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検索してはいけない?「コトリバコ」とは?

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2005年6月6日、2chのオカルト板「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」スレッドで初めて投稿された、「コトリバコ」。
その投稿内容が想像を絶する衝撃な内容ということもあり、当時を震撼させた。果たしてどんなものだったのか、当時の投稿内容と更に深堀して話していきます。

目次

2chで投稿されていた「コトリバコ」の話

投稿してきたのは小箱さんという方からの投稿でした。実際にそのコトリバコにまつわる恐ろしい出来事として投稿されました。話の内容というのは・・・

投稿者:小箱さんと友人Мは中学時代からの友人であり、30手前での今も尚飲み友達として付き合いがある。

ある日、いつものようにAさんの家でMとМの彼女のK、女友達のSと集まることになっていた。SからAに送れる旨と納屋を掃除していたら面白いパズルのような木箱が見つかったという。そこでSがAの敷地に車で入ってきたと同時にМの様子がおかしくなり、酷く怯えている。Мの実家は神社であり、Мも神主としてお祓いをしていたのだが、仕事柄なのか霊感は強い方で時々このようなひどく怯えた様子を見せる。だがこの時は尋常じゃない怯え方だった。

そうしているうちにSが家に入り、そのパズルみたいな木箱を差し出すと、Мが勢いよくトイレに駆け込み吐いていた。そして少し落ち着いてきたと思いきや、どこかに電話を掛けた。電話の相手はМの父親で同じ神主をしている。そこでМは父親に友人がコトリバコを持って来たと告げる。 Мの様子からしてとんでもないものを持って来たのだと思った矢先、Мから包丁かカッターを貸してくれと申し出があった。

何に使うのかと聞くが、自分の太ももを思い切りつねってくれとの事で言われた通りにすると、Мは自身に気合を入れながら自分の指と手のひらをカッターで切りつけた。

血だらけになったМの手はSの口の中に入れ、何か呪文を唱えている。МはSに「まずくても飲め」と叫びながら、呪文を唱えている。すると今度はSが苦しみだし、何かを吐き出した。

吐き出したことを確認すると、Мは血だらけの手を木箱に置いて、また呪文を唱えている。唱えている最中に急に慌ててAに父親に電話をするよういい、Aは言われた通りにして、携帯をМの耳元にかざした。電話の向こうとМとが一緒になって呪文を唱えている。

やがて呪文は終わり、Мが憔悴しきっており、無事に払うことが出来たとの事で周りは安心した。その日はそこでお開きになってしまったが、翌日にAの携帯にSから電話があり、家の納屋を壊す前に昨日の木箱について話をしておきたいと言う人いるため、家に来て欲しいと言われ、М、K、も含めてSの家に向かった。

Sの家に集められたAたちは、SとSの父親、そして見慣れない初老の男性がいた。そこで、Мの口からSが持って来た木箱「コトリバコ」について聞かされた。

Мの話ではコトリバコというのは過去に作られた怨念そのものだと話、そのコトリバコには決められた特定の家同士が順番に保管していくものだということ。そして最終的に力が弱まり、効果が薄れた時にМの神社でお祓いをするということでした。

それが、保管についての話では本来であれば、今目の前にいる初老の男性の家が管理することになっていたが、Sの家の祖父が亡くなり、その跡取りである父親から本来は受け取って管理をするはずだったのが、祖父が亡くなっても一行に言って来なかったため、そのまま保管してもらってもいいかなと思い、怖い気持ちに負けてしまったと初老の男性は話してくれて、泣きながら土下座までして誤っていたそうです。

そして更にそのコトリバコは管理簿にも載っていない、管理がされていないものがあと2つあるとのことで、どこにあるのか未だ不明だということだという内容のものでした。

恐ろしい力を持つコトリバコ、なぜこのコトリバコが作られたのか、どこから来たものなのか、どんな恐ろしい力があったのか投稿を元に、お話をしていきます。

コトリバコとは

コトリバコは「子取り箱」と呼ばれ、木で作られた20センチ四方の寄木細工に似たパズルのような造りの木箱であり、その箱に触り近づいた女、子供が次々ともがき苦しみ血反吐を吐いて死に至るという呪いを込めた武器として、生まれた子供、水子、そして10歳までの幼子が生贄を材料に、悍ましく、恐ろしい呪いを封じ込めて作られた木箱である。

コトリバコが最初に出始めたのは2chのオカルト版スレッドによると、1860年代半ば頃と記されている。コトリバコの舞台となったのは、当時「出雲の国」と言われていた現在の島根県安来市ではないかと推測されており、実際に島根県の安来市には古墳が多く、古代出雲王朝の墳墓が数多く残っている。

