アメリカン・コミックス史上、最も不気味で最も人々を魅了する悪役。
笑う狂人、道化師の仮面をかぶった殺人鬼、それが「ジョーカー」だ。
彼はフィクションの世界にとどまらず、現実社会の犯罪に影響を与えている可能性があることをご存じだろうか。
ジョーカーの存在が現実にどのような影を落としてきたのか、いくつかの視点から分析していこう。
ジョーカーとは何者か?
まず、知らない方もいるかもしれないので、「ジョーカー」について説明する。
ジョーカーはDCコミックス『バットマン』のヴィランの一人で、初登場は1940年。
見た目はピエロを模した白塗りの顔に赤い口紅の笑顔。しかし、その笑顔は楽しさではなく、狂気と悪意を象徴する。
ほとんどのヴィランは金や権力を求めるが、ジョーカーは違う。
根底にあるのは「理由なき悪」であり、世界そのものを「くだらないジョーク」と見なし、人間社会を混乱と絶望に陥れること自体を楽しむ。
つまり犯罪は彼にとって“目的”ではなく“ゲーム”であり、爆弾や毒ガスを使った大規模なものから、計算された心理戦まで手口は多彩だ。
ジョーカーは「バットマンの鏡像」とも言える。
バットマンが秩序・正義・抑制の象徴であるのに対し、ジョーカーは無秩序・悪意・快楽の象徴だ。
ファンの間では「もしバットマンが存在しなかったら、ジョーカーは存在しない」と言われることもあり、単なる「敵役」を超えたヴィランである。
影響を受けた模倣犯たち
恐ろしいのは、ジョーカーの狂気に共鳴し、現実で「ジョーカーになろう」とした者たちが世界中に現れた。
虚構の道化師が人間の心を侵食し、現実社会に凶行を生み出した、現実のジョーカーとも言える「模倣犯」たちを追う。
2012年 コロラド州オーロラ銃乱射事件
クリストファー・ノーラン監督の映画『ダークナイト ライジング』が公開された直後、オーロラの映画館で発生した大量殺人事件。
上映中、ジェームズ・ホームズはガスマスクと防弾チョッキ姿で立ち上がり、自動小銃やショットガンを乱射した。犠牲者は12人、負傷者は70人以上に及ぶ。
取り調べの中でホームズは「自分はジョーカーだ」と語り、赤髪や紫の服装など、道化師を意識した装いをしていたことが報じられた。
この事件は、アメリカ社会に「ジョーカー模倣犯」という概念を広めるきっかけとなった。
2014年 ラスベガス銃乱射事件
ネバダ州ラスベガスで夫婦による無差別銃撃事件が発生。警察官と市民合わせて5人が死亡した。
報道では、犯人らは反政府的思想とともに、ジョーカーを意識した装い・発言を行っていたとされる。
直接的な模倣の色は薄いが、「無秩序な暴力」を象徴する存在として、ジョーカーのイメージが参照されていたことは明らかだ。
2019年 マニラ強盗犯
ホアキン・フェニックス主演映画『ジョーカー』公開直後、フィリピン・マニラで発生。
犯人は白塗りの顔、緑の髪、紫のスーツという“ジョーカー風”の姿でコンビニを襲撃。幸い死者は出なかったが、監視カメラ映像が拡散され、映画の影響力が議論となった。
2021年 京王線無差別刺傷事件
ハロウィンの夜、東京都の京王線車内で無差別刺傷事件が発生。犯人は緑の髪、紫のスーツというジョーカー姿で犯行に及び、車両に放火。SNSやメディアを通じて世界に映像が拡散された。
取り調べで犯人は「映画『ジョーカー』に影響を受けた」と語り、自分を絶望した存在としてジョーカーに重ねていたことが判明。
この事件は、心理的模倣も含めた「ジョーカー化」の一例として分析できる。
2022年 安倍晋三元首相銃撃事件
奈良県で選挙演説中、元首相・安倍晋三が銃撃され死亡。犯人の山上徹也は手製の銃を使用。政治的動機に加え、個人的な恨みや孤立感が行動の背景にあったとされる。
事件前、山上はSNSに「ジョーカーはなぜジョーカーになったのか。何に絶望したのか、何を笑うのか」と書き込み、自身を追い詰められた存在としてジョーカーに投影していた可能性がある。
コスプレなどの直接的模倣はなく、心理的モデルとしてジョーカーを参照した点が注目される。あくまで分析上の考察ではあるが、フィクションが精神に及ぼす影響の深さを示す事例と言える。
コミックが予見していた「劇場型犯罪」
ジョーカーに関わらず、ヴィランが犯罪者たちに影響を与えたというのは、よくある陳腐な話だろう。
だか、逆に「ジョーカーの登場そのものが、現代の犯罪を予言していた」としたらどうだろうか。
初登場エピソードでは、ラジオ局の電波を乗っ取り、市民に対して無差別の殺害予告を行う。
告げられた人物は次々と命を落とし、街は混乱に陥る。
当時まだ「劇場型犯罪」という概念すら存在していなかった時代に、ジョーカーはすでに「犯行予告によって大衆を翻弄し、混沌を楽しむ存在」として描かれていた。
現代において、ネット掲示板やSNSを通じた犯行予告、爆破予告、電波ジャック、さらにはハッカー集団によるメディア干渉。こうした手口が常態化した今、ジョーカーの最初期の行動は、ある種の“未来の犯罪様式”を先取りしていたとすら言える。
すると、ジョーカーは早くから「犯罪の演出者」という性質を持ち、彼が描いた狂気の構図に現実が追いついてしまったと思えるのだ。
現実の殺人鬼が「ジョーカー」を変えた?
