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冷戦時代のタブー?「イスダルの女」の秘密は解けるか?

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ノルウェーの古都ベルゲンをのぞむウルリーケン山の北壁に、死の谷と呼ばれる場所がある。
イスダレン(氷の谷)という本来の名をさしおいて不吉な呼び名が定着したのは、ここが自殺の名所であるうえに多くの登山家を呑みこんできたからだ。

この渓谷で、岩陰に突っ込まれた女性の黒焦げ死体が発見されたのは冷戦時のことだった。
当局が自殺と発表し、早々に幕を引いたミステリーが半世紀の時を超えてふたたび動きだした。

目次

発端

1970年11月29日の昼さがり、ウルリーケン山のふもとでハイキングをする親子連れの姿があった。風にのって漂う異臭に最初に気づいたのは、幼い少女だった。

なんだか嫌な臭いがする。動物を丸ごと燃やしたような、鼻をつく臭い。近くで恐ろしいことが起きている。なにかがひどい目にあっている。いじめているのは誰?
「パパ、変な臭いがする。こっちにきて、嗅いでみて」
少女は遊歩道からとびだして、異臭の元をたどっていった。
「危ないよ、走らないで! 足元に気をつけなさい!」
小さな姿はたちまち岩陰に消えて見えなくなった。父親があわてて後を追う。

息をきらしてようやく追いつくと、娘は大きな岩の前にたたずみ、じっとなにかを見つめている。
視線の先には、炭のように黒ずんだ女性の全裸死体が横たわっていた。

初動捜査

ベルゲン警察の対応は迅速だった。
「血と肉が焼け焦げたような臭気だった」
現場検証にあたったカール・ハルボーの言葉である。周囲には焚き火もキャンプファイアーもないのに、なぜか女性の衣服は焼失し、顔も判別できないほど焼けただれている。奇妙なことに、背中には火傷の痕がまったくない。全身火だるまになったわけではなさそうだ。

まず疑われたのは強姦殺人だった。ところが、不可解な遺留品が次々と現場から見つかる。
ガソリンが付着した帽子、酒の空き瓶、ペットボトル、パスポートケース、レインブーツ、ジャンパー、ストッキング、傘、財布。
腕時計やイヤリングや指輪など、身につけていたと思われる所持品はすべて取り外され、女性を囲むように整然と配置されていた。それはまるで、なにかの儀式のように見えたという。

多くの遺留品が発見されたにもかかわらず、身元特定につながるものは皆無だった。持ち物のラベルやタグはすべて焼かれているか、
周到に削り取られていたのだ。身元を隠蔽しようとする意図がありありとみえる。
身元不明の焼死体は、発見現場のイスダレンにちなんで「イスダルの女」と呼ばれるようになった。

徹底して足取りを隠す女

3日後、ベルゲン駅に女性のスーツケースが放置されているのが判明した。遺体発見現場の遺留品から、かろうじて採取できた指紋がスーツケースの指紋と一致したのだ。
中からでてきた品々は、100マルク紙幣5枚、数か国の硬貨、地図、衣類、靴、ウィッグ、伊達メガネ、サングラス、化粧品、ポストカード、メモ帳など。ここまではよい。女性旅行者が携帯するアイテムといって差し支えないだろう。が、問題はこのあとだった。ここでも身元の特定につながるような情報はきれいに消し去られていたのである。

メモ帳に残されていた暗号のような書き込みを解読したところ、それらは滞在した都市と日付を表していることがわかった。
たとえば、「O29PS」は「October29, Paris, Stavanger」を示していて、「10月29日、パリからスタヴァンゲルへ移動」という意味。「O30BN5」は「October30, Bergen, November5」のことで、「10月30日よりベルゲンに滞在、11月5日まで」となる。一般の旅行者がスケジュールを書きとめるのに、こんなひねくれた書き方をするだろうか。
さらに捜査を進めると、彼女は少なくとも八つの偽造パスポートと偽名を使い分け、ヨーロッパ各国を飛び回っていたことも判明した。ホテルのチェックインカードに記入された生年月日と職業はまちまちだったが、国籍は一貫してベルギーで通しており、使用する言語はドイツ語かフランス語にかぎられていた。

「イスダルの女」の正体にたどり着く手がかりを誰かが意図的に抹消している。それだけでなく、彼女自身も自分の足取りを隠そうとしている。この女はただものではない。恐ろしく巨大でアンタッチャブルななにかが背後に見え隠れする。それは国際的な犯罪組織か、あるいは国家か。
捜査員の顔色が変わった。

検死結果

司法解剖の報告書は警察をさらに混乱させた。
身体が燃えはじめたとき、彼女がまだ生きていたこと。胃の中から50~70錠の睡眠薬がでてきたこと。指紋はすべて削ぎ取られたうえに焼きつぶされていたこと。転倒か暴行による打撲痕が首に認められたこと。

警察は、検視結果から導いた身体的特徴をもとに似顔絵を作成し、メディアやICPO(インターポール)を通じて国内外に情報提供を呼びかけた。
寄せられた目撃情報によると、「イスダルの女」は数か国語に堪能な30代の上品な美女。死の直前までベルゲン市内のホテルを転々としており、チェックイン後に必ず部屋を変え、閉じこもりがちで、なにかを警戒しているようすだったという。
11月23日にホルダヘイメンホテルをチェックアウトしたのを最後に目撃情報は途絶えた。 以降、遺体となって発見されるまでの6日間
の足取りは不明のままだ。

