「河童(カッパ)」といえば、「鬼」や「天狗(てんぐ)」と並んで、日本でもっとも有名な妖怪の1つ。ですが、そんな河童の正体は皆さん知っているでしょうか?
筆者が考える河童の正体は、間引きされた子ども・・・つまり「水子」です。その根拠は、あの柳田國男が書いた名著『遠野物語』にあります。
今回は、本当は怖い河童の正体について、民俗学の観点から解説・考察していきます。
河童とは?
河童と聞いて、この画像のような姿を思い浮かべる人は多いでしょう。
「カッパ巻き」など、料理名にもその名が使われるほど、現在は河童のキャラクター化が進んでいます。かわいらしい見た目のものもよく見かけますね。
しかし河童はもともと全国各地で語られていた妖怪で、名前も「水蛇(ミヅチ)」や「河太郎(かわたろう)」、「ガワッパ」、「川童(かわわらわ)」など、統一はされていませんでした。現在の「河童」という名前が定着したのは、芥川龍之介の短編小説『河童』の影響だとされています。
その行動も、キュウリと相撲が好きといったかわいらしいものから、人を川に引きずり込んで尻から内蔵(尻子玉(しりこだま))を抜くといった恐ろしいもの、はたまた村人の土木工事を手伝ったという友好的なものまでさまざまです。
しかし、以下の外見的特徴はある程度共通していると言ってよいでしょう。
- 緑色の体
- 体格は子ども
- 頭に皿がある
- 亀の甲羅を背負っている
- 濡れている(川や沼に住む)
河童の正体とルーツは?
河童伝説は全国各地に残っていますから、当然、河童の正体についてもさまざまな説があります。安倍晴明の式神だとか、中国大陸から輸入された妖怪だとか、水の神様だとか、はたまた宇宙人だとか?
そこで筆者は、河童の特徴的なビジュアルに注目しました。
有名な妖怪でも、「九尾の狐」や「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」、「がしゃどくろ」、「ろくろ首」などは、それぞれキツネ、蛇(龍)、骨、女性とすぐに元ネタがわかります。その一方で河童は、緑色の体に加え、お皿に甲羅・・・ビジュアルからはいまいち元ネタがわかりません。
しかし、柳田國男(やなぎたくにお)の『遠野物語』を読んで、筆者は河童の正体に気がついたのです。それは、現在の愛らしいキャラクターとなった河童のイメージとはかけ離れた、怖く、悲しいものでした。
筆者が考える河童の正体は、間引きされた子ども・・・つまり、「水子」です。
河童の正体は『遠野物語』に書かれていた!
河童の伝説は日本各地に残っていますが、とくに有名なのが岩手県遠野(とおの)市の河童伝説です。遠野には河童の出没地とされる「カッパ淵」が14カ所ほどあり、岩手県遠野市観光協会が「カッパ捕獲許可証」を発行しているほど、河童が身近な地域。
そんな遠野が日本で一躍有名になったきっかけは、あの『遠野物語』です。
『遠野物語』とは、日本民俗学の創始者である柳田國男が、遠野出身の佐々木喜善(きぜん)氏から聞いた遠野地方の不思議な話を聞き、それを書きまとめたもの。「神隠し」や「山の神」、「マヨイガ」、「座敷わらし」といった、妖怪や民間信仰にまつわるロマンあふれる物語が満載で、1910年に発表されるやいなや大反響を呼びました。日本民俗学の先駆的作品として、現在も読み継がれている名著です。
そんな『遠野物語』には、河童の話も5話載っています。
馬を川に引きずり込んだとか、相撲が好きなどといった、よく見る話が多い中で異彩を放っているエピソードが2話、載っています。それが、55話と56話です。
55話には、2代続けて河童の子どもを産んだというある家の話が載っているのですが・・・その河童の子は、殺されて土に埋められたというのです。またその子どもの姿は「極めて醜怪(しゅうかい)」。
つまり、並外れてみにくかったと語られています。
56話も、河童らしき子どもを産んだという女の話を書いているのですが、その子どもが河童だとされた根拠は、とにかく「いや」な見た目をしていたことだというのです。そしてこちらの子どもも、同じように捨てられたのだとか。
なかなかショッキングなお話ですが注目してほしいのは、ここに出てくる河童は体が緑だとか、甲羅やお皿を持っているとは書かれていないことです。とにかく「みにくい」、「いやな見た目」だったために河童とされ捨てられたというのです。
現代の常識で読み解けば、その子どもは、いわゆる「奇形児」だったのではないかと考えられます。「2代続けて河童の子を産んだ」というのは、奇形の原因が遺伝的なものだったことを指しているのかもしれません。
つまり、みにくい姿(奇形)で産まれた子どもを捨てる(間引く)ための免罪符とするために、我が子を河童とみなしたのではないかと解釈できるのです。
河童の正体は間引きされた子ども(水子)?
