「ゆうべは一睡もできなかった。屋根裏から、人が歩き回るような音が夜通し聞こえてくるんだよ。懐中電灯を持っていってのぞいてみたんだが、くそったれ、誰もいやしねえ。なーに、こっちにはライフルがあるから怖いことはないんだが・・・」
その日の午後、ヒンターカイフェック農場のアンドレアス・グルーバーは立ち寄った金物店でそうこぼした。
「ここ数日、家がなんだか気味が悪いの。心配だから、今日は早く帰るわね」
別の店で、娘のヴィクトリアも同じような話をした。二人がそう言って町をでたのが、父娘の最後の姿となった。
血の惨劇がおきたのは、その夜のこと。
被害者は農場主アンドレアス、妻ツェツィーリア、夫妻の娘ヴィクトリア・ガブリエル、ヴィクトリアの長女ツェツィーリアと長男ヨーゼフ、住み込み使用人のマリア・バウムガルトナー。
犯人(たち)は一家を皆殺しにして雪のなかに消えた。そして法の裁きを受けぬまま、永遠に勝ち逃げしたのだ。
ヒンターカイフェック事件は小説より奇なり
クローズド・サークル系ミステリの金字塔を問われたら、多くの人がクリスティ女史の『そして誰もいなくなった』を筆頭に挙げるだろう。
しかし「事実は小説より奇なり」とはよくいったもので、推理小説的ディテールが満載の怪事件は現実に報告されている。ドイツ犯罪史においてもっとも謎に満ちた未解決事件として、世界中の推理マニアが謎解きに精をだすヒンターカイフェック事件もそのひとつだ。
最初にお断りしておくが、本事件はクローズド・サークルの条件を満たしているわけではない。舞台は外界と隔絶した絶海の孤島ではないし、吹雪に閉ざされた山荘でもない。当然ながら、輪に閉じ込められた人々の中に犯人がいたという大団円もやってこない。
犯人が一家を殺害したあとも犯行現場にとどまり、飲食していた形跡があることから、一時期は世田谷一家殺害事件との類似性も指摘されたこの事件。マニアを引きつけるファクターは、おそらくこういうところではないだろうか。
- 舞台が「閉鎖的な農村の、そのまた孤立化した農場」というできすぎ感
- 被害者一家の嫌われ者キャラと近親相姦ネタ
- 犯人の用意周到さ&大物感
- 「家がなにかに憑かれている」というオカルト要素
- 捜査に霊媒術を採用したミュンヘン警察のインパクト
なお、犯行現場となった農場の名義は事件の数年前にグルーバー夫妻から娘のヴィクトリアに移っており、形式上の農場主はヴィクトリアになるのだが、実質的な農場主・家長は父親のアンドレアスだったことから、本稿では彼を農場主と記述するのをご了承いただきたい。
禁断の秘密
今からちょうど100年前のこと。
第一次世界大戦の終結から日も浅く、帝国時代の名残が色濃く残るバイエルン州の片田舎に、ヒンターカイフェックというさびれた農場があった。近隣に民家はなく、南東には「魔女の森」と呼ばれる森が広がる、村はずれの一軒家である。
家長のアンドレアスは変わり者のうえ吝嗇(りんしょく)家で、近所づきあいを好まない。娘のヴィクトリアは戦争未亡人で、村でも評判の美人。偏屈な父親がついてはいるものの、嫌われ者の親父ほど周囲にうとまれる存在ではなかったようだ。
ヴィクトリアはその後、村人のロレンツ・シュリッテンバウアーと恋仲になり、ヨーゼフを出産。ロレンツはヨーゼフを認知してヴィクトリアと結婚するつもりでいたが、偏屈親父に交際を禁じられて仲を引き裂かれる。人々は、ヨーゼフの本当の父親はアンドレアスではないかと噂した。アンドレアスが以前から娘を虐待し、近親相姦行為におよんでいたことは村中で知らぬ者はない公然の秘密だった。
同時代の人々の証言を総じていえば、村人はグルーバー一家と距離をおき、腫れ物にさわるように扱っていたとみてまちがいはないだろう。事件の発覚が遅れたのも、こうした背景を思えば腑に落ちる。
異変
アンドレアスが屋根裏から聞こえる不気味な音の話をしたあくる日の4月1日、7歳のツェツィーリアは学校を無断で休んだ。
