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都内最大の心霊スポット「八王子城址」とは?歴史や逸話を解説

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皆さんは都内最大の心霊スポットと聞いてどこを思い浮かべますか?幼女連続殺人犯・宮崎勤の犠牲者の霊がさまよっているとされる旧小峰トンネル、洪水のたびに大量の水死体が流れ着く荒川旧岩淵水門、数々の著名人が眠る雑司ヶ谷霊園他、平将門の首塚なども有名ですね。
今回は関東圏の心霊スポット特集に、ほぼ必ずランクインしているといっても過言ではない、八王子城址の歴史や逸話をご紹介していきます。

目次

戦国時代の小田原征伐に遡る八王子城址の歴史

八王子城址は東京都八王子市元八王子町に存在する、戦国時代の城の史跡です。
この史跡は地元民に通称・城山と呼ばれる山の麓にあり、行楽シーズンには大勢の家族連れや遠足に来た小学生で賑わいます。

八王子城ができたのは十六世紀、戦国時代の真っ只中。城主は北条氏康の三男・北条氏照で、北条氏の本拠地にあたる小田原城を支える、重要な軍事拠点でもありました。
八王子城を一躍有名にしたのが、天正18年6月23日(西暦1590年7月24日)に強行された豊臣秀吉による小田原征伐。
この時八王子城は上杉景勝・前田利家・真田昌幸ら名だたる武将で構成された豊臣軍に急襲され、絶体絶命の窮地に立たされました。

城主の氏照以下主たる家臣は小田原本城におり、八王子城内には留守を預かる一部の家臣、領内から避難した女子供や百姓が取り残されます。
その数はおよそ3千名、対する豊臣勢は1万以上。もちろん勝ち目はありません。
豊臣勢は霧に乗じて移動し、現在の元八王子町方面と下恩方町方面から、二手に分かれて攻め入りました。両軍の激突がもたらした被害は甚大で、死傷者千人を超えたそうです。

されど抵抗虚しく追い詰められ、八王子城内で孤立した婦女子は、自らの首を切って果てるか、御主殿の滝から身を投げて亡くなりました。犠牲者の中には北条氏照の正室・比左や、その側仕えも含まれます。
八王子城合戦は豊臣勢の圧勝で幕を閉じました。城主の北条氏照は兄・氏政と共に切腹、八王子城は落城します。
余談ながら城内の人々が自害を選んだのは、難攻不落の小田原城を落とす為、武将の妻子の首を小田原の丘に並べた、豊臣勢の悪行を阻止する為でもありました。

辱めをよしとせず自害した城主の妻 比佐、蜘蛛に生まれ変わった側室 お豊

北条氏照の正室 比左(ひさ)は、以上の経緯から薄幸の奥方、悲運の姫として扱われています。
比左の父親は大石定久。一説によると大石綱周とも言われています。大石定久は上杉憲政から離反後、北条氏に仕え、主君の三男・氏照を比佐の婿養子に迎えたのです。

比佐は大変信心深く心優しい女性で、側室たちとの仲も良好でした。
のちに氏照の息子を産む側室 お豊は、自分で集めた観音像を熱心に拝む比佐に感化され、慈悲の心に目覚めます。
ある時の事、お豊は城お抱えの植木職人が、蜘蛛を踏み潰そうとしているのを目撃しました。
比佐の薫陶を受けたお豊は、植木職人の無体を諫め、哀れな蜘蛛を山に逃がしてやります。

落城の際、お豊は幼い若君をひしと抱き締め、御主殿の滝から身を投げました。
その後、城山川の周辺では子を背中にのせた蜘蛛を多く見かけるようになりました。
これはお豊と若君の生まれ変わりとされ、今なお息子を背負い守り続けるけなげな姿が、人々の涙を誘いました。
一方の比佐も天正18年6月(1590年)、ご主滝の滝で自害したと語り継がれています。

御主殿の滝から飛び下りた人々の中には、里から徴兵された百姓や、その妻子も多くいました。
筆者も実際行った事がありますが、高さ自体はそれ程でもなく、飛び下りた所で即死できるかは怪しいです。
故に多くの者は飛び下り前に短刀で首を斬り、その血で滝壺を真っ赤に染めました。水深が浅い分、固い岩盤に叩き付けられるダメージは侮れません。