「水子」といえば、今でこそ流産や中絶などによって亡くなった胎児を指しますが、かつては生まれてすぐに亡くなった赤子を指していました。
昔の日本には、間引きした赤子を川に流す風習があり、それで水子と呼ばれるようになったとされています。そのため「間引き」を行うことは、ときに「流す」と言いました。
奇形の子を殺して川に流した水死体(水子)が、河童の正体だとすると恐るべき事実がわかってきます。なんと、水子(子どもの水死体)の特徴は、河童の見た目や特徴と驚くほど一致するのです。
まず、水死体の皮フは緑色をしています。これは河童の体の色と同じです。さらに水死体はガスで体が膨張したり、肛門括約筋が弛緩し、肛門が拡大していることがあります。また川底で摩耗して、頭髪がすり減っていることも多いのだとか。
すり減った頭部がお皿のよう、そして膨張した背中が甲羅のように見えたとしても不思議ではありません。また河童の「尻子玉を抜く」という特徴は、弛緩し、まるで何かを抜かれたように見えた肛門からイメージされたのではないでしょうか?
河童の多くが子どもの姿をし、水辺に住んでいるのも、水子であるなら納得です。
また間引きは、奇形児だけに行われたのではありません。
日本では中世から江戸時代にかけて、ほとんど日常的に間引き(子殺し)が行われていました。実際に、中世の日本にやってきたキリスト教宣教師ルイス・フロイスは、「日本ではいとも簡単に堕胎をし、中には24回堕胎をした女もいた」と書き残しています。
ですがこれは決して、昔の日本人が残虐だったというわけではありません。飢饉(ききん)や厳しい年貢の取り立てなどのせいで、やむを得ず子どもを育てることができなかったのです。
とくに遠野地方は、冬はマイナス10~20度にもなる厳しい土地。江戸時代の飢饉の被害は深刻で、人口が1/6にまで減ったという記録も残されています。そんな状況では、強い者だけを生かす選択をせざるを得なかったのです。
遠野には、『デンデラ野』と呼ばれていた場所があります。ここはいわゆる姥捨(うばす)てエリア。老人たちは60歳を超えると人家を離れ、このデンデラ野で自活をし、緩やかに死を待ちました。
そして老人だけでなく、産まれたばかりのかよわい子どももまた、間引きの対象となったはずです。
実際に、NPO法人遠野物語研究所(2014年に解散)の研究員であった大橋進さんは、河童について次のように語っています。
河童は飢饉で餓死した子どもを川に流したのが起源であり、遠野の人々は供養の意味も込めて河童伝説を残した。そのため遠野では、河童を純粋な「妖怪」だとは捉えていない・・・と。
まとめ~河童の正体は間引きされた子ども(水子)だった~
河童の正体が間引きされた子ども(水子)だとすると・・・相撲を取るのが好きだというのは、生前にかなわなかった遊びを求めているようで、胸に来るものがあります。
しかしその一方で、せっかくこの世に生を受けたのに、間引かれてしまった子どもたちの恨みを考えたら・・・人を水に引きずり込んで殺そうとするのも、当然なのかもしれません。
そう考えると途端に河童が悲しく、そして、恐ろしい存在に見えてきませんか?
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