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あるテロリストの爆弾製造をめぐる戦後史

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2024年1月25日。約半世紀ものあいだ指名手配犯であった東アジア反日武装戦線のメンバー、桐嶋聡を名乗る人物がひょっこりと公の場に現れた。
警察の取り調べに入院先の病院で応じた後、末期がんのため4日後に死去・・・どうやら桐嶋聡本人であるらしい。

あさま山荘に籠城して警官隊と銃撃戦をくりひろげた連合赤軍とは対照的に、東アジア反日武装戦線のイメージは今ひとつ漠然としている。連合赤軍は事件当初から最後まで、銃撃戦と逮捕劇がテレビ中継されたことで映像やストーリーが豊富であり、後にマンガや映画となった。
だが、その衣鉢を継いだ東アジア反日武装戦線のテロや犯人たちの映像は乏しい。
政治学的な研究も少なく、ポップカルチャーのキャラクターやストーリーとならないまま半世紀が過ぎていた。

目次

桐嶋聡

桐嶋聡(と、現時点では思われる人物)が公の場に姿を現したことで、東アジア反日武装戦線による一連のテロ事件が改めてクローズアップされた。桐嶋聡が関与したのかは諸説あって定かでないものの、もっとも有名な事件は1974年8月30日、東京の丸の内にある三菱重工本社ビルを爆破した三菱重工爆破事件だろう。

事件発生直後。コンクリートや鉄骨、ガラス片が粉々に飛び散り、爆撃を受けたような現場には、某テレビ局の取材クルーがすぐさま駆けつけていた。
クルーのひとり、Kという名の録音技師である男性の表情からは、血の気が失せていた。爆破テロの現場の凄惨さに震え上がったのではない。録音技師は同行したディレクターやカメラマンと同じベテランであり、どのような現場に立っても仕事の質に意識が向き、感情は二の次となる。日頃であれば。

録音技師のKには、堅く胸にしまい込んでいた過去があった。爆破された丸の内のビル街を目の当たりにした途端、Kの脳裏には封印していた過去の記憶がよみがえり、何度も事件現場で立ちすくんだ。ガンマイクを通してヘッドフォンで耳にする音は、サイレン、警官の怒声、砕け散ったガラスやコンクリートの破片を踏む音。爆弾テロの光景のサウンドスケープを聴きこみ、テープレコーダーに録音する。
記憶と感情に苛まれつつ仕事をやりきった1974年8月30日の夜、Kは悪夢にうなされる。遡ること20年以上むかし、テロによる爆弾の製造をめぐる過去について。

1951年茨城県某所

まさかテレビ局の録音技師になるとは夢にも思っていなかった、当時18歳、茨城県某所に住む地主の倅・K。彼は実家に住んで電気工学の学校と、機械工場のアルバイトに通う日々を送っていた。住まいのある農村地帯は、一風変わっていると他の住人から判断されるだけで、あっさり嫌われる閉鎖的な風土であった。そうして嫌われ者・変わり者の烙印を押されたひとりに、16歳の少年がいた。あるとき少年は小冊子を手にして、「君はこの本に書かれているものが作れないか」と、特に親しくもなかったKに訊ねてきた。

なんの小冊子かと気になった木村が表紙を見ると、『球根栽培法』と書かれていた。少年は未成年ながら、共産主義をイデオロギーとする政党に入党。そのツテで『球根栽培法』なる小冊子を入手していた。
この『球根栽培法』、球根を栽培するノウハウ本では更々ない。ときの政党がソビエトと中国の異なる意向に挟まれた挙句に分裂、内部抗争に突入した際、武装闘争に走った派閥がばら撒いた武器製造の教本だった。武器とは手榴弾、テロ爆弾、手製拳銃など。

すでに新聞で『球根栽培法』の内容をなんとなく知っていたKは読みたい気持ちに駆られ、少年から『球根栽培法』を強引にひったくって自宅へ帰った。Kは政治に関心はなかったが、戦車や銃火器を好む筋金入りの兵器マニア、いまでいう「ミリオタ」であった。

ミリオタは戦後しばらく経ってから登場したのではない。戦前、少年雑誌に戦車や銃器の特集記事が組まれて人気を得ていたし、大人たちが雑誌通販で購入した本物の拳銃に羨望の眼差しをむける、といった文化的風土で育った者は多かった。Kもそうしたひとりだ。

ミリオタゆえの好奇心から、Kは夜を徹して『球根栽培法』を読み通す。そして大いに憤慨する。

こんな内容で武器が作れるか!

