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気軽に行ける奇祭!?太陽のまち八王子で開催される「八王子祭り」とは

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皆さんは東京都八王子市で毎年行われる八王子祭りをご存知でしょうか?
八王子市の中でも最大規模の祭りとして知られ、開催日には全国から沢山の見物人が押し寄せます。今回はこの八王子祭りの歴史や概要をリポートしていきます。

目次

八王子祭りのはじまり

八王子祭りの歴史は意外と浅く、1961年からスタートしました。開催期間は8月の第1週の3日間で、金・土・日に集中しています。しかし前身となる祭りは江戸時代から続いており、それぞれの町の代表者が雄渾な彫刻を凝らした山車(だし)を担いでせりあうなど、活気に溢れた情景が話題を集めます。観光客の中にはカメラを持った家族連れの外国人も多く含まれ、海外の注目度の高さが窺い知れます。

2003年(平成15年)には地域伝統芸能大賞を受賞し、関東屈指の山車祭りとして有名になりました。
祭りの中心となる神輿の担ぎ手は各町内の氏子たち。多賀神社の祭礼を「上の祭り」、八幡八雲神社の祭礼を「下の祭り」と呼び慣わし、粋な法被を羽織って鉢巻をきりりと締めた男衆や女衆が入り乱れて山車を掲げました。

1960年代から1990年代まではパレード中心の市民祭でした。山車行列が脚光を浴び始めたのは、やっぱり地域伝統芸能大賞を受賞した影響が大きいでしょうね。

八王子祭りの華 山車の見所

八王子祭りの前身である山車祭りは三百年の歴史と伝統を誇ります。即ち、三百年前の山車が今も現役で出陣しているのです。この山車は町内ごとに異なる特色を持ち、彫刻の意匠が違っています。

江戸時代中期から明治時代中期にかけては、山車の上で浄瑠璃人形を操り踊らせる、人形山車が庶民に親しまれました。人形のそばには黒子が控えます。

八王子大空襲の犠牲に!?山車の消失

そんな八王子祭りですが、戦争の悲劇と分かち難く結び付いているのを忘れてはいけません。第二次世界大戦にて、日本の市中はB29を代表する米軍機の爆撃にさらされました。八王子も勿論例外ではなく、終戦が目前に迫った1945年8月2日に、八王子空襲と呼ばれる大規模爆撃をうけます。死者はのべ445名、負傷者は2千人以上。軍需工場の労働者や都心から疎開してきた人間が多いことが狙われた理由でした。

この時に八王子祭りの山車の大半が焼失。甚大な損害を被ったものの後年に修復され、現在は合計19台の山車がお祭りに雄姿を見せています。山車は太陽のまち・八王子復活のシンボルなのです。

耳から離れない八王子音頭

八王子祭り当日は駅付近の甲州街道に250軒以上の露店が犇めきます。他にUロードでは氷の彫刻展などのイベントが催され、人々を大いに沸かせました。
「太陽のまち~はちおうじぃ~」のフレーズに乗せ着物姿の男女が踊る民謡流しは、山車と並ぶ見所です。八王子に来られた際はぜひ見学してください。

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