デンマークのクロンボー城は15世紀に築城され、17世紀始めにエルシノア城として、シェイクスピアによってハムレットの舞台となりました。
現実の話として英国からデンマーク王家に王妃として嫁いできたマチルダは、デンマーク王家内の陰謀に巻き込まれ、一時的にクロンボー城に幽閉されました。
その後マチルダは釈放されましたが、21歳の若さで病死していまいます。
この悲劇の対比について述べてみたいと思います。
クロンボー城
写真で見るクロンボー城は、ハムレットにおける陰鬱な描写と異なり、明るい海が見渡されるデンマークの首都コペンハーゲン近郊の港町ヘルシンオアに築城されています。
わずか5キロ先の対岸にスウェーデンの街ヘルシンボリを臨むヘルシンオアは海上交通の重要な拠点でありました。
屋上には大砲の列が並び、亡霊が現れそうな雰囲気ではありません。
クロンボー城の地下道には、剣と盾を携え椅子にこしかけて眠る騎士ホルガー・ダンスクの石像が安置されています。騎士ホルガー・ダンスクの伝説は、円卓の騎士で有名なアーサー王伝説の時代につながり、その活躍の地はフランスまで広がっているとのことです。騎士ホルガー・ダンスクは、国家が危機に瀕すると、目を覚まして国家のために戦ってくれるそうです。
薄暗い地下道は、父王の亡霊が現れて自分が弟に謀殺されたことをハムレットに告げる場所に関連付けられているように感じます。幽閉中のマチルダは、毎日、騎士ホルガー・ダンスクの石像に自分が釈放されるように祈っておられたのかもしれません。
デンマーク人
さかのぼって、バイキングが大活躍した9世紀ごろには、英国人にデーン人と呼ばれたデンマーク人が、海を渡って何度も英国に攻め込んでいます。またフランスにわたったバイキングはフランス人と婚姻関係を結び、ノルマン人となりました。その後ノルマン人は英国に攻め込み、現在の英国王室につながるプランタジネット王朝を樹立します。
したがって、デンマーク人は英国人にとって、思ったより身近な存在であったのでしょう。逆にデンマーク人にとって、英国貴族は自分達に近い血も流れている人々であったのかもしれません。シェイクスピアがドラマの舞台をデンマークに選んだのは、あるいは、このようなところにあるのかもしれません。ノルマン人は、フランスの華やかな文化を吸収し、バイキングとして有していた勇猛さに加え、ローマ文明の流れを汲むフランス文化も瞬く間に吸収し、11世紀ごろにはヨーロッパにおいて最も先進的な民族になっていました。
我々が思っている以上
我々が思っている以上に、北欧まで含めたヨーロッパ圏は、かなり一体的な文化を形成していて、多国を含めたドラマを創りだすのに、それほど苦労がなかったのかもしれません。そのようなドラマに、英国人を含めたデンマーク王朝における悲劇が或る意味似た形で現実に起きたということは、非常に不思議な気がします。
デンマークの人達はどのように感じているのでしょう。
※画像はイメージです。
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