昼ごろに行商人が注文のコーヒーを届けるために農場を訪れる。しかしドアには鍵がかかっており、ノックしても返事がない。行商人はSの家に寄り、グルーバー家にコーヒーを届けに行ったが留守だったと話した。
翌2日は日曜日。一家は日曜の礼拝に顔をみせなかったが、人々はさほど気にとめなかった。昨夜、農場の煙突から煙が立ち上っていたからだ。
4月3日、ツェツィーリアはこの日も学校にこない。畑で農作業をしていたミハイル・ベルが、グルーバー一家の屋敷が妙に静まり返っているのを不思議に思った。
4月4日、ツェツィーリアの無断欠席がつづく。しかし近隣住民はまだ動かない。
アンドレアスに発動機の修理を頼まれた修理工が昼前に農場を訪問したが、いくら呼んでも応答がない。このままでは他の依頼も片づかないということで、発動機が置いてある小屋の錠前を工具でこじ開け、中に入って修理を終わらせた。帰る道すがら、庭仕事をしていた若い女性に「ヒンターカイフェックに発動機の修理に行ったんだが、誰もいないんだ。旦那さんや奥さんを見かけたら、修理は終わってると伝えておいてくれないか」と頼んだ。あとで女性が家族にこの話をすると、「そういえば、何日か前にも誰かが同じことを言ってたな」という言葉が返ってきた。
夕方になって、ようやく村人たちが一家のようすを見にやってくる。そのなかにはヴィクトリアのかつての恋人ロレンツ・シュリッテンバウアーの姿もあった。
困ったことに、農場の扉はすべて鍵がかかっている。じつはこのとき、納屋の西側の戸だけが施錠されていなかったのだが、彼らはそれに気づかず、別の戸を蹴破って中に入った。奥に進もうにも薄暗く、目が慣れない。つぎの瞬間、ミハイル・ペルとヤコブ・ジーグルが悲鳴をあげて外に飛びだした。そこにいたのは、戸板や藁で覆われた男女と小さな女の子。下からのぞく血まみれの脚。
ロレンツがただ一人、奥の母屋に駆けていく。
「おれの息子はどこだ!」
悲痛な声が響いた。
深まる謎
3月31日の夜から翌日未明にかけて何がおきたのかは生存者がいないため正確にはわかっていない。
しかし現場の状況と検視結果から、グルーバー夫妻、ヴィクトリア、幼いツェツィーリアは一人ずつ納屋におびきだされ、つるはし状の凶器によって殺されたことがわかった。そのあと犯人は母屋に侵入し、寝室の乳母車で寝ていた2歳のヨーゼフの頭を砕き、使用人部屋でマリアを殺害。マリアはメイドとして雇われたばかりで、当日の午後に故郷の町を発ち、夕刻に到着して事件に巻き込まれた。殺されるために奉公したようなものだ。
この事件の特徴は、被害者の頭部・顔面への攻撃が顕著であることにつきる。傷口も丸型や星型、三角型のものが混在するほか、ぱっくりと裂かれた切り傷があるなど不可解な点が多い。
多くの謎が残されていたのは農場の中も同じだった。水と餌が与えられていたらしい家畜と番犬。乳を搾られた牛。キッチンでパンや燻製肉を食べた形跡。納屋の屋根裏には足音を消すための藁が敷かれていて、そこに犯人が寝ていたと思われる複数のくぼみや肉の食べ残し(人糞とする証言もある)が見つかった。また畜舎と納屋の屋根瓦は数枚ずらされており、さながら前線の観測所のように、屋根裏にいながら農場への人の出入りが確認できるようになっていた。屋根裏は母屋・畜舎・納屋のすべての部分にあり、仕切りがないため、屋内を自由に移動できる。
犯人は用意周到に計画を練り、犯行前から犯行後にかけて大胆にも農場に潜伏していたことになる。しかし、それならば物色する時間はありそうなものなのに、金品はほぼ手つかずのまま。以上のことから、犯人は物盗りではなく、一家に深い恨みをもつ者ではないかと推察された。また顔見知りの可能性が高いことも、納屋に呼びだして殺害するという方法から導かれた。
事件前の奇妙な出来事
事件前、農場周辺では凶兆ともとれる不思議な出来事がおきていた。
- 雪上の足跡