ほどなく捜査当局は「女性は大量の睡眠薬を服用後、意識朦朧とした状態で焚き火に突っ込み、火傷を負い、そのまま煙に巻かれて一酸化炭素中毒による自殺をはかった」と発表した。

この説明に誰が納得するだろうか? 
「近くに焚き火やキャンプファイアーはなかった」のではなかったか。
百歩譲って、自ら命を絶ったとしよう。だとしても両手の指紋をすべて削ぐなどという芸当は一人でできるものではない。途中で片手が利かなくなるからだ。残りの手の指紋を削ぐには、あらかじめ刃物をどこかに固定しておかなければならない。そうしたところで、大量の睡眠薬を飲んだあとでは至難の業だろう。自分の正体をばらさずに命を絶ちたいなら、もっと簡単で確実な方法がある。数十錠もの睡眠薬の摂取こそが他殺の証拠ではないかという指摘があるが、筆者もこれに同ずる。

彼女は何者かに指紋を削がれ、生きながら焼かれて消されたのではないか。本人につながる糸もすべて抹消されて。
だとすれば、当局は自殺と宣言することで表向きの幕引きをはかった可能性がある。

新局面

事件から35年たった2005年、事件当時26歳だった地元の男性がメディアに貴重な情報を寄せた。

「遺体発見の5日前、24日のことだった。その日、わたしはベルゲンのフロイエン山で仲間とハイキングを楽しんでいた。そのときにすれ違った女性が心にひっかかっているんだよ。彼女は山歩きに不釣り合いな軽装で、おびえていたのか、とても険しい表情をしていた。すぐあとを黒いコート姿の2人の男が歩いていたのも奇異に映った。3人は知り合いらしく、女性は男たちになにかを言いかけて、あきらめて口をつぐんだ。わたしは警察署に行って似顔絵も確認したんだよ。でも、『この件には首を突っこまないほうがいい』と知り合いの警察官に言われた」

警察官にそう諭されたら、一般市民はそれ以上踏みこもうとは思わないだろう。この女性が「イスダルの女」その人であるならば、これが生前に目撃された最後の姿となる。

現在にいたるまで、「イスダルの女」の個人情報はいっさい公開されていないという。メディアがとびつきそうな案件にも思えるが、一方で深入りは禁物という胡乱な臭味もそこはかとなく漂う。
こうして「イスダルの女」は、ノルウェー最大のタブーとして半世紀にわたり人々の記憶の隅に刻まれることになった。

正体が露見して消された女性スパイ説

はたして「イスダルの女」は何者なのか。もうお気づきのように、その正体については諜報員だった可能性が指摘されている。
身元の特定につながる情報をすべて消されていたこと、複数の偽名と偽造パスポートを使い分けていたこと、ヨーロッパじゅうを移動していたこと、数か国語に堪能であったこと、さらに暗号メモや謎の多い目撃証言などがその理由だ。

おりしも、事件は東西冷戦のただなかに起きた。このころ、ソ連と西側諸国のはざまにおかれたノルウェーでは諜報活動が盛んに行われていたという。
60年代に軍事施設周辺で頻発した外国人の不審死は、国際スパイ活動によるものだったことがわかっている。のちに機密解除された軍事記録によって、一連の不審死がペンギンミサイルの極秘実験の時期に重なることも示された。ベルゲンの南に位置するスタヴァンゲルでミサイル実験が行われたとき、近隣の漁師が「イスダルの女」らしき女性を目撃しているほか、彼女がレインブーツを同地で購入したことも裏がとれている。

「イスダルの女」は諜報活動のためノルウェーに潜入した他国のエージェントであり、正体を知られたか、なんらかの失策を犯し、亡きものにされたという仮説は成り立つだろう。監視下におかれていたため出国もままならず、それでもベルゲン市内のホテルを転々としながら、戦々恐々としていたのかもしれない。なんとか敵の目を欺こうとして。

半世紀ぶりに大規模な捜査が再開

明確な証拠がないまま、多くの疑問を残して事件は幕を閉じた。自殺という当局の発表に異を唱える識者は現在も後を絶たない。
遺体発見から2か月あまりで彼女はベルゲンの集団墓地に埋葬され、真相は歴史の闇に葬り去られたかにみえた。そんななか、突如としてノルウェー全土に激震が走った。半世紀を経て大がかりな捜査が再始動したのだ。

将来の分析のために埋葬せず、保管していた歯の同位体分別測定を行ったところ、「イスダルの女」はドイツとフランスの国境付近もしくはフランス国内で育った人物であろうという結論に達した。さらに、東アジアや南アメリカで受けたとみられる歯の治療痕も確認された。

はたして21世紀の科学捜査は謎の女の正体にたどり着くことができるだろうか。捜査が進むにつれて捜査員が姿を消したり、外交問題へ発展したりするのだけは勘弁していただきたい。
このミステリーを白日のもとにさらしてくれた勇敢な少女はどうしているだろう。その刹那、眼前に見た光景が人生に影を落としていないことを願うばかりだ。

featured image:Reinhardheydt, Public domain, via Wikimedia Commons

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