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自衛官と生活していく上で欠かせないもの「転勤」

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自衛官と生活すると転勤がつきものだと思います。
元自衛官の身内としてどのような転勤人生を送ってきたのか赤裸々に語ります。

目次

「転勤生活」を振り返る

私は元自衛官を父親に持つアラサーです。
今現在の父親は退官して別の仕事に就いていますが、元自衛官の家族として父親の自衛官だったときの生活についてお話します。

私が生まれたときは関東の某県にいましたが、某県にいるときに転勤(県内の別の市を転々とする転勤)が何回かあり、
0歳から3歳までは、生まれた地域にいたのですが、その頃の記憶はあまりに年齢が幼すぎたので覚えていません。

最初の引っ越し先は4歳から5歳までと短く幼稚園で年長から年中までの期間です。
引っ越し先の官舎の住人は私と同じくらいの年齢の子どもが何人もいて、その中でもひときわ3組の家族と家族ぐるみの付き合いをしていて、休みの日にお互いに予定があれば色んなところに遊びに行く仲でした。

年長になると、転勤する事になり、仲が良かった3組の家族とも別れる形になりました。
1年という短い期間ではありましたがとても充実した生活を送っていましたし、当時通っていた幼稚園も先生方がとても優しく大好きだったのでショックが大きかったのを覚えています。

なじめなかった幼稚園

そして次の引っ越し先は、6歳ぐらいから9歳までだったのですが、この転勤ではいろんな意味で私の中で衝撃を与えたものになりました。

転園先の幼稚園では「急に来たよそ者」という認識だったのか、あまり歓迎されていないような感じがしました。
担任の先生には冷たく対応され、一部のクラスメイトからも嫌われていてなかなか馴染めなかったです。(私自身かなり人見知りで内気だったので、自分の性格が原因と言われるとそれまでですが)
それでもこんな私と仲良くしてくれる子が何人かいたので最後の幼稚園生活をやっていけたのだと思います。

小学生にもなると

それでも小学生になると、辛いことも楽しいこともたくさんあり、そして何より周りに恵まれていたので有意義な時間を過ごしていていました。
そんな私に両親からまた転勤が決まったという知らせを聞かされました。

「今まで某県を転々としていたから今回も別の市に移動するだけだろう」、「大丈夫大丈夫」なんて思っていたところ、転勤先が九州の某県と聞き愕然としました。
当時まだ社会で日本地図を学んでいませんでしたが、九州の某県は母親の地元なので遠いことは知っていました。

引っ越しギリギリまで現実を受け入れられず、「引っ越したくない」「友達と離れたくない」「なんとかならないのか」と両親に反抗したのを覚えています。
その反抗もむなしく九州の某県に引っ越しとなりましたが、九州に来てからというもの、遠くからやってきた転校生が珍しかったのかものすごく興味を持たれ、幼稚園の年長時代のような「よそ者」扱いを受けずに済んで良かったです。
(引っ越しが嫌だったのは年長時代のトラウマがあったからというのも多少はあります)

九州にきてからは

九州に引っ越してからしばらくは転勤がなかったですが、高校生の頃にまた転勤が決まりました。
そのときは九州の別の県とさほど遠くはない転勤先でしたが、私も高校生になったばかりでしたし私以外の兄弟のことを考え、父親一人で赴くことになりました。(要は単身赴任です)

数年後に父親が戻ってきましたが、そこからは定年になるまで転勤はなく、自衛隊の退職と共に転勤に振り回される事はなくなるのでした。

自衛官と結婚するということは

総括すると自衛官と結婚すると転勤を覚悟すべきですし、自衛官の子どもなら引越しと転校を余儀なくされます。

「出会いがあれば別れもある」という言葉が身に染みると思います。
「友達との別れ」は必然で誰しもしたくないことですし、不安もあると思いますがきっと素敵な出会いが待っていることでしょう。

もしこの文章をを読んでどう考えるかはあなた次第ですが、自衛官と結婚を考えている方や、これから自衛官になろうと思っている方の参考になれば幸いです。

※画像はイメージです。

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