3日29日の夜に雪が降った。事件前日(30日)の早朝、アンドレアスは残雪にくっきりと残った不審な足跡を見つけている。しかし魔女の森から農場へと向かう足跡があっただけで、帰っていく足跡はなかった。 - 鍵の紛失
このときグルーバー家では鍵がなくなっていた。それだけでなく、心当たりのないミュンヘンの新聞が敷地内に落ちていたり、誰かが建物に侵入しようとした形跡があるなど不気味な出来事が相次いでいた。 - 使用人が残した言葉
マリアの前の使用人は、明らかに何かにおびえていた。「この家は何かにとり憑かれている」という言葉を残して、彼女は農場を去った。
叫び声がどこまで届くかという実験
4遺体の発見現場である納屋の飼料置き場から、母屋の寝室および使用人部屋まで叫び声は届くのか。
当局による実験では、飼料置き場・寝室・使用人部屋にそれぞれ人を立たせ、決められた時間に飼料置き場で叫び声をあげさせて、その声が寝室と使用人部屋の人間に聞こえるかどうかを試した。
その結果、叫び声はまったく届かなかった。
難航する捜査~霊媒師のもとへ送られた6人の首
ミュンヘン警察は現場検証、遺体の検視、凶器の捜索、聴き込み、事情聴取など、当時の彼らなりに尽力した。
6人の遺体は検視のあと首が切断され、ミュンヘン大学にて標本処理が施され、ニュルンベルクの女性霊媒師のもとへ送られている。
しかしこの捜査手法をもってしても、めぼしい成果は得られなかった。
結局、単独犯か複数犯かということさえ突き止められず、動機も不明のまま、多くの容疑者が捜査線上に浮かんでは消えていった。自供が得られなければお手上げの状況だったことがわかる。
1955年に捜査は事実上終了、事件のファイルは閉じられる。
被害者の頭部は第二次世界大戦の混乱で行方知れずになってしまった。現在、ヴァイトホーフェンの教会墓地に眠るのは首のない遺骸である。
容疑者たち
捜査線上に浮上した数百名もの容疑者たち。しかし彼らは、いずれもアリバイの存在や証拠不十分により逮捕には至らなかった。
本稿では事件直後から犯人説が根強くささやかれてきた二人の人物にフォーカスする。
ヴィクトリアの亡夫 カール・ガブリエル説
まずはヴィクトリア・ガブリエルの夫カール・ガブリエル。彼は1914年に第一次世界大戦に従軍し、同年12月、西部戦線において戦死したと伝えられてきた。ところが——。
じつはカールは死んではおらず、ある日、ヒンターカイフェックにふらりと舞い戻った。戦地に赴いているあいだ、愛する妻はこともあろうに実の父親と過ちを犯し、子どもまでもうけていた。妻と義父の許しがたい裏切り。カールは逆上し、一家全員を亡き者にして、忌まわしい過去から逃れるためロシアへ逃亡した。
いかにも小説的な筋書きだが、本当のところはどうだろう。ヨーゼフについていえば、1914年にカールが出征・戦死したのが事実であるなら、またヨーゼフがカールの子であるなら、事件がおきた1922年に2歳ということはありえない。しかしツェツィーリアは実の娘である。わが子まで殺すだろうか、という点がまずひっかかる。もっとも、ツェツィーリアの父親すら疑ってしまったのなら話は違ってくるけれど。
それはさておき、「カールは生きていた」というのは事実なのか。
カールが戦死したことを前提に、捜査当局が遺体の行方を調べたところ、「戦死した場所の近くに所属部隊によって埋められた」という大まかな情報がつかめただけで、具体的な埋葬場所については長らく不明だった。しかし近年の調査によって、フランス北部のサンローランブランジーの戦没者墓地に埋葬されていることがようやく判明したのである。同墓地に眠る戦没者については、遺体の確認ができた者のみ個別に墓碑が建てられ、確認ができなかった者は銘板に集団で名前が刻まれた。カールの名前は銘板にあることから、遺体の確認ができなかった戦死者であることがわかった。こうした経緯は当時の人々は知る由もなく、じつはカールは生きていたという憶測が生まれたのだろう。
