」と総称する元になったと伝えられている。

イギリスの傭兵として浮上したグルカ兵

グルカ戦争には勝利を収めたイギリスだったが、個々の戦闘でネパール山岳地帯出身の兵達に苦戦を強いられた経験から、この力を自らの側に取り込もうと一計を案じた。それがグルカ戦争のスガウリ講和条約に盛り込まれた条項であり、産業に乏しく貧しいネパール人に対して、イギリス軍に傭兵として志願することが出来ると規定したものである。

インドと言う広大な植民地を直接支配する事に比して、ネパールにも同様の支配体制を敷く事に利点を感じなかったイギリスの政策によって、ネパール自体は独立を維持し続けた。しかしこの結果から「グルカ兵」と呼ばれる事になったネパール人の兵達は、イギリス・インド両国への傭兵として兵士の派遣を今日に至るまで継続する事になったとも言える。

このあたりの戦略は当時世界をあまねく支配したイギリスの老獪さを体現したものである反面、現地人同士を用いて植民地管理を図るイギリスの手法には批判の声もまた多い。

グルカ兵が投入された戦い

グルカ兵は山岳地帯出身のネパール人兵士の総称だが、一民族ではなくマガール・グルン・ライ・リンブーなどの複数の民族がそれを構成しており、総じて小柄で敏捷性に優れている。具体的には身長は140cmから150cm程度である事が多いが、険しい山岳地帯を生きる上で培われた身体能力の高さから格闘戦に強く、兵士として必須の資質を備えていると言える。

加えてインド地域に今でも根強い、主としてヒンドゥー教の身分制度であるカースト制の影響が比較的に少ないことから、これに抵触する食料などへの配慮が少ないことも利点だった。イギリスがグルカ兵を組織的に用いた初の戦いは、1857年から1858年にかけてインドで発生したセポイ反乱であり、これに約14,000人とも言われるグルカ兵が従軍し鎮圧に寄与している。

第二次世界大戦ではイギリス軍の一員としてビルマ地域で日本軍との戦闘も行ったグルカ兵は、その後の占領下の日本への駐留や朝鮮戦争にも派遣された。イギリス軍はグルカ兵によって構成されるグルカ旅団を今も陸軍内に保持しており、近年も1982年のフォークランド紛争にも投入され、その勇猛さを世界に知らしめる働きを見せている。

グルカ兵の象徴・ククリナイフ

グルカ兵の象徴としてイギリス陸軍では部隊章にも描かれ、今日のネパール軍のレンジャー部隊などでも多くの装飾にそのデザインが使用されているのが「ククリナイフ」だ。この「ククリナイフ」は刃の部分が内向きに折れ曲がった形状をしており、ひらがなのへの字型をしたナイフであり、かつてグルカ兵が白兵戦用に愛用し威力を発揮した武器である。

大きさや重さには大小様々なものがあるが、まるで鉈のようでもある大型の「ククリナイフ」は現在でもネパール軍に正式採用されている装備品となっている。元々ネパールでは農作業でも使用されているものでもあり、ゴルカ朝の時代からいざ戦いと言う場合に武器としても用いられたものだと考えられている。

現在のグルカ兵

グルカ兵は前述のイギリス軍・インド軍、そしてネパール軍以外にも、マレーシア軍やアメリカ海軍などにも所属しており、軍以外にもシンガポール警察などでもの雇用されている。実はイギリス軍のグルカ兵は徴兵でも志願でもなく、2012年にネパール議会はその事実を否定したが、ネパール国内に複数置かれた拠点の要員を通じてスカウトされているようだ。

これはネパールが今でも貧困にあえぐ悲しい現実を抱えている事と表裏一体であり、産業無き小国の中で、異国の兵士となることでしか高収入を得る手段がないとも言えるものだろう。また国連平和維持活動という名の「兵士」としても、僅かに全人口が2,700万人ほどしかいないネパールは4,700名弱をも派遣しており、世界で7番目の多さを誇っている。

こうしたグルカ兵の様々な派遣と並行し、グルカ・セキュリティー・ガーズなどの国際的な民間軍事会社も存在し、実質的に現代の傭兵を生業としている存在とも言えそうだ。

eyecatch source:Niharika DuttによるPixabayからの画像
※画像はイメージです。

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