実は比佐には生存説もあり、そちらでは八王子城の戦いを生き延びた後、犠牲者の菩提を弔うために出家して尼となり、鎮魂の笛を吹いて暮らしたそうです。
尼僧としての名前は「月霄峯(院)暉窓祐晃尼庵主」。享年は48歳とされています。

薙刀を振るい戦った17歳の美姫 布衣

八王子城を守り、勇敢に戦ったのは男だけではありません。布衣は武将・近藤出羽守の娘にあたる、美しく聡明な17歳の少女でした。八王子城が攻め込まれた際は、北条家の出城・榎本城に滞在していた父に代わり、家来と共に薙刀を振るって戦いました。
とはいえ女の細腕では多勢にかなわず、戦火に巻かれ火傷を負い、命からがら逃げだしました。
顔と体が醜く焼け爛れた布衣は、将来を悲観するあまり、御霊川への身投げを思い立ちます。

最愛の父と再会果たせず死ぬのは無念なものの、敵兵の慰み者になる位ならいっそ、と悲観したのです。憎き敵の前に、変わり果てた姿をさらす事も矜持が許しませんでした。
布衣の身投げの直後、清い流れに変化が起こります。御霊川の水面が瞬く間に淀み、遺体を深く深く沈めてしまったのです。
以来御霊川は湯殿川と名を変え、薄幸の美姫の骸を慈悲深く隠し続けているのでした。

赤飯の由来は落ち武者の血に染まった川?あかまんま伝説

武将の妻子や百姓が身投げした御主殿の滝は城山川に繋がっています。この川には八王子城を守る兵の遺体も浮かび、落城後は三日三晩、流れ出る血で赤く染まり続けました。
故に地元におけるあかまんま(赤飯)とは、城山川の水で洗った米を炊いたものをさします。

合戦前の城山川はとても美しい川でした。
合戦後は何故か蛭が大発生し、「落ち武者の血の筋が蛭に化けて泳ぎ去った」と恐れられます。
この蛭たちは地元民に決して危害を加えず、八王子城の北・・・豊臣勢の陣地から来た者の血だけを吸ったと言われています。

八王子城址は本当に心霊スポットなのか?

以上、八王子城址の歴史を解説しました。一日で落城した悲劇の史跡であり、八王子城所縁の霊が出てもおかしくありません・・・が、本当に心霊スポットなのでしょうか?
俗に幽霊の寿命は四百年と言われています。徳川勢と豊臣勢が激突した関ヶ原の霊が、近年急に減少したのも、寿命を迎えて成仏した説が有力とされています。

この説を採用するなら、五百年近い歳月が経過した八王子城址に、現在も霊がさまよっているかは疑問ですね。
ある霊能者が霊視した所、八王子城址の霊は大半が人形のようにぼんやりし、全く意志が感じられないと結果が出ました。
もしあなたが八王子城址で白い影を見たら、それは恨み辛みを持った悪霊にあらず、合戦時の残留思念かもしれません。

『ダークギャザリング』『RDG レッドデータガール』にも登場

八王子城址はアニメや漫画にも多く取り上げられています。記憶に新しい所では2023年夏アニメ、『ダークギャザリング』。原作はジャンプスクエアで連載中の近藤憲一の漫画です。
該当回は2023年9月放送の第11話『H城址 危険度S』。強力な霊を仲間にする為、全国心霊スポット行脚を計画した主人公が真っ先に訪れたのが、H城址こと八王子城址でした。

アニメ内では「全国版と東京版、両方に名を連ねる危険な場所」と紹介されており、紙垂が下がった木製の鳥居や木枠の階段など、史跡の様子を忠実に再現した映像は見ごたえたっぷりでした。このエピソードに登場する霊は、『ダークギャザリング』には珍しく主人公たちに協力的な善霊であり、読者人気がとても高いです。

正室の比佐、側室のお豊、あるいは布衣か・・・正体を考察してみるのも楽しいかもしれません。
2013年のアニメ『RDG レッドデータガール』にも、主人公たちが八王子城址の悪霊を退治に行くエピソードが登場するので、気になる方はぜひチェックしてください。

見学の際は死者への敬意を忘れずに

以上、都内最大の心霊スポット・八王子城址の逸話をご紹介しました。
地元出身の筆者にとっては、毎年遠足に行った思い出の場所なので、心霊スポット以外の魅力もお伝えできたら幸いです。

※画像はイメージです。

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