メジャーリーグの都市伝説で、誇りでもあるお話をご紹介しますね。
メジャーリーグとは?
MLBメジャーリーグは、創立以来100年以上でアメリカではかなり歴史的に古いスポーツです。
日本のプロ野球は昔の選手を知っていると古いと言われちゃったりするのですが、メジャーリーグの場合はじいさまが孫に昔の有名選手のあのプレイを見た、○○年のワールドシリーズではという話をすると、若い人も目を輝かせて聞きたがり、いろいろ知っていると尊敬されるんですね。
メジャーリーグで起こった出来事は、どんなことでも歴史的な事件として語り継がれるものなんですよ。
ジャッキー・ロビンソンの 伝説
ということで映画にもなった劇的な出来事といえば、1945年のまだ東海岸にいたころのブルックリン・ドジャースでのメジャーリーグ初のアフリカ系選手ジャッキー・ロビンソンのデビュー、これはほんとうにセンセーショナルな事件だったのです。
19世紀の一時期、メジャーリーグに最初のアフリカ系選手が在籍したことがあるそうですが、ジャッキー・ロビンソンはドジャースのオーナーのブランチ・リッキーが、その頃は人種差別のせいでニグロ・リーグでプレイしていた優秀なアフリカ系選手たちが今後メジャーリーグでプレイすることを予測して、最初の選手としてふさわしいと野球のスキルだけでなく人柄とかまで見込んで選ばれた選手でした。
ジャッキーはブランチ・リッキーから、どんなにひどい野次やチームメイトの差別にも耐えられるかと、実際に暴言を言われたりしてもやり返さない勇気をもてと諭され、請け負いました。ジャッキーは最高の選手だったので、最高のプレイヤーが揃ったメジャーリーグでプレイできるなら何でも耐えられると思ったのではないでしょうか。また、自分が最初のアフリカ系選手になる先駆者に選ばれたことにも興奮したでしょう。
黒人選手故の反発
ジャッキーのデビューは観客だけでなくチームメイト、相手チームすべてにものすごい反発があったそうですが、デビュー以後、大活躍をして新人王に輝きドジャースも常勝チームに。チーム内も、最初こそジャッキーがチーム入りすることを嫌がってトレード希望した選手もいたが、ジャッキーの素晴らしいプレイに魅了され、またチームの勝利に貢献して給料も増えるしとだんだんとジャッキーを受け入れるようになったそう。
このジャッキーの衝撃のデビューから70年以上たったいまでは、メジャーリーグはアフリカ系の選手もラテン系の選手もアジア系の選手も仲良くプレイする、色々な言語が飛び交う立派な多国籍リーグになっております。
そしてこのジャッキー・ロビンソンのデビューは1945年で、アメリカで公民権運動が盛んになった1960年代よりずっと前だったということがメジャーリーグの誇りとなり、毎年4月18日はジャッキー・ロビンソンデーとして、全員がジャッキーの背番号42(すべてのチームで1997年から永久欠番)をつけてプレイし、ジャッキーの偉業をたたえることになっています。
人種差別
人種差別、偏見のバリアを破り、認められる偉業を成し遂げるのは大変なことだというのは、このジャッキー・ロビンソンの話でもわかります。しかしヘイトクライムはいまだに起こるし、それに対する怒りが大規模なデモや暴動に発展しがちです。
これは皮膚の色でその人種の能力が劣るということが、人種差別の本質だからだと知ったときは、正直ショックを受けたものです。日本ではそういう考えがまったくないために、イラストや漫画のアフリカ系の人の描写などが問題になっただけでおどおどしたり、差別がないと言われても苦笑いで受け流したりして、人種差別の本質も怒りも理解できない人が多いみたいなのは、喜んでいいのかどうかわからないです。
ですが日本に住んだアフリカ系の人たちが、日本には人種差別がないと公言しています。アフリカ系アメリカ人の方などは母国ですら自分たちは常にアフリカ系だと意識せざるを得なかったが、日本では意識しなくていいので人生で初めて落ち着いて自分をみつめることができたというコメントをネットで見つけたときは、普通に日本社会に暮らしている体験だけで、いちいち説明しなくてもわかってもらえてるんだな、とほっとしましたです。
featured image: Photo by Bob Sandberg, Look photographerRestoration by Adam Cuerden, Public domain, via Wikimedia Commons
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