敵艦隊に紛れ込んだ駆逐艦「桐」と「杉」

歴史にまつわる話

レイテ沖海戦直前に起きた前代未聞の珍事とは?

駆逐艦「桐」「杉」は大戦後期に量産された「松」型駆逐艦である。「松」型は32隻が就航したがすべて樹木の名前を付けられたので、いわゆる「雑木林」というあだ名を付けられていた。従来の日本の駆逐艦とは違い機関配置をシフト式にしたため前後の煙突の間隔が離れており、シルエットはどちらか言うとアメリカの護衛駆逐艦に似ていた。

しかしこの「松」型は船団護衛専用の護衛駆逐艦ではなく、れっきとした艦隊型駆逐艦で、多くが最前線の激しい戦闘に参加している。

そんな中でも、特にこの「桐」と「杉」はレイテ沖海戦前夜に稀に見る奇妙な事態に遭遇しているのだが、それは公式には一切記録されておらず、当時「桐」の艦長であった川畑誠少佐の手記にだけ記されている。

■ 建造時の松型駆逐艦「樺」

作者 Fujinagata Shipyard or Imperial Japanese Navy. [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

奇妙な事態とは?

その奇妙な事態と言うのは、「桐」と「杉」が短時間ではあるが敵の機動部隊の艦隊に紛れ込み、まさにその敵艦隊の一員のように航行したと言う前代未聞の事態であった。

1944(昭和19)年10月24日、「桐」と「杉」はレイテ沖海戦の陽動部隊である小沢艦隊の前路警戒隊としてフィリピン北方の海域を南下。ところがこの日の日没前、空母「瑞鶴」から「桐」に向けて発光信号があり、着艦に失敗し着水した上空直援機の搭乗員の救助を求められた。

まさに日没寸前の時刻であり海上に浮かぶ搭乗員の捜索は困難に思われたが、2隻は艦隊から離れて海域に留まり墜落地点とおぼしき海上の捜索を開始、真っ暗になった頃に奇跡的に搭乗員を発見、収容した。

そこまではよかったが、主隊の小沢機動部隊は水平線の彼方に遠く去り、今度はどこに行ったのか分からない主隊を探し求める羽目になってしまった。無線を封止しているために相互の位置確認などの手段も無い。2隻は闇夜の海上で迷子になってしまったわけである。

主隊を追って数時間南下しても一向に遭遇しないため、今度は西に進路を変更してさらに進んだところ、ようやくはるか前方に艦隊の影を発見。
真夜中の合流成功はこれもまた奇跡的な事だとホッと胸をなでおろして艦隊に同航、速度を上げて前路警戒の位置に向かった。

■1944年9月の「杉」艦型略図

作者 SnowCloudInSummer (original) [GFDL または CC BY-SA 3.0], ウィキメディア・コモンズ経由

ところが・・・

ところがである、しばらくして艦内電話に英語の会話がペラペラ聞こえると言う報告が来たので、同航中の艦隊の様子を観察すると、どうも大きな奴が多すぎる。

小沢艦隊の巡洋艦は大淀、多摩、五十鈴の3隻しかいないのだが、
「見慣れない巡洋艦みたいなフネがたくさんおる、これは敵の艦隊だ!」

敵艦との距離は一番近いやつで1000m。真っ暗闇で空母の姿は確認できなかったが実に堂々たる艦隊で、なんと「桐」と「杉」の2隻はその敵艦隊の一員となって航行していたのだ。

後方の「杉」とは発光信号もままならなかったが、どうも「杉」の方でもこの事態に気が付いている模様で、「桐」がそれとなく離脱を始めると一緒に舵を切って付いて来る。
そして、いつ見つかるかとヒヤヒヤしながらさらに増速して敵艦隊から離れ、2隻は何事もなく視界外まで逃げ出すことに成功したのである。

「命令で突っ込むときは怖さを感じないが、味方だと思っていた艦隊が敵と分かった時は、反射的に逃げ出すことを考えてしまった。」これは川畑艦長の後日談であるが、それがまさに戦場の心理というものかも知れない。

離脱後に反転して魚雷攻撃を加えたら戦果を挙げられたかもしれないが、多勢に無勢でこの2隻は間違いなく袋叩きにあって撃沈されていただろう。

■空襲を受ける小沢艦隊第5群

作者 U.S. Navy, photographed from a USS Franklin (CV-13) plane. Copied in 1986 from an original print (photo No.26) in the TG 38.4 action report of 18 November 1944. [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

そして・・・

この後、この2隻は川畑艦長の判断で小沢艦隊の主隊とは完全に別れて台湾の高雄に回航し次の命令を待った。しかしこの後の10月26日になって、小沢艦隊司令部の命令として、燃料残量が少ない駆逐艦の一部を奄美大島に回航させることになり、その中には「桐」と「杉」の艦名も含まれているのである。

という事は、小沢艦隊司令部では24日にこの2隻が搭乗員救助のために艦隊を離れ、闇夜の洋上をさまよって主隊に合流できなかった事などは全く認識していなかったと言う事である。
まして、この2隻が敵艦隊に紛れ込んで航行した事などは、戦後数十年たってから初めて明かされた珍事であった。

この時「桐」と「杉」が合流した敵艦隊こそ、翌日のエンガノ岬沖海戦で小沢艦隊の空母群をことごとく撃沈したハルゼー機動部隊だったことは間違いないだろう。先方の記録にこの夜の闖入者についての何らかの記録があるのかどうか、非常に興味のある所である。

ちなみにこの二隻は運よく太平洋戦争の激戦を生き抜き、終戦後「桐」はソ連海軍へ、「杉」は中華民国海軍へそれぞれ賠償艦として引き渡され、第二の人生?を送った。


Writing by hide
あまり知られていないレアな戦記を探すのが趣味です。

Eyecatch image : 作者 不明または not provided (U.S. National Archives and Records Administration) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由