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イザナギとイザナミの間に生まれた忌み子の運命~ヒルコ信仰の実態

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日本最古の神話として語り継がれる『古事記』。日本の成り立ちを綴ったその中で、イザナギとイザナミの第一子として誕生したヒルコのことを、皆さんはご存知でしょうか?
今回はフィクションで見聞きすることも多いヒルコの実態、及びヒルコ信仰の詳細を解説していきます。

目次

ヒルコとは?イザナギとイザナミに捨てられた不具の神

日本最古の神話『古事記』では、イザナキ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)の国産みの起源が語られています。大昔、日本列島は存在しませんでした。そこには混沌とした不定形の大地だけがありました。神々の世界・高天原から遣わされた男女二柱の神、伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の夫婦は、この大地を完成させるように命じられます。

その際に大地をかき回す天沼矛(あめのぬぼこ)を授かり、混沌をかき混ぜ、現在の日本列島の原型となる島々を生みます。
国産みが一段落したのち、伊邪那岐と伊邪那美はオノロゴ島に降り立ち、神産みにとりかかります。
が、ここで思いがけない失敗を犯しました。
子作りの際に女神であるイザナミの方から誘いをかけたことで、第一子は不具の子として生まれてきたのです。

ちなみに子作りにも決まりがあり、二人は天御柱の周囲を巡り、出会ったところで「阿那迩夜志愛袁登古袁(ああ、なんていい男!)」とイザナミが感嘆。イザナギがこれにこたえ、「阿那邇夜志愛袁登売袁(おお、なんていい女だ!)」と褒めて交わり、産み落とされたのがヒルコでした。早い話、イザナギが最初にイザナミを認めて褒めるのが正しい手順だったんですね。

掟に背いて生まれた第一子は水蛭子(ヒルコ)と名付けられ、葦船に乗せて流されます。
『日本書紀』では頑強な樟の船とも言われていますが、いずれにせよ船に入れて流される経緯は同じですね。

ヒルコは骨がない?

ヒルコの姿形に纏わる具体的記述は省略されています。イザナミは「わが生める子良くあらず」とだけ言っており、どこに問題があるかは言及されてないので、想像を逞しくするしかありません。

水蛭子、ならびに次子の淡島神は同様に不具であった為、イザナギ・イザナミの子には数えないとされています。水蛭子ほど知名度はありませんが、淡島神も葦船に入れて流しているあたり、イザナギ・イザナミは育児放棄の祖と言えるかもしれません。
なお現代の解釈では、水蛭子は水蛭のような四肢の奇形児だった、と唱えられています。もしくは胞状奇胎と呼ばれる、人の形を成さない胎児をさすというのが定説です。

胞状奇胎とは戦前ぶどう子と呼ばれた疾患。子宮内に葡萄の房に似た粒状の異物が大量発生する病気で、日本では500人に1人の確率で起きるとされており、特に高年齢の妊婦に多く見られます。
もっと単純に考えれば「蛭」の字から連想される骨がない子、足腰の立たない子というのが有力。
ならば自立歩行ができない神に国作りは無理と考え、育児放棄に至ったのではないでしょうか。
沖縄方言では足腰の立たない状態を「ビル」といい、これがヒルコの語源と結び付いたと見ることができます。

日本神話から抹消されたヒルコの消息

イザナギ・イザナミに捨てられて以降、ヒルコの消息はわかりません。『古事記』『日本書紀』には一切登場せず、ただ「葦船に乗せてオノゴロ島から流された」とだけ書かれています。

『古事記』は神道の価値観と深く結び付いており、それ故死や病を穢れとして忌み嫌いました。
実の子を直接手にかけず、わざわざ葦船を編んで海に流す行為は、子殺しを否む親心と禊を兼ねているのかもしれません。葦船である理由もちゃんと存在し、「悪しきを祓うから葦」、と紐付けられています。

この説を採用した場合、イザナギ・イザナミの嫌悪感が伝わり、なんとも切ない気分にさせられますね。
他、害虫を葉の舟に乗せて海に流す行事、「虫送り」の模倣とも言われています。
私が確認した中では「葦の生命力の強さにあやかり、蛭子を守護する船」とする説が、最も好意的な解釈でした。