ちなみに、事件後まもなく農場をめぐる遺産相続争いがおきているが、相続したのはカールの父親だった。父親はすぐさま建物を取り壊した。血痕や毛髪が付着した、凶器とみられる大型のつるはしや金属製の輪が見つかったのはこのときである。犯人どころか、ガブリエル家はむしろ捜査に多大な貢献をしたと筆者は思う。
第一発見者 ロレンツ・シュリッテンバウアー説
近隣住民から真っ先に疑惑の目を向けられた男がいた。ヴィクトリアの元恋人で、ヨーゼフの戸籍上の父親で、偏屈親父に結婚を阻止された、ロレンツ・シュリッテンバウアーである。
彼には確固たるアリバイがなかった。ペルとジーグルが肝をつぶして納屋から飛びだしていくなか、気丈にも母屋へ向かい、鍵のかかった玄関のドアを内側から開けて、二人を屋内へ導き入れた不思議。ドアは内側からも鍵をかけられる造りで、このときロレンツが開錠に使った鍵こそ、アンドレアスがなくしたと言っていた鍵だった。
ミュンヘン警察による事情聴取
「アンドレアス・グルーバーは鍵をなくしたのですよ。それなのに、なぜあなたがその鍵を持っていて、中からドアを開けることができたのです?」
「彼が鍵をなくしたのは知っています。でも鍵は玄関の内側に置いてありましたよ。紛失した鍵がなぜそこにあったのか、私が知っているとでも?」
「なるほど。そこに置いたのは犯人だと言うのですね。では聞きます。犯人は玄関に内側から鍵をかけ、そこに鍵を置いたまま、どうやって外にでたのでしょう?」
「屋根裏を通って納屋の上まで行ったんだと思います。納屋の天井から縄がぶら下がっていましたから。その縄を伝って下に降り、西側の戸から逃げたのでは? 西側の戸は施錠されていなかったんでしょう?」
ほぼ完璧な抗弁である。つまり彼は、鍵を盗んだのは犯人で、犯人は犯行後に玄関の内側から鍵をかけ、そこに鍵を置き、屋根裏を経由して逃亡したと主張したのだ。そしてそれは自分ではない、と。
かつて偏屈親父の反対にあい結婚が叶わなかったこと。
ヨーゼフの出生にまつわるタブー。
父娘を近親相姦の罪状で告発し、刑務所に叩き込もうとした過去。
ロレンツにはグルーバー一家との因縁がありすぎた。
「ヨーゼフはあなたの子どもだったのですか?」
「さあ、今となってはわかりません」
「では質問を変えます。事実はどうあれ、あなた自身はヨーゼフをわが子と思っていましたか?」
「それも言えない」
この質問には慎重に言葉を選び、答えを濁している。当然だ。もし「私の息子だと思っていた」と答えれば、「あなたはヨーゼフを罪の子だと騒ぎ立て、父娘を告発したではないか」と追及される。逆に「わが子だとは思っていなかった」と答えれば、「あなたは遺体発見時に『おれの息子はどこだ』と言って母屋に駆けていったではないか」と突っ込まれてしまう。事件発生前と発生後の言動が矛盾するのはなぜなのか。
動機が怨恨であるならば、疑惑の目を向けられるのは、やはりロレンツ・シュリッテンバウアーだろう。
本事件の主任捜査官を引き継いだマルティン・リートマイヤーは、「彼はヨーゼフを自分の子どもだとは思っていなかったはずだ」との見解を示しているが、この読みは当たっていると思われる。なぜなら、そうであれば怨恨のようにみえる犯行の説明はつくし、2歳の幼児さえ惨たらしく殺したのも納得がいくからだ。
犯人激白!「私ははめられた」
ここから先は妄想劇場。
アンドレアスは告発したロレンツを憎み、一計を案じて、「訴えを取り下げ、お腹の子を認知してくれればヴィクトリアとの結婚を許す」ともちかけたのではないだろうか。彼女との結婚を望むロレンツは取引を受け入れる。ところが逮捕収監を免れたとたん、アンドレアスは態度を翻した。ここに至って、ようやくロレンツは自分が利用されたこと——グルーバー父娘を刑務所行きから救うために罪の子を認知するだけの滑稽な役回り——に気づいたのではないか。ひょっとしたら最初は、この一件をネタにグルーバー家から大金をゆすり取ろうとしたかもしれない。しかし締まり屋のアンドレアスに通用するはずもない。
