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回想「犬鳴村伝説」ある福岡県人の記憶と考察という名の覚書

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2020年2月7日、清水崇監督の映画『犬鳴村』は公開された。
映画が公開された時点で、観客たちは福岡県に犬鳴峠と犬鳴トンネルは実在しても、都市伝説で語られる犬鳴村が実在しない事実は広く知れ渡っていた。だからこそ大手映画会社である東映は、社会的リスクの低い企画であると判断、製作に踏み切ったことは想像に足る。

ひさしく語られてきた異様な集落ではなく、異界に改変されて有名俳優が出演する劇場映画となった犬鳴村伝説だが、2000年代以降、福岡県内で生活した者であれば少なからぬ違和感を思い出す筈だ。まことしやかな都市伝説として犬鳴村を語る噂が駆け巡った体験を、福岡県で生まれ育った筆者や、その周囲の誰もが持っていないのだから。

今回は趣向を変え、ひとりの(元)福岡県民の立場から犬鳴村伝説について、大まかに振り返りたいと思う。要するに単なる思い出話の域を出ない気もするが、犬鳴村伝説の検証への本格的に足を踏み入れると、とんでもない長さとなる。それはそれで、ちゃんとやる。

目次

記憶のなかの犬鳴村伝説と、伝説を知った経路を回顧する

 
筆者は1990年代初頭に福岡県で生まれて以降、2011年から全国各地を転居する身となるまで、福岡県内にある実家から離れたことはない。筆者が犬鳴村伝説を奇妙に感じるのは、内容ではない。福岡県で過ごした約20年のあいだ、住民の口から直接、犬鳴村伝説を耳にした経験がないことだ。通っていた小学校から高等学校で、あるいは他の校区の友人・知人から、犬鳴村にまつわる噂を聞いた記憶がないことによる。

犬鳴村伝説が現在の形となって完成、全国的に知れ渡ったのは、おそらく2010年代である。この頃、インターネットや雑誌媒体をつうじて福岡県内でも犬鳴村伝説が知られるようになり、筆者もネット掲示板やコンビニの雑誌媒体で同時多発的に知った。
とくに気にかけていたハナシではなかったため、具体的にいつ知ったのか、そこまでは記憶していない。だが、手元にある書籍と論文などから痕跡を辿ることは出来た。

筆者が犬鳴村伝説について大まかに回顧するまで、怪談・都市伝説というものは特定の土地に依拠したストーリーである場合、まず地元住民のあいだで囁かれ、それが次第に全国的に広まっていくものだと考えがちだった。
有名なものでは「口裂け女」がそうで、彼女はいまのところ岐阜県が発祥の地とされている。犬鳴村伝説と双璧をなす杉沢村伝説も、ネットが普及する以前から青森県で語られていた痕跡が、朝里樹氏の『日本現代怪異事典』(笠間書院 2018)の項目にある。

犬鳴村伝説では、このような伝播の順番が逆なのである。福岡県で生まれ育った個人的な記憶では、犬鳴村伝説は福岡県外で生成されていき、大まかなストーリーが出来上がったところで、いわば「逆輸入」されるかたちで福岡県内でも広まった。それ以前には、犬鳴村伝説は福岡県内で知られることはなかった。だが、交通アクセスと人流の側面から眺めたとき、別の可能性があるのではないか、そう考えもする。
 
思い返してみると、筆者は福岡県の一部でのみ路線が走る私鉄の、乗り換えの要らない快速電車で福岡市へと足を運ぶことが出来る地域でのみ育った。筆者が知る福岡県とは、その周辺に過ぎない。福岡県とはいえ、北には山口県、南には熊本県、西には佐賀県、東には大分県に隣接する地域があり、公共交通機関ではアクセスは不可能ではないが割と難しい土地は幾つも存在する。

犬鳴村伝説の祖型は?

犬鳴峠は福岡県若宮市と糟屋郡久山町を横断するように存在するが、ひょっとしたら犬鳴村伝説の祖型は、筑豊周辺ではインターネットが普及する以前から囁かれていた怪談や都市伝説なのだろうか。ずっと以前から犬鳴峠と旧犬鳴トンネルは、筑豊と近隣地域では心霊スポットとして?いつ頃からか不明だが?定番化していた痕跡は窺える。それらの情報は筑豊、福岡県の外部には流出する機会が少なく、マスメディア・ソーシャルメディアの双方で取り上げられる機会もなかったのでは、と。

というのも、2002年に発売された木原浩勝・中村市朗の両氏による著書『新耳袋 第七夜』(メディアファクトリー 2002)では『板人形』というタイトルの、犬鳴峠を舞台とする実話怪談が収録されていた。現場は犬鳴峠とは直接に名指しされず、犬鳴村も登場しない。しかし取材された木原氏と中村氏はいつ、誰から『板人形』のエピソードを取材したのか。怪奇現象の体験者、取材した人物が体験した日時が明らかとなれば、現在の完成された犬鳴村伝説とは異なった、筑豊周辺で噂されるローカルな怪談であった頃の犬鳴峠の幻想が辿れるかもしれない。

