イギリス陸軍伝説の兵士!ジャック・チャーチル中佐は剣とバグパイプで戦った?

古今東西、悲惨で大きな犠牲を伴った戦争であっても、その傍らでは特筆すべき軍功を挙げた兵士が少なからず存在し、その殊勲の働きが後生に語り次がれている事も事実。
例えばそれは、戦闘機乗りであれば「撃墜王」、狙撃兵であれば「伝説のスナイパー」など担当した任務における勇名として伝えられる事も多いが、そうした枠に収まりきらない人物もいます。
それは、イギリス陸軍の軍人として主として第二次世界大戦で活躍したジャック・チャーチルも正にそうした兵士の代表格であり、「マッド・ジャック」の異名を持つ型破りな人物であるのです。

生い立ちと伝説の始まり

ジャック・チャーチルは1906年9月16日生まれで、生誕地についてはイングランド若しくは当時のイギリスの植民地・香港やセイロンなど諸説があるようで確かな事は不明です。
但し父親はイギリス政府の役人であり、その関係でイギリス本国と香港などの植民地を点々とした事は事実のようで、後年トレードマークとなるアーチェリーとバグパイプを嗜んで成長したと言われています。

ジャック・チャーチルは1926年に20歳でイギリス陸軍の士官学校を卒業し、東南アジアのビルマに派遣されて1936年までその地で軍務に服した後、一旦軍を退役。
その3年後の1939年9月、ドイツとソ連とがポーランドに侵攻した事で第二次世界大戦が勃発、ジャック・チャーチルも33歳でイギリス陸軍での軍務に再び服すことになりました。

ジャック・チャーチルの伝説の始まりは翌1940年5月に起り、ここで彼は敵兵であるドイツ軍の軍曹を攻撃開始に先駆けてロングボウを用いての殺害に成功しました。
何故ジャック・チャーチルがこうした攻撃を行ったのかは定かではないが、第二次世界大戦中のイギリス軍の公式記録において唯一の弓矢での敵兵殺害の事例として語り次がれています。

転戦するジャック・チャーチル

その後の戦いで英仏らの連合軍は一旦ドイツによりヨーロッパから駆逐されたが、ジャック・チャーチルはダンケルクからの撤退の後、自らイギリス軍内のコマンド部隊に志願。
そして1941年12月にコマンド部隊員としてノルウェーへの奇襲上陸作戦に従軍、バグパイプを奏でながらジャック・チャーチルは奮戦、結果作戦は成功し勲章を授与されます。

これでジャック・チャーチルの奇行は周囲も認める事になった模様で、1943年7月のイタリアでの作戦では指揮官も務めつつ、ロングボウに両刃の剣そしてバグパイプを携える異形の軍人となったのです。しかしこれが単に奇をてらうだけの出で立ちではなく、サレルノの作戦では敵兵42名を捕虜にする働きを挙げており、いつしか伝説の兵士「マッド・ジャック」との異名で知られるようになります。

やがてジャック・チャーチルは1944年のユーゴスラビアで後に同国大統領になるチトーらパルチザンと共に作戦に従事するも、ドイツ軍の捕虜となり2度の脱走を試みるなどの抵抗を見せます。
ドイツの敗戦が濃厚となる中、ジャック・チャーチルは何とかドイツ軍から逃れアメリカ軍の元に辿りつき、そこから今度はインド経由でビルマ戦線に向かう事になり、まさに転戦していくのでした。

上陸訓練で剣を片手に先導するジャック・チャーチル
■上陸訓練で剣を片手に先導するジャック・チャーチルWar Office, Public domain, via Wikimedia Commons

第二次世界大戦の終結を向かえたジャック・チャーチル

1945年5月にはドイツが連合国に降伏、ジャック・チャーチルがインドに到着した1945年8月にはアメリカが残る日本に2発の原子爆弾を投下し、同月15日に第二次世界大戦は終結を向かえます。
しかしこの戦いで数々の武功を挙げ、ロングボウに両刃の剣、バグパイプを携える伝説の兵士「マッド・ジャック」と呼ばれた男は、その栄光の日々を惜しんでか戦争を終わらせるきっかけをつくったアメリカを罵ったと言うことです。

ジャック・チャーチル曰く、アメリカが余計な真似をしなければ少なくとも後10年は戦争の日々を送れたと述べて不満の意を隠そうともせず、戦場に生きがいを見出していた事は明らかだったようです。

退役を迎えたジャック・チャーチルとその晩年

第二次世界大戦を終えたジャック・チャーチルだったが、その後も陸軍に留まり空挺兵士の資格を得るとパレスチナへ派遣され、その地で軍人としてのキャリアの終焉を迎えます。
1948年4月に同地でイギリス側の医師ら医療関係者がアラブ系のテロリスト達に襲撃される事件が発生、ジャック・チャーチルは12名の部下を率いてこれを救出すべく奮戦するのでした。
但しイギリス軍自体はこの襲撃に介入しない立場であったが、ジャック・チャーチルはそれを無視して独断で行動、最終的にはイギリス軍も介入へと方針を変更、多くの関係者の命を救う事になったのです。

ジャック・チャーチルは1959年に最終階級を中佐としてイギリス軍でのキャリアを終え退官、オーストラリアに渡った際に今度はサーフィンに熱中するなど相変わらずのバイタリティを発揮したのでした。
退官から27年後となる1996年、ジャック・チャーチルは享年89歳で波乱に満ちた生涯を終え、今日まで残る伝説の人物として名を残す事になります。

第二次世界大戦終結時のアメリカに対する愚痴や、パレスチナ派遣時にイギリス軍の方針に逆らって行動した点などを見るに、正に乱世を好んだ特異な人物だったと言えるます。

eyecatch source:不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由

最新情報をチェックしよう!