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悲恋小説「不如帰」とモデルにされた女性の悲劇

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明治時代にもゴシップとか女性週刊誌ネタみたいなのがあったので、ご紹介しますね。

目次

小説「不如帰(ほととぎす)」

小説「不如帰(ほととぎす)」は、思想家の徳富蘇峰の弟の徳富蘆花の有名な小説です。
1898年に発表され、娯楽の少なかった当時ベストセラーとなりました。

この小説は、海軍軍人の若い川島武男と結婚した陸軍中将の娘浪子が主役です。
愛情ある幸せいっぱいの新婚生活のはずが、浪子は当時は不治の病の結核に罹患してしまい、姑には責められ、愛する夫は戦争へ行ってしまうのですね。

そして周囲の人間たちによって、愛し合いながらも離縁させられ、実家に戻されて療養する浪子。
しかし実家の継母にもつらく当たられたあげくに、
「ああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ!」とか、
「ああつらい! つらい! もう女なんぞに生まれはしませんよ」という名文句を残して浪子は亡くなるのです。

美男美女の純愛が、不治の病や古い家制度、そして日清戦争というふたりにはどうにもならない障害で阻まれて悲恋に終わるという、涙なくしては読めないという物語です。

浪子のモデル

じつはこの浪子には、モデルがいたのです。それが、大山捨松の夫の陸軍大将大山巌と先妻との長女、大山信子でした。
信子は16歳の若さで川島武夫のモデルとなった三島彌太郎氏と結婚したが、結核のために2年後に離婚して実家に戻り、20歳で亡くなったということです。

ここで言いたいのは、小説とは違う事実です。
信子は結核が発病後、一方的に夫と姑から三行半の離縁状を突きつけられ実家へ返されました。
なんて薄情なのと、継母の大山捨松は思い悩み、その話を聞いた捨松の親友の津田梅子が、三島家に怒鳴り込んで猛抗議をしたという話まであります。
捨松はアメリカ留学で看護婦の資格を取った人でした。なので、病人の看病はプロです。
家族に結核が移らないよう、信子が気兼ねなく療養出来るようにと日当たりの良い離れの部屋を建て、きちんと看病をしたのですね。

実は・・・

捨松は継母ではあっても先妻の子供たちから慕われていたし、夫の巌ともお互いを尊重し合い、家庭円満でした。
なのに、「不如帰」では、浪子につらく当たる冷たい継母として描かれたために、ずっと後まで誹謗中傷の言葉を連ねた
匿名の投書が来たりと、晩年まで風評被害に悩むことに。

作者の徳富蘆花からは、なんと19年後、捨松がスペイン風邪で亡くなる直前まで謝罪もなし。
雑誌上に、「不如帰」は浪子の姑と継母を悪者にして読者の涙をそそるように誇張したと認め、捨松への風評被害はお気の毒に耐えないとだけでした。

女性週刊誌のゴシップネタの走り

私は大山捨松を明治のスーパーレディーと思って憧れているので、生涯にわたって数々の業績を残して社会に貢献したというのに、しょうむない小説のおかげで誤解されるなんてと今更ながら憤ってしまいました。
しかしこれも歴史的にみれば、女性週刊誌のゴシップネタの走りということになるかもしれないですね。

著:徳冨 蘆花
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※画像はイメージです。

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