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大衆文化と現代技術の狭間で見る「不老不死」への考察

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『若返り』について調べる機会があり、同時に『不老不死』も過った。少しずつ定義が異なる2つの事象だが、「自身の身体を若い状態に保ちたい」という欲からの発想はいつの時代であれロマンを感じずにはいられない。
果たして先人たちはこの発想と事象に対しどのようなアプローチをしてきたのか。現代の技術はどのように向き合うのか。好奇心が湧いたなら紙面を覗いていくといい。

目次

『若返り』と『不老不死』

伝承や神話、創作作品などにも度々登場するので大まかなイメージはできていると思う。『不老不死』はその文字の通り「老いることなく、死ぬこともない」状態を指す。容姿は時を止めたように若い姿を保ち、不死の部分に関しては「致命傷を負っても死に至る前に再生する」「死を迎えた後に同一人物として蘇る」などバリエーションがあるが、いずれも不死と解釈される。

対して『若返り』は「老いた身体を何かしらの技術で若い状態まで戻す」ことを指す。不老と違いその身は一度老いを経験するので不老不死との違いを挙げるとすればこの点だろう。
現代でこそ『老い』や『死』の原因を『細胞の老化や死滅』と置き、医学的・科学的側面からの模索が進んでいるが、それらの技術が未発達だった時代では、不老不死はどのような立場の人間が追求し、どのように捉えられていたのか。

先人が焦がれた不老不死

各国に残る神話や民間伝承の中にも、不老不死は存在する。欧州からアジア圏まで見られるので、不老不死という存在やそれに対する羨望混じりの認識は当時から万国共通だったようだ。西欧や北欧、ギリシャ神話などには不老不死の特徴を持った神様が登場する。不死に関しては、昼と夜といった明確な陰陽の属性がある神が太陽の出没ごとに生と死を繰り返す、実質の不死と解釈されたものもある。肉体の滅びがあろうと魂は不滅という概念的な不死も散見される。

アジア圏だと、欧州神話と同じように不老不死の神も登場はするが、その他にも『不老不死をもたらす薬や食べ物』が登場する。日本で言えば『トキジクノカク』というあの世の食べ物や、竹取物語でも終盤に姫から与えられた不老不死の妙薬を帝が富士山に葬っている。中国でも不老不死の力を得られる『仙桃』や、仙人になるために不老不死の薬である『仙丹』を作る話がある。秦時代の始皇帝が自力で不老不死の薬を作ろうと試み、部下の作った有毒の水銀入りの薬を服用し死亡したという話も印象深い。

前述のような「人間が不老不死を追求した事例」も歴史上の文献から散見できる。錬金術師という、金以外の物質から金を錬成するのを目的とした者たちは、不老不死の効果を持つという『賢者の石』を求め各地を探し、或いは錬成を試みた。中国地方でも、服薬(外丹)や施術(内丹)によって不老不死を得る錬丹術の記録もある。ただ、当時の文献、賢者の石や錬丹術がどのように不老不死を与えるか、不老不死のメカニズムに関しては漠然とした記述が多いのも特徴ではある。

現代の技術が追求する不老不死とは

前章で触れた人間が追い求める話には「不老不死は人間が得るには過ぎた力であり、追い求めるのは欲深い罪ですらある」という教訓めいた文言が添えられている場合もある。当時から各国では「死とは『救済』あるいは『祝福』である」とする宗教観が根付いている影響もあってか、「不死とは永遠に救済されない罪深い状態を強いられている」と捉えられたようだ。
しかし、医学や科学が発達し、進行形で発展している現代では、『不老不死』や『若返り』に対する考えやアプローチも柔軟に変容している。

偉人の遺体の冷凍保存や、人間が持つ記憶やその他情報を記録し保存するデジタル化、老いやその他の原因で壊死してしまった細胞を元の状態に回復・再生させる成分の開発など、進捗によっては実現化するのでは?と思わせられる段階まで進んでいるものもある。
もちろん、この辺りの情報の精査は必須ではあるが、これらを調べることによって時代の変貌に影響されない「人々が『不老不死』に向けるロマンと羨望」を感じるのも趣深いかもしれない。

徹夜どころか夜更かしもできなくなってきて抗えない老いを感じる

※画像はイメージです。

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