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大量殺人犯が民族の英雄?~マクペラの洞窟虐殺事件とパレスチナ問題~

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キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地として悠久の歴史をもつエルサレム。
世界一厄介な紛争といえば、ヨルダン川西岸とガザ地区を思い浮かべる人も多いだろう。パレスチナの地をめぐって、宗教の異なるユダヤ人とアラブ人のいがみ合いが続いているパレスチナ問題だ。

極東の日本人の感覚からすれば、地球上の局所的な地域で起きた民族主義の衝突のようにみえる。しかし、じつはイスラエルの背後には米国が、パレスチナの背後にはイスラム世界がある。この構図が「対立の最前線」「この問題を解決しないと何が起こるかわからない」といわれるゆえんなのだろう。湾岸戦争でサダム・フセインがこの紛争を利用したのもわかりやすい一例だ。

本稿では、パレスチナ問題に端を発する虐殺事件を振り返りながら、この紛争がなぜ「世界でもっとも解決が難しい紛争」といわれるのかを探っていく。

目次

預言者アブラハムが眠るマクペラの洞窟

ヨルダン川西岸、エルサレムの南方およそ30㎞に位置する大都市ヘブロン。
旧市街にあるマクペラの洞窟には、旧約聖書の創世記に登場するアダムとイヴをはじめ、アブラハムら族長と、その妻の聖廟がある。アブラハムはB.C.19~17世紀頃の人物とされ、現在のイラク南部で生まれ、神の召命により家族とともにカナン(現在のイスラエル)にやってきて、神との契約を取り交わした。神の啓示は以下のとおり。

「目を上げて、北と南、東と西を見渡しなさい。ヤハウェを唯一神として信仰すれば、この地を永久にアブラハムとその子孫に与えよう。あなたの子孫は無数に繫栄するであろう」

妻のサラが127歳で亡くなると、アブラハムは居住していたヘブロンのマクペラ洞窟を買い取って墓とした。

時代が下り7世紀、神がユダヤの民に与えたはずの「約束の地」にイスラム帝国が侵入した。
彼らはマクペラの洞窟の上にイブラヒム(アブラハムのイスラム教での呼称)・モスクを造り、ヘブロンは彼らにとっても聖地となる。アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信仰する聖典の民にとって崇敬の対象であり、ことにユダヤ人にとっては民族の太祖。その墓所があるヘブロンは、ユダヤ人の第二の聖地。

五大預言者の一人 アブラハム
■ 五大預言者の一人 アブラハム
グエルチーノ, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由

聖地へブロン、聖なる祝祭日の虐殺

マクペラの洞窟に併設された礼拝所は、ユダヤ教徒用とイスラム教徒用の区画に分かれている。

1994年2月25日早朝、この聖地で大事件が起きた。
ムスリムのパレスチナ人800名がイサクの間で1日5回の礼拝の最初の祈りを捧げていたとき、ユダヤ人の男が背後から自動小銃を乱射したのだ。突然の惨劇は、男がムスリムたちに取り押さえられ、殴り殺されるまで続いた。
この日は、ユダヤ教のプリムとイスラム教のラマダンがちょうど重なる聖なる日だった。

銃を乱射した男は、米国出身のユダヤ人医師バルフ・ゴールドシュタイン。その動機は、彼が幹部を務めるシオニスト組織の指導者、メイア・カハネの言葉にみてとれる。

「イスラエルにアラブ人が住むことは、神に対する冒涜である。 われわれユダヤ人こそ、清浄さと神聖さゆえに神に選ばれた民族なのだ。アラブ人の駆逐は宗教的行為である」

事件後、イスラエル政府はゴールドシュタインの犯行をテロ行為とみなして非難したが、その一方で、彼をユダヤ民族の英雄と誉め称える同胞も少なからず存在する。

「あいつら(パレスチナ人)が僕たちを殺す前に、僕たちがあいつらを殺せばいい。 僕が大人になったら、銃を持ってゴールドシュタイン先生と同じことをしてやる」
「われわれの始祖アブラハムがマクペラの洞窟を買い取って以来、長きにわたるユダヤ人の土地に危機が訪れています。 みなさん、銃をとりましょう。 アラブ人から身を守るのです」