ジョーカーは狂気の犯罪者として描かれてのだが、バットマンのシリーズが人気になるに従い、コミックそのものがソフトな子供向けへ路線が変更され、ジョーカーも無害なピエロのように変化していった。
牙を抜かれたジョーカーの人気は次第に落ちていき、60年代になるとバットマンの宿敵というポジションもリドラーに奪われてしまった。
だがそれで終わるジョーカではないのだ。
逆に現実の殺人鬼から、フィクション側が影響を受けたという説が浮上するほどの事件が起きた。
アメリカの連続殺人犯ジョン・ウェイン・ゲイシーだ。
ゲイシーは地域社会では善良な人物として知られ、「ポゴ」というピエロに扮してイベントに出演して子供たちと接していた。しかし、その裏では、30人以上の少年を自宅地下室で凌辱・殺害していたのだ。
事件が発覚し、ゲイシーは1978年12月に逮捕されるのだが、”キラークラウン”と呼ばれ猟奇性にアメリカ社会を震撼させた。
同じ時期、DCコミックスはジョーカーを“冷笑的な殺人鬼”として、再解釈するエピソード『The Laughing Fish』を発表。そこではジョーカーは無意味に命を奪い、ただ笑いながら犯罪を繰り返す存在として描かれていた。
ゲイシー事件が社会に残した「ピエロの仮面をかぶった狂気」が、ジョーカー像の変質に影響を与えたと見るファンもいる。つまりは、虚構と現実が互いに影響を及ぼす構図が確認できる。
フィクションの壁を超える存在
ジョーカーは、他のキャラクターと決定的に異なる事がある。
それは主人公ですら超えてしない壁で、「自分が虚構の存在である」ことに気づいている点なのだ。
これはただの比喩ではない。実際にコミックにおいて、ジョーカーは読者の存在を意識したかのような奇行を繰り返している。
彼はページのこちら側に話しかけ、時には“ページをめくろうとする”仕草を見せる。まるで自分が「物語の登場人物に過ぎない」ことを理解しており、それを嘲笑い、破綻させようとしているかのように思える。
いわゆる「第四の壁」を破るという事象であり、現実に生きる読者たちの世界を意識している存在なのかもしれない。
あくまでもメタ的な演出なのだが、それ故にファンの間で一つの疑惑を生んだ。
「ジョーカーは現実世界の読者や観客に干渉して引きずり込み、模倣犯として事件を起こすことすら楽しんでいるのではないか」という恐ろしい解釈だ。
もちろんこれは物語的な読み込みにすぎないが、そうした想像を誘発する異質さをジョーカーが持っていることは確かだ。
笑う狂気に引き込まれる
あくまでも仮定の一つなのだが、現実社会に影響を与えているのは間違いはない。
彼は心の中に棲みつき、絶望と怒りを増幅させ、狂気を正当化する物語として機能する。
現実を取り込み、やがては読者自身を、“共犯者”へと変えていく。
ジョーカーを見つめるという行為は、狂気を覗き込むことなのかもしれない。
そして、その狂気がこちらを見返してくると感じたとき、すでにあなたは、彼の“ゲームの一部”に取り込まれているのかもしれない。
怒りや絶望、社会への苛立ち、周囲からの孤立、そういった感情の隙間に、囁き声を送り込む。
「世界はジョークだ」「お前も笑えばいい」「真面目に生きて何になる?」
ジョーカーが狂気を煽り、現実世界に手下を増やしているという解釈は、もはや荒唐無稽ではない。
フィクションの中だけの悪役ではないと見るべきであろう。


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