『板人形』のエピソードは2008年、心霊ドキュメンタリーのひとつ『怪談新耳袋 殴り込み!』にて、カメラを持ち込んだ現地取材が試みられた。ここでも地名はボカされているものの、近隣の住民が『怪談新耳袋 殴り込み!』を見れば、場所は一目瞭然であった。
『怪談新耳袋 殴り込み!』製作の経緯はおなじ2008年に洋泉社から書籍化されたのち、『新耳袋殴り込み 第二夜』として2013年に角川ホラー文庫から再刊された。同書では心霊ドキュメンタリー版では伏せられていた、犬鳴峠の地名が明確に表記されている。書籍版によれば、犬鳴峠は犬鳴村伝説が誕生する以前から、ローカルな心霊スポットの定番であったことが登場人物の言葉から垣間見える。

だが心霊ドキュメンタリー版『怪談新耳袋 殴り込み!』では、犬鳴村伝説はまったく触れられていない。筆者の手元にある角川ホラー文庫版『新耳袋殴り込み 第二夜』は、2013年の文庫化に際して加筆修正されているが、ほんの少し犬鳴村に触れられているのみだ。つまり、『怪談新耳袋 殴り込み!』がリリースされた2008年の時点では、犬鳴村伝説は現在のように定着していなかった。

つまり、もっぱらインターネット上においてのみ犬鳴村伝説は生成されていき、全国的に有名化したのは『新耳袋 第七夜』から『新耳袋殴り込み 第二夜』が発刊された2002年から2013年にかけてであった。そう見てよいと思う。この間に―犬鳴峠の近隣住民も加わっていたのかどうか―日本全国のネットユーザーたちが匿名掲示板にああでもない、こうでもないと思い付くまま、「犬鳴村伝説」を創作されていった痕跡を、過去のネット掲示板から辿ることは、それなりに出来る。もとは心霊スポットのひとつに過ぎなかった犬鳴峠のエピソードが、異様な住人たちが生活する集落の伝説へと変容していく。

著:ギンティ小林
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わたしが犬鳴村伝説をめぐって思い出す違和感の、もうひとつの理由。

ソーシャルメディアのコミュニティやネット掲示板、雑誌を通じて現在の犬鳴村伝説が生成されつつあった2007年から2011年にかけて、わたしは福岡市に居た。街のあちこちにある盛り場、遊び好きの大学生や専門学校生でひしめく飲み屋街では、犬鳴村伝説が語られていた記憶がない。それ以降も折に触れて福岡市に戻ってはいたが、犬鳴村伝説が語られていた記憶はない。

もっともローカルな心霊スポットとしての犬鳴峠は、少なくとも福岡市の若者のあいだでは2007年の時点で、すでに一定の知名度があった。自動車に男女数人が乗り合わせて心霊スポットに向かう肝試し、その有名物件のひとつである。なかには『怪談新耳袋 殴り込み!』の真似でもあったのやら、旧犬鳴トンネルに侵入した経緯を撮影、編集して私家版のDVDにした専門学校生すらいた。
専門学校生は当然、澄ました顔で元気にしていた。犬鳴村伝説が有名になったのは2013年前後であったが、そのような村が実在しないことは、周囲の福岡県民の誰もが知っていた。というより、内容が荒唐無稽すぎて、信用するには余りにリアリティを欠いていた。

こうして犬鳴村伝説が、福岡県民の実状を無視したままオンライン上で生成されていき、最終的には大手映画会社が映像化されるまでに至った。筆者は福岡県からの出戻りを繰り返しつつ、一連の経緯を漠然と眺めていたのだった。果たして、福岡県外では犬鳴村伝説はリアリティを感じさせるストーリーや設定なのだろうか。個人的に想起するのは、青森県にあるとされた亡霊がさまよう杉沢村である。

杉沢村を一躍有名にした、2000年8月にフジテレビ系列で放送された『奇跡体験!アンビリバボー』の杉沢村特集は、リアルタイムで視聴した。ディレクターを務めた長江俊和氏の演出手腕が発揮された、あの時代ならではのフェイクドキュメンタリーであった。
だが杉沢村の存在感は、今では影が薄くなっている。マスメディアで消費され尽くした側面もあろう。また、時代の関心が亡霊たちの村から次第にスライドしていき、犯罪者たちの無法地帯である犬鳴村へと移っていった意味を読み解くことは、筆者の手に余る。

出演:三吉彩花, 出演:坂東龍汰, 出演:古川毅, 出演:宮野陽名, 出演:大谷凜香, 出演:高嶋政伸, 出演:高島礼子, Writer:清水崇, Writer:保坂大輔, 監督:清水崇
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※画像はイメージです。

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