実際に古事記や日本書紀に出てくる黄泉比良坂が近くにあることから、「死の国」いわゆる「黄泉の国」そのものとして伝われており、コトリバコの舞台にふさわしい地とされており、それは1868年の幕末に起きた陰岐騒動と関連している。

1860年代~80年代前半ごろ、この地域は島根県のある田舎の奥の更に奥にあったとても貧しい村だった。かつてこの村では災害に見舞われたため作物が取れず、更に代官からの重税を強かれ、飢餓に苦しめられていた。またその村を管轄していたある街を中心に周囲から迫害を受け、酷い差別を受けていたという。

そんな中ある日、陰岐の島で松江藩に対しての反乱が起こった。その反乱を起こした軍に属していた武士が1人追放され重傷を負いながら、この村まで逃げてきた。たどり着いた武士は空腹を満たすため、村の畑を漁っているところを村の男たちに囚われてしまった。

これ以上の厄介ごとが増えたら更に迫害が強くなると思った村の人たちは、武士を殺そうとしたが、その武士は「命を助けてくれたら、お前たちに武器の作り方を教えてやる。 最強の武器だ」と村の人たちと取引を申し出た。それがコトリバコだった。 
その1箱により村1つ簡単に破滅させることが出来る最強の武器と聞き、相談した結果、村の人たちはその武士の条件を受け入れた。

コトリバコの作り方

最強の武器となるコトリバコの作り方は、生贄として凄惨で非人道的なやり方であり、その行いに手を染めなければならないとう武器と名付けた呪詛であった。武士から教わった作り方はこうだった。

まず複雑に組み合わさった寄木細工のような見た目の木箱を作る事

木箱の中にメスの畜生の血で満たし、血が乾ききらないうちにふたをして1週間置く

その後、子供を生贄にするという。
生贄の方法は、生まれたばかりの子供ならば、へその緒と人差し指の先を切り落として入れ、水子の場合は死体の一部を切り落として入れる。
そして、7才までの子供の場合は人差し指の先を切り落とし、腸(はらわた)から絞り取った血を入れ、10才までの子供は人差し指の先を切り落として捧げる。

最後にふたをして目印を付ける。
目印は生贄として犠牲になった子供の数によって呼び名が変わり、その呼び名ごとに目印を付けていく。

その呼び名については犠牲になった子供が1人なら「イッポウ」、2人で「ニホウ」、3人で「サンポウ」、4人で「シッポウ」、5人で「ゴホウ」、6人で「ロッポウ」、7人で「チッポウ」と多ければ多いほど、効力は強くなる。

そして8人の子供を犠牲にした「ハッカイ」、これについては非常に強い力を持ち、作った側にも命を落とす危険性が高いものとなるため、この「ハッカイ」だけは作ってはいけないと念を押したそうだ。

普通はそんな恐ろしい話を聞いて、実行は出来るわけない。ところが、その村の人たちは全部やってきたのだ。これまで受けた迫害・差別といった仕打ちは想像以上な苦しみだったのだろう。その村全体の恨みに対する憎悪は凄まじいものだったに過ぎなかったのかもしれない。 その思いが募らせたのか箱を完成させたのだ。

呪詛コトリバコ その恐ろしい効力とは

村の子供たちが生贄として犠牲になって作られたコトリバコ、効果はすぐに現れた。
コトリバコが作り終えた村の人たちは、早速迫害、差別を行ってきまた町の庄屋の所へ住民からの気持ちとして誠意の品として箱を送った。箱を受け取った庄屋の家では女、子供が皆、もがき苦しみ、血反吐を吐いて次々に倒れ、死に至った。 更に迫害・差別を行った町と隣村まで箱を送り、同じように女・子供は血反吐を吐き亡くなった。

その箱の威力が凄まじく、箱に触れたり、あるいは箱の近くにいるだけで効果があると言われ、箱の内臓が捻じれ、徐々に千切れてしまうという。女が居なくなることで、子孫繁栄が途絶え、跡取りとなる子供、そして子供を産む身体になろうという子供まで居なくなることで、その町、村は滅びてしまった。

コトリバコの力は成人男性と高齢の閉経している女性には効果が無く、効果が表れるのは女・子供のみ、つまり呪いの対象が女・子供という訳であった。

報復の呪いを恐れた代官は次第にこの村への干渉をやめ、税金も取る事は無くなり、村は見違えるように豊になっていった。 しかし、圧制が終わった後でも、味を占めてしまったのか、この村の人たちはコトリバコを作り続け、13年の月日が経ったころには16個の箱が出来上がっていた。つまり、56人分の指が入っていることから、それだけの子供が犠牲となったのだ。

