マイナーだけど、意外な人物が女性と疑う説を発見したので、ちょっとご紹介しますね。
9代将軍家重とは
江戸幕府の9代将軍家重(いえしげ)は、暴れん坊将軍といわれた米将軍8代将軍吉宗の長男。
6尺豊かな大男だった父と違い、家重は子供の頃から言語障害があって体も弱かったそうです。
脳性まひによるものといわれる言語障害と顔面マヒもあって、意思疎通が難しくて、家重の意志を理解できるのは、側用人大岡忠光(ただみつ、大岡越前守の親戚)だけだったのです。
家重には弟が二人いて、しかも家重よりも頭がよくて将軍向きだったので、側近は吉宗に家重を廃嫡して次男の宗武を将軍にしてはと進言しました。
しかし、兄を差し置いて弟を将軍にすると、お家騒動が起こりかねないと吉宗は判断して、家重に将軍を譲ったが自分が大御所として実権を握ることにしました。家重の息子の家治は聡明だったので、吉宗は孫に期待したんでしょうね。
ということで、家重は15年の将軍在位中、吉宗の享保の改革の遺産でなんとかつないだ程度で、大きなことはできなかったのでした。
家重は女性?
どの肖像画を見ても、ひょっとこのような顔で描かれているけれど、行事で諸大名に謁見の際には将軍としての尊厳をしっかり体現し、気高く見えたと伝わっているのです。
また弟宗武とは疎遠だったが、御三卿を設立したし田沼意次を見出し、息子に意次を重用するよう遺言したとか、側用人の大岡忠光が家重の通訳を利用して私腹を肥やさない、まったくの人格者だったことなどで名君ではないかと再評価されているということなんです。
それに加えて、昭和33年に行われた増上寺の徳川将軍たちの墓の発掘調査では、家重が将軍の中で最も整った顔立ちをしていたとか、女性のような骨だったという報告があり、なんと家重女性説があるそうなんです。
家重は小便公方と言われた排尿困難(死因は尿毒症)の持病があり、トイレが近かった、上野の寛永寺の墓参で4kmほどの距離に23か所の専用トイレを設置させたこと(男性はお付きが竹筒を袴に差し込む方法があるのに、女性だからトイレが必要なのでは?)、声を聞いたのが大岡忠光だけだったなどを勘繰ると、女性だったのではと疑惑がわくのですね。
家重の謎
しかし弟が2人いるのに、障害もあるのに長男として育てられる理由もないし、正室も側室もいて息子も二人生まれているのですが、これは家重自身が産んだ、父吉宗か弟の子だということになるらしいんですわ。
でも昭和33年当時はDNA鑑定は出来なかったけれど、骨で男女の区別はつくはずです。
この発掘調査は、和宮とともに埋葬された銀板写真をその辺に立てかけておいたために、写真が消えてただのガラス板になったとか、家茂とともに発見された髪の束が和宮のとは違うが誰の髪か不明とか・・・かなり雑な印象があります。
家重女性説も、この発掘調査が元ネタかもしれないけど、調査後の骨はすべて火葬にされたので、謎は解明されないままになってしまったのは残念です。
eyecatch source:日本語: 不明English: Unknown, Public domain, via Wikimedia Commons
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