「なにを言っているんだよ。一家を皆殺しにしちゃったら、真っ先に疑われる立場の人間がやるはずないじゃないか。やったとしても物盗りの犯行に見せかけるはずじゃないか。戸棚や引き出しをひっかき回し、書類をそこらじゅうにばら撒いて、金貨も銀貨も宝石も奪ってたはずじゃないか!」
おっしゃる通りである。しかし、よけいな工作をすればするほど物証が残りやすくなる。自分が殺しや窃盗のプロではないことぐらい認識していただろう。彼がなんとしても避けねばならなかったのは、犯行現場にうっかり自分の名刺を置いていくことではなかったか。動かぬ証拠というやつだ。
ロレンツ・シュリッテンバウアーが容疑者リストから外された驚きの理由も付記しておこう。
ひとつは証拠不十分だったこと。疑わしきは罰せずの大原則で、これは理解できる。もうひとつは、村長が彼の潔白を捜査当局に訴えたからだというのだ。村長の直訴の経緯が不明なため安易に推測はできないが、もしかしたらロレンツは偽装工作の必要すらなかったのかもしれない。
藁床の複数のくぼみ&家畜に餌が与えられていた形跡の謎
「なにを言っているんだよ。ロレンツが犯人なら単独犯じゃないか。屋根裏には犯人たちが寝ていたくぼみがいくつもあったんだよ。
牛や犬にもご飯をあげていたんだよ。やさしい人たちじゃないか。それに煙突から上がる煙が目撃されてるんだから、犯行後も農場にいたのは確かだよ。これはどう説明する?」
そこなのだ。あたかも複数人が寝ていたようなくぼみが屋根裏にあったことから、この事件は複数犯による強盗殺人だと主張する人もいる。しかし「複数のくぼみ」が犯人「たち」を意味するとはかぎらない。単独犯であっても日によって寝る位置が変われば、あちらこちらにくぼみができてもおかしくはないからだ。また目的が金であるなら、時間的余裕がありながら多額の現金を現場に残すという取りこぼしはお粗末すぎる。一人ずつ納屋に呼びだして殺害した手際が見事であるだけに。
では牛や鶏や犬に餌が与えられていた形跡は?
これについても、あたかも愛情をもって世話していたように聞こえるが、おそらくは愛情や善意による行為ではないだろう。この事件では犯行現場に多くの動物たちがいた。もし筆者が犯人なら、腹をすかせた彼らに鳴き声をあげられては困る。暴れるなどもってのほかである。犯行後も現場にとどまっていたのは、近隣住民が早々に異変に気づくことのないよう目配りをするためだったのではないだろうか。
「意外と一家心中が真相だったりして?」
ややこしいのでそういうことにしたいが、一家心中ではないから謎は深まる。
神父は犯人を知っていたか
いまだ解決の光明が得られないこの事件。しかし、もしかしたら真犯人を知っていたかもしれない人物が一人だけいた。それは当地の教会の司祭である。
事件当時、バイエルン地方はカトリックの勢力が強い地域だったため、犯人が告解を通じて真実を告白した可能性があった。洗礼を受けた者が神の教えに背いて咎人となったとき、それを神父に明かすことで赦しを得る。一方の神父には、信徒が明かした告解の内容を他言してはならないという絶対的な守秘義務がある。いわゆる「告解室の封印」である。信徒の言葉は神への告白であり、神父は代理人なのだ。14世紀、ボヘミア王妃の告解の内容を王に明かすことを拒否したために、ヴルタヴァ川(モルダウ川)のカレル橋から投げ落とされた司祭の話は広く知られる。
なにひとつわからないまま、今日も事件が風化していく。容疑者や生き証人は、すべてこの世を去ってしまった。
100年前、どんな狂気がそこにあったのか、私たちが知るときはくるのだろうか。
事件現場のかたわらに立つ祠は、静かに、無力に、その日を待ちつづけている。
※画像はイメージです。
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