凄まじい勢いの効果を放つ恐ろしい呪詛であるコトリバコは、残された箱を1か所いまとめて安置し、村の男たちの間で管理をすることになり、交代で番をするなど定期的に行われていた。 

しかし13年目のある日、11才になる男の子が監視の目を盗んで、安置場所からコトリバコを持ち出し、家に持って帰ってしまった。コトリバコの恐ろしい威力について何も知らなかった男の子は面白いおもちゃがあると思っていたのだろう。持って帰って来た途端、男の子を含めその家の女・子供が野垂れ苦しみ、生えずり回りながら血反吐を吐いて亡くなってしまった。

男の子が持ち出したコトリバコは最悪にも、7人の子供が生贄として犠牲になった「チッポウ」一番強力で効果の高い箱であり、勢いを増して呪いの効果を発揮させてしまった。

その事件から、村の人たちは初めてこの箱の恐怖を目の当たりにし、油断したらこの武器が自分たちに降りかかってしまう事を悔い改めた。 そして、この事から恐怖に思った村の人たちは二度とこのコトリバコを使用しないと誓い、コトリバコの作り方と共に管理方法と処分する際の方法について武士から聞いていたことを思い出し、ある神様が祭ってある神社へ処理を頼むべく、村の代表者5人が全部のコトリバコを持って向かって行った。

コトリバコの力を弱めるために管理方法・安置の仕方について

武士が村を去る際に、伝えられたコトリバコの管理・処分の方法は・・・

女・子供は絶対に近づけさせないこと。
必ずコトリバコを薄暗く、湿った場所に安置すること。
このコトリバコは年を経ることで効果が薄まり、呪いの力も次第に弱まっていくが、必要なくなった、もしくは手に余るようであれば、ある神を祀る神社で処理を頼むことであった。

そして、村の代表者5人はとある神社に訪れ、コトリバコの処理をお願いしたが、持って来たコトリバコを見るや否や、当時の神主はあまりにも恐ろしく、強力な力があるゆえ、払うことが出来ないとの事でしたが、この箱の力を弱めるようにすることを提案し、代表者5人に伝えた。

コトリバコの恐ろしさを目の当たりにし、処分っていた5人は、神主の提案を受け入れることにした。神主の提案は、コトリバコを一定期間の年で5人の代表者の家で管理し、巡回させて箱の呪いをだんだん薄めて最終的に供養するとの方法だった。 管理簿を神社で付け、誰がどのコトリバコを管理しているのかをチェックすることとなり、その管理を割り当てられた代表者の家では末代まで厳重に管理を徹底することになったのだ。

まず、管理を割り当てられた家の主が亡くなった後、跡取りが次の役回りの家の主へ箱を渡す。またその家の跡取りが亡くなった後、次の家の主へと箱を私、また次へと順番に回して管理をする。

そして箱を受け取った家主は必ず、この事を跡取りに伝えること。
その間、決して女・子供は近づけさせないこと。

そのようなルールが設けられ、順番が決められており、管理簿からも確認できる状態とし、現在でもそのルールで管理が行われているという。 一番強い呪いを持つ「チッポウ」は140年ほどの呪いが続くだろうとのことで、呪いの弱めるには長い年月がかかだろうという。だが、管理簿にも載っていないコトリバコが2つ存在し、今現在でもどこにあるのか一切わからない。

コトリバコが持つ本来の意味とは

実に恐ろしい力を持つ武器という名の呪詛、コトリバコには様々な考察があります。
本来コトリバコが持つ意味とは、コトリバコの原点となったものは何だったのかを考察を交えてお話していきます。

呪いの対象が出産できる女性と子供たちであった意味としては子孫繁栄を途絶えさせ、その家の跡取りを消す役割を果たすものであったものと意味付けされていますが、コトリバコの作り方からしても気になる点があります。

複雑な作りの構造の木製の箱の中に動物の雌の家畜の血で満たし、1週間経った後、間引いた子供の人差し指の先を切り落とし、水子の身体の一部、腸(はらわた)から絞り取った血、木箱に入れる、それがコトリバコの作り方からして、1週間経たせることが月経周期と似ていると感じられました。実際にそのように考察されている方もおります。

経血を入れることでそれを満たすことにより子宮として見なされた、つまりコトリバコというのは人間が作った擬似的子宮だったと推測されています。それは、 女性の陰部は無から有を生み出すというように黄泉の国につながっているという考え方があったそうです。

胎盤で育成していたのが本来、子宝であれば普通に生まれてくるはずだったのが、子宝ではない別の俗世的な宝だったのではないか、怨念は増幅されて恨みを放つ正しく怨念そのものとして作られてしまったのがコトリバコであったということです。

※画像はイメージです。

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