旧日本海軍の特攻兵器「回天」。所謂「人間魚雷」として悪名の高い兵器です。近年では漫画「特攻の島」などでも描かれたこの兵器を振り返ってみたいと思います。
回天とは
回天(かいてん)は、太平洋戦争時に大日本帝国海軍が開発した人間魚雷で、日本軍初の特攻兵器です。「回天」という名称は、特攻部長大森仙太郎少将が幕末期の軍艦「回天丸」から取って命名したものです。開発に携わった黒木博司中尉は「天を回らし戦局を逆転させる(天業を既倒に挽回する)」という意味で「回天」という言葉を使っていました。
秘密保持のため付けられた〇六(マルロク)、的(てき)などの呼び方もありました。1944年(昭和19年)7月に2機の試作機が完成、11月20日のウルシー環礁奇襲で初の実戦投入がされ、終戦までに420基が生産されたと言われています。
回天の構造
「九三式三型魚雷(酸素魚雷)」を改造して、特攻用の兵器としたものです。元の九三式三型魚雷は直径61cm、重量2.8t、炸薬量780kg、時速48ノットを発生する無航跡魚雷で、主に駆逐艦に実装されていました。
回天はこの酸素魚雷を改造し、全長14.7m、直径1m、排水量8tの兵器で、魚雷の本体に外筒を被せて気蓄タンク(酸素)の間に一人乗りのスペースを作り、簡易な操船装置、襲撃用の潜望鏡を取りつけたものでした。炸薬量を1.5tの場合で、最高速度は時速55km/hで23キロの航続力がありました。
ハッチは内部から開閉可能でした、脱出用の装置はなく、一度出撃すれば攻撃の成否にかかわらず乗員の命はないつくりでした。
周南市回天記念館
住所は周南市大津島1960の瀬戸内海の島に、回天の訓練施設が現存しており、「回天記念館」が設けられています。島へは船で渡ります。実物の回天が保存されており、 訓練施設後などの見学も可能ですので、ご興味のおありの方は是非海を渡ってみて頂ければ、と思います。
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