『球根栽培法』を読み進めるうちに、Kはたちまち憤慨した。手榴弾、テロ爆弾、手製拳銃と、テロに用いる武器の製造法は、一見するとそれらしく書かれている。だが、それは化学や工業の作業に精通したKのような者が読めば、たちまちデタラメだと分かる内容の代物だった。薬品の調合や機材の扱い方などに乏しく、武器を製造する教本として体をなしていない。『球根栽培法』に書いてあるとおりに作業に取り掛かっても、なにひとつ武器は作ることが出来ない。そうした小冊子であった。

「これで爆弾や拳銃が作れるなど、本気で考えているのか」。頭にきたKは翌日、すぐ少年に『球根栽培法』を突き返した。「こんな内容で爆弾なんか作れるか。爆弾を作るには化学の知識や、製造に必要な機材や薬品、それに武器製造の専門家いる」などと口酸っぱく少年にまくし立てた。この発言が、のちに木村を悪夢に引きずり込む。

「なら詳しい君が、党のために作ってくれないか」。売り言葉に買い言葉で、咄嗟の思い付きを少年は口にした。この発言をうけ、以前からテロ爆弾を作ってみたかったKは思わず引き受けてしまう。どこかのビルを爆破したかったわけではない。単に自身の手で爆弾が作れるのか、作った爆弾が爆発したら威力はどんなものか、Kは無難に試してみたかった。動機はそれだけだ。

そうしたKの意向は政党支部に伝わり、武器製造者としての見込みアリの人物と判断された。その年の冬、Kは茨城県にある党の軍事委員会に呼ばれた。党員たちの前で『球根栽培法』の欠点や専門知識と語ったKは、その場でテロ爆弾の製造を正式に依頼される。資金を貰って資材を揃え、依頼されたテロ爆弾、つまり手榴弾と地雷の製造に着手するのだった。それも実家の一室で。

爆破実験!

爆弾、ないし兵器というものは基本的に、他の工業製品や電気製品を製造することと変わりはない。Kはミリオタだったが、日ごろから爆弾や銃器の密造に熱を入れていたわけではない。電気工学を学び、機械工場で仕事をしつつ、プライベートでは当たり障りのない電気工作にいそしむ。そうした作業経験と知識が、テロ爆弾に応用できたわけだ。Kの言葉によれば、爆弾とは化学方程式や職人的技量の産物であることが分かる。

家族はKが爆弾を製造する作業を、いつもの電気工作の類とみて問題視しなかった。というか、先祖が幕末の革命家であり、親族には日本陸軍の将校クラスまで揃っていたKの家庭では、銃器や爆発物は珍しい物ではない。太平洋戦争中、縁側では国内外の拳銃をいじくり回すのは日常の風景だったという、かなり変わった家風であった。爆弾を製造する作業も、傍目には大それた光景に映らなかった。

そうして幾度かの試行錯誤をへて年が明けた1952年、Kは手榴弾と地雷の試作品を完成させた。試作品は党員たちと筑波山の一角にて某日、爆破実験を行うことに決定。もちろん違法だ。警察に見つかれば即、お縄である。

人目を忍んで筑波山の山腹に集まった共産党員の一同。まさか山腹を爆破させて犯行の痕跡を残すわけにいかないため、地雷は頑強な岩のうえに置かれた。

「では地雷を爆破させてみます」と言って、Kは電気式の爆破スイッチを押した・・・いっこうに爆発しない。のちにKが原因を調べて判明したが、地雷を爆発させるには電気コードが細く貧弱であり、起爆に必要な電気が届くほどの性能を発揮しなかった。

Kは党員たちの眼前で、自身の過失を晒したことで顔を真っ赤にした。だが、こんなこともあろうかと用意しておいた導火線―ダイナマイトの先端についているアレ?を地雷に組み込んで、マッチで点火。見事、地雷は派手に爆発する。というか、爆発の威力や爆発音は派手すぎた。

精魂を込めて作り上げた地雷が、何とか爆発したのでKは安堵した。だが、爆発した地雷の威力と爆発音を目の当たりにした党員たちはハラハラした。爆発音がデカすぎる。筑波山には登山客がそれなりにいるのだ。爆発音を聞いた登山客や周辺住民が、警察に通報などしまいか。現場を押さえられると、全員おしまいである。

「じゃあ次は手榴弾を爆破させ…」と意気込む木村を、党員は「いやいや、待て!」と慌てて止めにかかった。警察への通報を心配した党員の判断により一旦、爆破実験は中止となった。

陰謀の渦へ

爆破実験のあと、Kは悩んだ。警察に逮捕されるのが不安であったのではない。思った通りに、地雷が爆発しなかったのが癪にさわっていた。つぎは何とか思い通りに爆発させなければ…この願望を実現する機会は、やがて訪れる。

1952年6月、つぎの依頼が党から舞い込んできた。今度は実家を離れて、人里はなれた場所に設けられたアジトが用意されてあった。そこで次のテロ爆弾を作ってくれという。Kは復活戦とばかりに引き受ける。家族には適当な言い訳を語って、実家を離れた。

だが会いにやってきた男の様子は、党員にしては不可解だと木村には思えた。太平洋戦争中に木村が手にした、コルト・ガバメントを何故か携帯している。非合法の活動家にしては、工作員としての所作が堂に入っている。茨城県の党員のようなユルさがない。
「もしかすると、党の内部に侵入していると聞いたスパイが現れたのか…?」とKは疑いの目を向けるが、どう判断したものか分からない。

