2018年、春にアニメ化された大人気漫画「ゴールデンカムイ」のキャラクター「脱獄王」こと白石由竹には実在のモデルがありました!
作品より後の時代の昭和の脱獄王ですが、そのモデルとなった白鳥 由栄(しらとりよしえ)を紹介します。
昭和の脱獄王
白鳥 由栄(しらとりよしえ)は、収監された刑務所で複数回の脱獄事件を起こして、「昭和の脱獄王」と呼ばれました。
この異名で呼ばれたのも、脱獄をした際に看守らに危害を加えたり、人質を取ったりするようなやり方は一度もなかったことから、ある種の敬意をもって当時そう呼ばれたという伝説の男です。26年間の服役中に4回の脱獄を行い、逃亡年した総時間は3年にも及んだと言われます。
白鳥 由栄の生い立ち
青森県にて1907年7月31日 生まれました。1933年に強盗殺人を犯して、2年後に自首して投獄されました。このときに投獄された刑務所の扱いが劣悪だったことに抗議したところ、さらに厳しい懲罰を受けます。
これがきっかけで、その後、次々と脱獄と収監を繰り返す脱獄王としての道を進むことになりました。
脱獄王の誕生
収監先の網走刑務所を脱獄したときの手口は、時間をかけて手錠と監視口に味噌汁を吹きかけ続けて、味噌汁の塩分で鉄をもろくさせて脱獄しました。今でも史跡として残る網走刑務所には、天井付近の針の部分を伝って逃亡する白鳥の模型が観察できます。
後年、様々な作品に応用、紹介されもっとも有名となった脱獄の手口ですね。
その後も、看守6名1組にて厳重な監視下に置かれるも、白鳥は脱獄に成功します。
脱獄王の最期
太平洋戦争後に逃亡先で捕まった白鳥は、懲役20年の刑を受けて府中の刑務所に収監されます。この刑務所では、白鳥を普通のの受刑者と平等に扱ったため、白鳥は模範囚として刑に服しました。そしてついに、1961年に仮釈放されます。
出所後は建設作業員として働き、1979年に心筋梗塞で死亡しました。享年72歳でした。
(C) 野田サトル/集英社・ゴールデンカムイ製作委員会
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