江戸時代の殿様って、藩政改革して節約を奨励した人ばかりのように思いますが、けっこう個性的な人もいたのでご紹介しますね。
「甲子夜話(かっしやわ)」というのは、文政4年(1821年)11月の甲子の日から書き始め、20年分も書き溜めた随筆です。
著者は肥前平戸の8代目藩主の松浦(まつら)静山で、47歳で隠居後、江戸の本所の藩の下屋敷に住みつつ、見聞した様々なことを書き綴ってあります。
静山の4代前の先祖で平戸藩4代藩主松浦鎮信(しげのぶ)は、「武功雑記」(ぶこうざっき)という、信長や秀吉、家康の時代の武将の逸話を集めた有名な本を著しているのですが、静山は友人で儒学者の林述斎に「君もどお」と勧められて書くことにしたそうです。
隠居したご老公の随筆って何が書いてあるんだろうかと思うでしょう。
これがまあ、多種多彩でかなりおもしろいんです。
そして静山が好奇心の塊だということと、情報収集のすごさにも驚かされるんですよ。
隠居ではありますが、大名の生活ってどんなだろうかというのもうかがえるし、江戸の上屋敷ではなくて下屋敷と言うのは重要視されてなくて、わりと自由が利く場所だったということもわかるのですね。
静山の松浦家は相撲好きで、お抱えの相撲取りがいて下屋敷に住まわせていたのですが、この時代のお相撲さんも地方巡業をしていたということで、静山は江戸にいながらにしてこのお抱えのお相撲さんから地方の様子を聞いているわけです。
各地の風習を聞いたり、方言を集めたり、この頃、大坂では大塩平八郎の乱が起こったのですが、静山は、この大塩平八郎の行方とか大坂の様子なども興味津々で、お相撲さんが大塩の乱の関係者が刑場にひかれる様子を見たということも聞いて書いているのです。
静山は江戸へ来たシーボルトにも会っているし、シーボルト事件に関わった天文方の高橋景保とも親しく、蝦夷探検の最上徳内も近所にいて話を聞いているなど、歴史的セレブと言うか交友関係もなかなかのものです。
そしてあの、大名屋敷をねらった盗賊「鼠小僧」についても、静山の屋敷も被害にあったせいもあり、処刑まで見に行こうとしたほどだったよう。
しかしですね、この静山、オカルトっぽいことにも興味を持っていて、天狗にさらわれて天狗の世界を見てきた少年の体験談とか、梅の木の根っこから魚が出てきたので堀に放ったとか言う話、怪物の死体が出たとかいう、摩訶不思議な話もたくさん載っているのですね。
これがまた本当かどうか疑わしいけれど、江戸城に勤める侍たちが、当時暇つぶしにこういうオカルトっぽい話をでっちあげて、どれくらい広まるか、賭けをしていたという話もあったそうで、どちらにしても江戸時代にまるでタブロイド紙かよ、という感じでびっくりです。
松浦静山、現代に生まれていたらもちろん芸能リポーターか新聞記者になっていたはずですが、この人は82歳で亡くなるまでに17男16女(成人したのは12人)に恵まれ、そのうちの一人が公家の中山家に嫁ぎました。
そして生まれたのが中山慶子(よしこ)で、明治天皇の生母。
なんとこの好奇心旺盛な老公のひ孫は明治天皇、その血は現代の皇室へ受け継がれているのですね。
※画像はイメージです。
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