ヒルコは兵庫県の西宮神社に祀られている

公式の記録から抹消されたヒルコですが、兵庫県の西宮には、ある伝説が残っています。
ヒルコは長い間大海を漂流したのち、現在の兵庫県西宮市の海岸に流れ着きました。その頃には神に引き続き人も生まれており、地元民に保護された彼は、来訪者を意味する「夷(えびす)」の名を付けられ、大事に育てられたそうです。

ヒルコの漢字表記は「蛭子」で「えびす」とも呼びます。七福神のえびす様をご存知の方は、両者のルーツが同じだとすぐわかったのではないでしょうか?
えびす様は財運と漁業の神様。昔の人々は外来の神が富をもたらすと信じ、敬意を払って崇め奉りました。
また、えびす様の別名は寄り神ともいい、クジラを含む漂着物への信仰が形を成したものともされ、水蛭子の正体をクジラとする、トンデモ仮説が流れています。

そもそも水蛭子の大きさの記述はない為、イザナミが産んだクジラを海に還した、とする考えは否定できません。
水蛭子の神としての名は蛭子命(ヒルコノミコト)。両親に捨てられた不遇の生い立ちは同情に値しますが、漂流先の土地で丁寧に祀られたなら、まだしも救いはあるのではないでしょうか。

ヒルコと天照大神の意外な関係

日本神話のスターとして有名な天照大神。ひきこもりの先駆けとして名高いこの女神と水蛭子は、意外な関係を持っていました。天照大神の別名は日女(ヒルメ)。『日本書紀』において大日孁貴(おほひるめむち)とも表記され、太陽を神格化した女神として挙げられます。ヒルコには日子の字があてられ、日女の対となる、尊い存在と見なされました。読んで字の如く、ここでの日子は太陽の化身の男神。彼が乗せられた葦船は、世界各地の神話に登場する太陽船にあたります。もともとは天照大神の対となる男の太陽神だったものの、『古事記』編纂までに天照大神と同化し、水蛭子の名前だけが残ったわけですね。

ヒルコの「る」は「の」の古形であり、正しい読み方は日子(ヒノコ)。「る」は霊気をさし、「昼」は日の霊気が満ち渡った時間帯を意味する、といった解釈も無視できません。
悪い事が起きるのは大概夕方の逢魔が時、あるいは深夜が丑三ツ時。昼に怪奇な事が起きる例は稀なので、蛭子の忌み名に転じる前は、日子こそが太陽信仰を司っていた可能性が高いです。
日本は八百万の神の国。ただでさえ膨大な数がいる上、同じ性質の神が男女二柱存在するのは紛らわしいですし、時代が下るに伴い統一されたとする考えは説得力がありました。

平安時代の歌人に哀れまれたヒルコ

今でこそえびす様の前身として崇められているヒルコですが、平安時代には可哀想な神様として定着していました。
平安時代の歌人・大江朝綱は、「父母(かぞいろは) あはれと見ずや蛭の子は 三歳(みとせ)になりぬ脚立たずして」と、ヒルコの身の上を哀れむ歌を詠んでいます。

ここで注目してほしいのは「三歳になりぬ」の部分。イザナギ・イザナミ夫婦は、三歳までヒルコを育てたのです。産んですぐ海に流したと誤解している人も多いですが、一応は親としての責任を果たそうとしたのでしょうか?障害児の介護に疲れ、悩んだ末に手放した背景を思うと、現代人が一方的に批判できません。

まだまだ謎が深まるヒルコの正体

以上、イザナギ・イザナミの間に生まれた不遇の神、ヒルコの詳細を解説しました。悲劇的な生い立ちが作者と読者の心を掴んで離さない為か、フィクションによく取り上げられるヒルコ。
彼がえびす様の原型かは定かではありませんが、仮にも神である身が海に捨てられた位で死ぬとは考えにくいですし、新天地に流れ着いて元気にやっていると信じたいものです。

※画像はイメージです。

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