腑に落ちない気分で、あばら家のアジトに連れていかれたKは、引き続き爆弾の製造に精を出す。なぜか窓に鉄格子がはめ込んであるのが不可解ではあったが、薬品や機械は充分に用意されてあった。しかしある深夜、男の手によってドアの外側から鍵を掛けられ、アジトに監禁されてしまう。ドアが内側から開かない構造になっていた。窓は?鉄格子がはめ込んであったのは逃亡を阻止するためだ。最初から監禁する意図から、Kは誘い出されてしまった。

罠であった。どうやら男はウワサにきいた、党の内部抗争に紛れ込んだ警察だが公安だが、はたまたアメリカ政府の回し者のような人物であったらしい。施錠されたドアや窓の鉄格子を破るには、爆弾その他の用意は不十分だ。いつまでも、水や食物を与えられない。そのまま何日間も経過していく。時たま窓越しに顔を出す正体不明の男は、Kを「警察に突き出すぞ、イヤなら共産党の内部について知っていることを話せ」と強請る。そんなもの、政治運動に全く関心のないKは知る由もない。

この状況にあってKは心身とも追い詰められ、思いつめる。オレはゆくゆく、殺されるのではないか?そうして衰弱していく一方であったKはある夜、手元にあった薬品に手をかけ、飲み干した。どのみち殺されるくらいなら、自分で死んで落とし前をつけちまえ。

しかし、Kは死ななかった。つぎに目を覚ましたとき、Kは病院のベッドにいた。倒れていたKを発見した正体不明の男が担ぎ出し、病院へ運び込んだらしい。Kの意識が朦朧とするなか、最後まで正体が不明の男はにこやかに別れの挨拶を語って、そのまま姿を消した。1952年の夏が終わろうとしていた。

音効さん

退院したKはどうなっているのかと、党の茨城県支部に電話を入れたが「オマエなんか知らん」とシラを切られた。Kは知らなかったが、アジトで爆弾の製造に手をこまねいている間に情勢が変化、協力していた派閥は党の内部抗争に敗れていた。武装闘争、というかテロ活動に駆り出されていた党員は軒並み除籍処分をうけ、Kは最初から党との接触のない人物に設定されていた。『球根栽培法』を持って来た少年も同様だった。

懲り懲りしたKは、就職のために上京。その途上で偶然、映画の撮影クルーと懇意となり、その足で映画撮影所に勤めるようになる。電気工作に精通していた木村は映画録音の専門技術者となり、ついで民放テレビ局の録音技師、それにドラマやドキュメンタリーの効果音を制作する第一人者となった。

そんなある日、取材クルーと昼飯を食べていた最中に三菱重工爆破事件の現場に赴き、爆破実験と監禁の悪夢を思い出すこととなる。
もし20年前にテロ爆弾を完成させていたならば。完成されたテロ爆弾が政治抗争で使用されていたら。その実例を現実に見せつけられたことに慄いた。

長々と書いてきたが、1951年から1953年にかけて過激化した、現在も存続している政党の内部抗争に関しては、未だに謎が多い。第二次大戦からの復興は始まったばかりであり、周辺国では朝鮮戦争など独立戦争が頻発する渦中にあって、政党は共産主義革命を実現しようと本気だった。朝鮮戦争へ出撃する横田基地の電力供給に支障をきたす目的で、奥多摩のダム建設を妨害したのが代表例だ。

紆余曲折をへた現在では、そうした歴史は政党には無かったことにされている。公式には。あるいは勝手に弾けた連中の暴走であって党として命令していない、ということになっている。第三者によって体系的な史実の検証が進んだのは、近年になってからだ。

録音技師のKもまた、若いころの自身を監禁した人物の正体が何だったのか分からないまま、2004年に生涯を閉じた。公安か、共産主義国と敵対するアメリカの工作員か、党内部の人間だったのか。

球根栽培法の不可解な点

Kの推測では『球根栽培法』には他に不可解な点があったという。文章が戦前の日本軍関係の文体と、戦後の翻訳文体でゴチャついており、本来は別々であった書籍を強引に合体させた代物でもある気配がある。で、戦前の箇所は日本の諜報機関として名を馳せた陸軍中野学校の卒業生が党に持ち込んだ…。

ここから先は戦史研究家の領域である。このまま無責任な想像を膨らませ、荒唐無稽なアクション小説が書けそうな気もする。

そんな戦後の闇を生き抜いたミリオタ少年・Kは晩年、意外なところで仕事をした。三谷幸喜の映画『ラジオの時間』(1997)で「おヒョイさん」こと藤村俊二が演じた、警備員にして元音効のモデルはKである。エンドロールには、彼の名が監修としてクレジットされている。ほかにもKは録音技師として、音響効果制作者として、日本のテレビドキュメンタリーの歴史に名を残している。

参考文献
木村哲人『テロ爆弾の系譜―バクダン製造者の告白 増補新版』(第三書館 2005)
中北浩爾『日本共産党』(中公新書 2022)
『毎日ムック 戦後50年 新版』(毎日新聞社 1995)

※画像はイメージです。

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