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酒乱、妻殺し容疑で有名!?黒田清隆の意外な功績

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北海道開拓使を調べていたら、黒田清隆の興味深いことがわかったのでご紹介しますね。

目次

黒田清隆とは?

黒田清隆は、天保11年(1840年)、薩摩藩の下級武士の生まれです。
薩摩藩、下級武士と言えば、西郷隆盛や大久保利通らが輩出しておりますが、黒田清隆もその周辺にいて目をかけられたようです。
幕末維新の活動は、あの島津久光の大名行列を横切ったイギリス人殺傷事件、生麦事件の行列にいたけど、抜刀した同僚を止めたとか、砲術を学んでいたのでその後の薩英戦争でイギリス軍艦を砲撃したとか、そして薩長同盟のときは、西郷、大久保の連絡係として木戸孝允や坂本龍馬と会ったり、下っ端らしくちょこちょこと登場する程度でした。

そして戊辰戦争では五稜郭の戦いに参加し、落城間近となった蝦夷共和国の榎本武揚が、戦火で失うのに忍びないと、大事な「万国海律全書」2冊を送ったことに感激、降伏した榎本らを必死で助命して頭を剃ったのは有名です。
榎本武揚は、黒田清隆の助命嘆願で数年ムショ入りだけで許され、明治後は外交官として活躍したのです。
そして黒田清隆は、明治新政府の役人の北海道開拓使次官として北海道開拓に携わることになりました。

開拓についてのあれこれを指導する外国人を雇うために渡米して、当時のグラント大統領に要請し、ホーレス・ケプロンを雇い、ケプロンつながりでやってきたのが、あのクラーク博士です。
そしてクラーク博士は、札幌農学校を明治9年(1876年)に開校させ、内田鑑三、新渡戸稲造などが学びキリスト者となったのです。
なお、新渡戸稲造の「武士道」は、日露戦争時に勝っているうちに講和条約を結ぼうと必死になったポーツマス会議で、セオドア・ルーズベルト大統領が日本人を理解するのに最適な本と宣伝しまくったことで有名です。

黒田清隆は、アメリカ大陸横断鉄道でワシントンDCまで行き、西部開拓を目の当たりにしたため、男性だけでなく女性の力も北海道開拓に必要と考えたということで、その後考案したのが、日本初の女性のアメリカ留学でした。
はい、津田梅子、大山捨松らが留学生となったのは、黒田の発案があったからこそです。
津田梅子は津田塾創始者で、大山捨松は陸軍元帥となった大山巌夫人となり、鹿鳴館時代に日本初のチャリティー活動を始めて看護婦学校や病院設立の寄付を集めたり、日露戦争時に堪能な英語でアメリカの新聞に寄稿して世論を日本寄りにしたという功績があるのです。
もちろん、ケプロンのおかげで札幌にはビールやワインなどの官営工場が出来たのが、サッポロビールの始まりであります。

妻殺し?酒乱?

そういうわけで、黒田清隆、北海道とその後の日本のためになることを色々しているのですが、ネット検索で「妻殺し」「酒乱」というキーワードでヒットする人でもあるのです。
黒田は、酒を飲むと暴れることで有名で、神道無念流斎藤弥九郎道場の塾頭だった木戸孝允に取り押さえられ、簀巻きにされて家に送り返されたので、その後、酒を飲んで暴れると、「木戸が来た」と言えばおとなしくなったと言われています。

それだけならいいのですが、北海道開拓使船上から酒に酔って実弾の射撃を行い、漁民の家を直撃して住人が死亡したが、船長のせいにして示談金で済ませた事件と、最初の妻の死因が「結核」ではなく、酒に酔った黒田に撲殺された、または刀で斬られた説があるという、シャレにならない事件を起こしているのです。
この話は新聞記事になったので、大久保利通が当時の大警視川路利良に調査を命じたが、川路は医師と共に黒田の妻の土葬の墓を開けて、棺桶に身を乗りだして中を確認し、「病死でごわす」と言い切って終了。
これはやはり大久保が「薩摩閥」で、黒田をかばってもみ消したということだそうです。

もうひとつは、10年計画だった北海道開拓使の廃止後の官有物払下げを、当時のお金で1400万かけたのに30年ローンで30万円で薩摩閥の五代友厚に払い下げることが露見して非難ごうごうとなり、払下げは中止となった事件です。
こういうスキャンダルがあっても、黒田は薩摩閥として第2代内閣総理大臣に就任しましたが、在任中の大日本帝国憲法の発布も、憲法制定には関与していなかったし、不平等条約改正交渉の失敗で外務大臣の大倉重信がテロで右足を吹っ飛ばされた事件で総辞職。

黒田のその後

黒田はその後、枢密院議長などを務めて59歳で脳溢血で死去していますが、最後は酒乱、妻殺しの容疑などで人が寄り付かず、親戚となった榎本武揚が葬儀委員長を務めたということです。

明治維新や明治後に暗殺されたり、若くして病死した志士たちをもう少し長生きさせたかったと見ることが多いですが、黒田清隆、現在も妻殺しで酒乱の名をほしいままにしていて、輝かしい功績を誰も思い出してくれないほどなので、やっぱりもみ消さずに自首してでも罪は償うべきだったのではと思うのであります。

featured image:See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons

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