ゴールドシュタインの墓には「聖なるバルフ・ゴールドシュタイン。ユダヤ人、トーラー(律法)、イスラエルに人生を捧げた」と刻まれた。彼による「宗教的行為」は、ムスリム殺害を目的とした、まぎれもない大量殺人だったにもかかわらず。

このような蛮行はユダヤ教を穢すものであり、ユダヤ的価値観を履き違えた行為ではないのか。
聖なる日に、聖なる祈りの場で、礼拝者に対して行われる殺戮こそ神への冒涜ではないのか。
神の名を語って振るう暴力はもっとも邪悪ではないのか。

こうした問いかけに、おそらく彼らは口をそろえてこう答えるだろう。「あなたがたにはわからない」と。

パレスチナ問題~ユダヤ人、1800年の迫害の歴史~

現在、パレスチナ人が居住するヨルダン川西岸地区とガザ地区をパレスチナと呼んでいる。
1994年に両地区はパレスチナ自治区となり、パレスチナ自治政府が置かれたが、イスラエルはもとより、G7諸国はすべてパレスチナを国家として承認していない。建国を果たしたイスラエルに対して、パレスチナは国際連合に未加盟のまま領土の多くをイスラエルの実効支配下におかれているのが現状だ。面積はヨルダン川西岸地区が三重県と同程度、ガザ地区が東京23区の6割程度で、現在もイスラエルの占領政策や入植活動によって縮小し続けている。

ことの発端は、はるか昔にさかのぼる。
かつてパレスチナの地にはユダヤ人の王国が栄えていた。やがて国はローマ帝国に滅ぼされ、ユダヤ人はパレスチナを追放されて世界中に離散する。その後、パレスチナの支配者は変遷を経て、イスラム教徒(現在のパレスチナ人)が定住した。

流浪の民となったユダヤ人を待っていたのは差別と迫害だった。
ユダヤ教の国で新しい教えを説いたイエス・キリストは、ユダヤ教の聖職者たちと対立して磔刑となる。のちにヨーロッパでキリスト教が広まると、神の子キリストを死に追いやったユダヤ人は神の敵とみなされた。
中世ヨーロッパの封建制度はキリスト教に根ざしたもので、非キリスト教徒のユダヤ人は社会からはじかれてヒエラルキーの底辺に位置づけられた。

土地をもてなければ農業もできない。結果として、彼らは商業や知的活動に従事せざるをえなくなる。その最たる例が金融業である。キリスト教世界では、金銭を貸して利息をとることは卑しい行為と認識されていたらしい。そして金融業の需要が増すにつれて、彼らは富を握るようになった。
信仰心に篤く、教育熱心でもあったユダヤ人は、知識階級において影響力をもつようになっていく。教育レベルが高く、富もあるとなれば、おそらく妬みもかっただろう。

そんなユダヤ人たちのあいだで、かつて祖国があったパレスチナに戻ろう、自分たちの国をつくろうという気運が高まる。シオニズムである。ところが、かの地にはアラブ人が住みついてしまった。簡単には戻れない。
それでもユダヤ人は次々とパレスチナに移り住み、同地の土地の買い占めを行った。

パレスチナの村の画像
■パレスチナの村

パレスチナ問題~悪名高い三枚舌外交~

パレスチナ問題の直接の引き金になったといわれるイギリスの三枚舌外交。それは第一次大戦中のことだった。
イギリスはユダヤ系財閥から戦争資金を引き出すために、パレスチナでの建国を支持すると約束(バルフォア宣言)。その裏で、オスマン帝国を切り崩すためにアラブ人にもいい顔をして、オスマン帝国と戦えば独立国家を認めるという協定を締結(フセイン・マクマホン協定)。さらに同盟国フランスとも中東地域を分割するサイクス・ピコ協定を秘密裏に結んだ。
こうした相反する約束をしたことが混乱を招き、双方の衝突の口火となってしまう。

