魚の食べ方、そこに見る祖父の南方体験

祖父は魚をとてもきれいに食べる人でした。
骨のきわの身まで全部箸先で起用に解し、漫画に出てくる魚の骨そのものになるまで丹念に食べるのです。
それは南方での食糧事情で大変苦労したから・・・というのが判ったのは随分後の事でした。

私の母は戦中の昭和18年生まれです。その妹は昭和20年、祖父が引き揚げてきてから生まれました。

祖母はまだ戦況が最悪になる前の満州から引き揚げてきて国内の実家で母を出産、連絡がつかなくなっていた祖父はもうだめだろうと腹を括って、そこで生きる決意をしていたそうです。
大きな農家だったので食べるには困らず、母は祖母の弟たちにかわいがられて成長し、二歳になった頃に終戦、その直後に祖父が奇跡的に帰還してきて、やっと親子で暮らすことができるようになったというのです。

『〇〇(母)はお父さんに初めて会った時には怖がって泣いちゃったんだよ』と祖母が笑って言っていましたが、ボロボロの姿で帰ってきた彼になつくのまでには時間がかかったそうです。

その後叔母が生まれたのですが、その母と叔母とで決定的に違うのが魚の食べ方だった、と祖母が言いました。いわく、おおらかに育った母は魚の身が残っていても無頓着で祖父に良く叱られたけど、その祖父が食べる姿を見て育った叔母は、同じように骨の際まで全部きれいにはがすように食べるのだ、と。

小さいころの習慣は大人になっても変わらずで、そんな話も繰り返し聞かされましたが。
戦争はそういう日常にもいろいろな形で残っていたのです。亡くなった祖父は陸軍少尉でしたが「お馬が上手で、偉い人に褒められた」という話を聞いていましたが、後に彼が副官として付き従っていた上官は東京オリンピックで馬術の指導をするほどの腕前の方だったことが判明しました。

満州でさっそうと馬に乗っていた彼は、きっとカッコよかったんだろうな・・・と今でも時折思い出します。

※画像はイメージです。

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