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戦艦大和もビッグEも、遠い記憶の中に・・・

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第二次大戦後、世界は経済的な競争に突入していきました。
今では軍事大国と言うと、何やら時代遅れの様な感じさえ禁じ得ません。
そんな中、戦艦大和そしてエンタープライズの記憶も砂塵の如く消え失せようとしています。

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戦艦大和を知らない世代

過日、近隣の方々と談話をする機会がありました。
立ち話の、いわゆる井戸端会議でしたが、胸襟を開いた語らいは大いに花を咲かせました。
私も含め、普段職場仲間としか会話する事の無い男性陣にとっては、とても新鮮な気持ちになったものと思われます。

話が一段落したころ、クロネコヤマトさんの宅急便のトラックが我々のすぐ近くに停車。
ドライバーさんは、のんびりと談話にふけっている我々を横目に、テキパキとした動きで荷台の扉を開けて何やら作業をしています。

ひょうきん者の私は、つい反射的に「戦艦大和と同じで、ヤマトさんも忙しさで戦争状態かな?」と、独り言ちてしまったのでした。
すると、輪の中にいた一人の中学生くらいの男の子が私に向かって訊きました。

「おじさん、戦艦大和って、宇宙戦艦ヤマト?」
正直言って、ショックでしたねえ。
今の子供たちは戦艦大和を知らないという事実に、何と言いますか埋めがたい世代間の格差に、ただただ唖然としてしまいました。

私が中学生だったのは1970年代。
当時は女の子までもが大和については知っていた様に記憶しております。

エンタープライズも同じ運命?

さて、これは私の単なる思い込みかもしれませんが、アメリカにおきましても太平洋戦争の記憶が薄らいでいる様に感じます。
エンタープライズと言えば、大戦中、数ある米空母の中で最も日本の艦船を沈めた武勲艦です。
「ビッグE」との愛称で親しまれておりました。

そして、その功績に満ちた艦名は世界初の原子力空母に引き継がれました。
原子力空母エンタープライズの就航は1961年です。
東西冷戦の渦中、エンタープライズはアメリカの強さの象徴として、国民の誇りであったと思われます。

ところが、です。
何とエンタープライズの名は最新鋭の空母ジェラルド・R・フォード級の三番艦にあっけなく収まってしまいました。
しかも、現アメリカ海軍の間でも、国民の間でも、そうした処置に対して何ら抵抗感が無くなっている様に思われるのです。
日米共に、かつての大戦の記憶はいつの間にか砂塵の如く消え去っているのでしょうね。

※画像はイメージです。

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