第二次大戦中、ナチスドイツによるホロコーストがはじまると、ユダヤ人は次から次へとパレスチナに殺到した。当然、パレスチナのアラブ人は猛反発。各地で武力衝突やテロが起こった。パレスチナを委任統治していたイギリスは、シオニズムとアラブ民族主義の対立激化になすすべもなく、一方的に撤退。緊張状態のなか、1948年にユダヤ人はイスラエル建国を宣言する。

突如降ってわいたような建国宣言に、アラブ人の不満は一挙に爆発した。同時に、70万人を超える人々が故郷と家を失い、パレスチナ難民となってヨルダン川西岸やガザ、ヨルダン、レバノンなどの周辺諸国に散っていった。
アラブ諸国もこれに同調し、ヨルダン、レバノン、エジプト、シリア、イラクのアラブ連盟5か国がイスラエルと戦火を交えることになる。中東戦争の勃発だ。

パレスチナ問題~中東戦争に勝利したイスラエル~

アラブ諸国は軍事力でイスラエルに及ばなかった。
4度にわたる中東戦争は、いずれもイスラエルが勝利。結果としてアラブ人(以下、パレスチナ人)の領土はどんどん減っていき、ヨルダン川西岸とガザ地区だけになってしまった。

イスラエルの建国宣言と数次にわたる戦争からは、ユダヤ人の結束力と執念を垣間見る思いがする。のちのラビン首相やシャロン首相
のような天才的軍人が現れた幸運も、ユダヤ人は神の御加護と解釈したことだろう。そして、米国がイスラエルに武器の援助をしたことも勝因のひとつといえそうだ。

2020年代に入ると、米国の仲介によりアラブ首長国連邦がイスラエルとの国交正常化に合意。バーレーン、モロッコも続いた。
パレスチナはこうしたアラブ諸国の動きを「アラブの大義より実利をとった裏切り行為」と非難したが、パレスチナが孤立を深めつつある感は否めない。

パレスチナ自治区の風景
■パレスチナ自治区の風景

かなわぬ和平への願い

「乳と蜜の流れる土地」(肥沃な大地)と称えられ、十字軍やナポレオンの遠征など世界史の舞台にもなってきたパレスチナ。
イギリスの三枚舌外交、ホロコーストによるシオニズムの高まり、建国宣言と中東戦争など、パレスチナ問題は国際社会のなかで翻弄されながら、長い年月とともに混迷を深めてきた。イスラエルとパレスチナという二国家共存の夢は、いまだ解決のきざしがみえてこない。

問題の根底にふたつの悲劇があることはまちがいないだろう。
ひとつはユダヤ人が1800年の歴史のなかで世界中に離散し、迫害を受けてきた悲劇。苦難の果てに悲願の国を打ち建てた彼らには、二度と迫害されるようなことがあってはならない、そのために国を守らなければならないという強い思いがあるはずだ。それはおそらく、私たち日本人には推し量れないほど強い思いにちがいない。
そしてもうひとつは、パレスチナの地に根を下ろしていた70万もの人々がイスラエルの建国で故郷を追われてしまったパレスチナ人の悲劇である。

長い歴史が積み重なって生まれた、根の深い問題。それぞれの宗教をめぐる対立。エルサレムという三つの宗教の聖地を有し、他の領土紛争よりはるかに複雑な思いが入り組んでしまった紛争。
イスラエル政府は、2002年よりヨルダン川西岸地区を取り囲む隔離壁の建設を開始した。ベルリンの壁にたとえられるこの壁には、「ゴールドシュタインは永遠の人」という言葉がヘブライ語で書かれている。
いつの日か、バルフ・ゴールドシュタインがテロリストから聖人へと改められる日がくるのだろうか。
有史以来、宗教の名のもとに死んでいった人々の魂が、せめて安らかなることを祈りたい。

featured image:Itai, Public domain, via Wikimedia Commons
※一部の画像はイメージです。

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