「ジョジョの奇妙な冒険」と言えば、不老の(?!)漫画家として名を馳せる「荒木飛呂彦」氏の作品であり、現在「ウルトラジャンプ」において第8シリーズに当たる「ジョジョリオン」が絶賛連載中である、今や日本を代表するビッグタイトルである事は「言わずと知れた」ものと言えるでしょう。
アニメシリーズも好評を博し、いよいよ「第6部」とされる「ストーンオーシャン」の放送が開始されました。
この「ストーンオーシャン」は「ジョジョ~」シリーズが現在まで続き、昨年話題となったスピンオフ作品「岸部露伴」シリーズなどの派生を生み出す結節点にして転換点とも言え、過去シリーズから踏襲されてきたオカルティックな論理と哲学的とも言える物語が臨界点を迎えるシリーズとなっています。
それ故に、物語構造はおぞましさと気高さを緻密に織り上げた、シリーズでも特異性を放つ「芸術性」にまで昇華されている一方で「人の業」をも鮮やかに抉り出し、醜さをも照らし出す凄まじさから賛否が分かれる作品ともされ、何となく敬遠してしまうファンの声を少なからず耳にした事があるものです。
しかしこの作品の結末へ辿り着く事無くして現在は無いと言えるだけの絶大な衝撃を約束する一篇であり、アニメ化されたとあって、始めて触れる人に是非とも楽しんで頂きたいという思いから、敢えてこの「著名過ぎる」作品を今回は紹介致します。
主人公はなんと「女性囚人」?!
幕開けから物議を醸す驚きの展開を受け止めて欲しい!その先にこそ「ある囚人は星を見る」!
「囚人番号~」のフレーズに、扉絵には牢獄に拘束された主人公「空条徐倫」の姿、そしてタイトルには「石作の海(ストーンオーシャン)」の重々しい文字が掲げられ…と、衝撃的な展開から開幕が告げられます。
この「牢獄から登場」という姿、そして「空条」の名から、過去作からのファンなれば「第3部」においてツッパリ無頼の御意見無用、曲がった事は叩いて通る筋を通す伝説の主人公「空条承太郎」の姿を思い起こすオマージュとなるかもしれません。しかし、かつての主人公が自ら制御出来ない暴力を戒める為に鉄の意志で以て牢へ入ったその姿とは対照的に、何故この場に居るのか、その事実を認められずさまよう心に惑う姿が、この作品を覆う不審と疑念の予兆であるように見る者の不安を掻き立てます。
そんな先の見えない闇の中、肩に浮かぶ星のアザと、わずかに垣間見せる「空条徐倫」の射貫くような眼差しが、無間の闇をたった一筋照らし出す希望の如く示されて、牢獄へと誘われる事となります。
「奇妙な冒険」を謳うこのシリーズ作品においても、先行きに何が待つのか全く見えない図抜けて異色の展開は、連載当時のみならず、現在に至るも受け止めきれないという声は少なからず耳にします。ですが、このあまりにつかみ所の無く、胡乱とすら見える先の見えない世界の中で、それでも「星」を掴もうと生きる姿…賢明でも無ければ格好良くも無い、誰に認められる事も無く正義ですらない、目的すら見失っても立ち上がり進む、寄る辺なきヒトが善も悪も無くただ希望を掴もうと足掻く姿を描く道筋として「先が見えない」所からスタートしなければならなかったのではないかと思えるものです。
作者である「荒木飛呂彦」氏が描こうとし続けている「人間賛歌」という遠大なテーマを語る上で、決して避けて通る事の出来なかった「必然」が形となった姿だと示唆される一篇、尊厳すらも履き捨てられる「マイナス」からの幕開けに向かい燦然と輝く「成長性A(超スゴい)」のストーリーを見逃さないで下さい!
あなたがあなたで無くなっても
歌い継がれる「人間賛歌」が行き着く究極の向こう側とは!
「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズと言えば第1部から連綿と受け継がれる「戦いの歴史」であり、第3部からは「スタンド(幽波紋)」という精神を象ったビジョンが交錯するというオカルティズムを内包したバトル漫画として、その印象的な作品世界は今や「クールジャパン」の一角として世界的な認知を得るものとなっています。
その根幹に根差すのは、時代や歴史、国や場所といったものを越え、人が人として魂を奮わせ、立ち向かい、生きようとする時に彼らは何を叫ぶのか…形は無く、然りとて人として感じずには居られない「何か」を探し求めるように、最も激しく人が魂をぶつけ合い、削り合う「戦い」というシチュエーションを通して浮かび上がらせようとする表現であると見る事も出来るでしょう。
その「他者を圧倒する」「破壊的」なイメージとして、スタンドと呼ばれるビジョンが「拳闘士」や「戦士」、或いは「銃器」等の姿を取り、拳を打ち出し、或いは弾丸として撃ち出し、時には自然や物体を操って物理的な威力とする、文字通りの「死力を尽くした」戦いが数多繰り広げられるシリーズにあって、本作は更にその先、何故「スタンド」という「過ぎた力」が存在するのかという語られざる意味を見つめ、その上で登場人物達が何を目指そうとするのかという踏み込んだ物語が描かれます。
過去のシリーズにおいては、その圧倒的な暴虐と支配性の行き着く先として「時間を操る」能力の発現が描かれて来た「歴史」を踏まえ、更にその「先」へ踏み出そうとする事となります。それはただ「能力」という枠組み、優劣の証として「能力」を行使するという事ではなく、その力が世界に対して何を働きかけているもので、持つ者がそれを如何に行使するのか…そんな「意志の向き方」とも言うべき事を「スタンド」という「魂の形」に「科学の視線」を合わせて語ろうとする方向性が提示されていきます。
この「オカルト」と「科学」の両面をギリギリのせめぎ合い…単なる理由付けではなく「思考する為の足掛かり」とする物語構築において取り込み、登場人物が思い悩み、或いは反撃の糸口としていく語り口の追体験として、読者に世界を感じる「肌感覚」を提供していく作り込みとして機能していくものとなっています。
その「機能」は物語として残酷な「現実」をも突き付けるもの…過去において、人がその戦う意志を奮い立たせて来たものが「崩れ落ちてしまう」ような結末も冷徹に描き出す事でもあります。
本作はこの「人間賛歌をそれでも歌い続ける事は出来るのか?」と、人間社会そのものが冷酷に疑問を投げ掛ける、その極北とも言える「牢獄」こそが物語の始まる場所となり、常に物語へ影を落としていく問い掛けとなっていきます。
あまりにも重く、苦しい問い掛けも賛否両論激しい交錯が語られる要因と見られる本作ですが、その結末…「それでもこの結末まで足を止める事は出来なかった」と言える最果ては、この現在だからこそ語られるに値する作品だと言えるものになっています。
アニメの展開に先立って原作を読むも良し、アニメを見届けてから原作に挑むも良し、いずれにあっても「今見届けて欲しい」作品だとして紹介させて頂く次第です。
さいごに
なお、本作は位置づけとして「ジョジョの奇妙な冒険第6部」とされる一連の作品となっていますが、必ずしも過去作品を読まなければならないという事ではありません。
ただ、物語の端々に挟まる要素が「過去作からの歴史」を仄めかすものにもなっていますので、これを期に第1部から見直す、というのも良いものです。
全部は多すぎるのでかいつまんで要所を押えたい!という事であれば「第3部・スターダストクルセイダーズ」が最も関係性の深いシリーズとなっているのでオススメです。
(C) 荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社・ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
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