数学から見る現実と負と霊魂へのアプローチ。
虚数というもの
皆さんもご存知だと思いますが数学で取り扱われているもので、虚数というものがあり、単位は「i」です。
その名のとおり、この数字は2乗するまで実態を持ちませんが、数字学的上実在するものです。
虚数の「i」は2乗すると負の数となり-1となります。負の数-1を2乗すると自然数の1になります。
この関係は突き詰めると、この世の仕組みに見えてくるのは私だけでしょうか?
例えば虚数の状態を「霊魂」と考え、2乗した負の数を「幽霊などの負の存在」と考え、自然数を「我々の生きている日常の状態」と考えるとしっくりくると思います。
2乗のからくり
2乗のからくりはどのような次元数によるものなのか、もしくは作用するものなのかはまだ数学的に証明の至っていないことろではあります。それを抜きにしても、世界としては虚数、負の数、自然数が一つの枠として存在しており、とある拍子で負の数が実体化したとき、自然数の我々は負の存在を確認することができるでしょう。
つまり幽霊を見たなどというのは、何らかの拍子で虚数が2乗されたときや、自然数がマイナス化したときに発生する現象を単純に認識しているだけのことであって、数学的には何も難しいことではないのではないかと判断できます。
逆を言えばこの数字を2乗にするという作業を現実のものとすることができる機械などを発明することができれば、単純に虚数や負の数とコンタクトをとれる可能性が出てくるわけで、今まで怖いとされていたものが現実化することにより理解できるものになる未来があるかもしれません。
人の直観力
しかし、人間の直観力は侮りがたいものがあり、怖いと感じることが「わからないから怖い」なのか「存在されていることの危険性を察知してるがための恐怖」として反応させているのかは判断の悩むところであます。
その恐怖が人間に研究させないようにブレーキをかけているのかもしれません。
「触らぬ神に祟りなし」という言葉のとおりこれらの証明のため、自分自身のみならず、自然界そのものを脅かす研究となるならば工学的アプローチは避けて、物理学的アプローチにより検証するのはありかもしれません。でも実証された場合、結論として実用化に向けて、工学化されるのは目に見えていますから結局同じことになるかもしれません。
物理法則が原子爆弾になったように、虚数の現実化が理論的に現実化することにより、人間にとって凶悪な資源を発明するきっかけになるかもしれないことを、人間があらかじめ感じているのであれば、ある意味、最も恐怖を感じるのです。
※画像はイメージです。
思った事を何でも!ネガティブOK!