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相手の狙いを見抜く眼力がある?「黒田官兵衛」の名言の数々

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本能寺の変の変報に触れた時に黒田官兵衛が、主君の織田信長の死を知り泣き崩れる羽柴秀吉の耳元で囁いた言葉「天の加護を得て、天下は御心のままに」。
秀吉がまだ言葉に出さぬ内から官兵衛はまるで秀吉の心を見透かすように言い、そんな官兵衛を秀吉は以降、警戒するようになります。

「天下に最も多きは人なり。最も少なきも人なり」世の中に人は多くいるが、優秀な人材は少ないという意味です。現代でも言えること、なのではないでしょうか。

「その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い」読んでじの如くです。現代にも通じる言葉です。任命したのは上司ですから、その上司に人を見る目がなかったということです。

豊臣秀吉の四国征伐の時の話しです。黒田官兵衛は、讃岐植田城を攻めるために、植田城を自身で検分しました。その時に言った言葉です。
(この城は長曽我部元親が敵を殲滅するためにわざわざ築いた城、囮の兵を置き隘路(あいろ)に敵を誘い込み植田城を攻めさせ元親自身は兵を率いて間道を迂回して敵の背後を夜陰に乗じて敵を挟撃する戦略と見た)と元親の戦略を見抜き、そして官兵衛は振り返り率いる将兵に「この城は大したことはない。こんか痩せ城を落として功績を誇るなど無能者がすること、秀長(秀吉の弟)様と相談の上、まずは阿波の長曽我部軍を攻めよう」そう言って軍を阿波に移動させました。

この時の官兵衛の動きに元親は戦略を見抜かれかなり「相手が黒田官兵衛ではなく、宇喜多秀家ならば大兵に驕って攻めて来たであろう。仙石久秀ならば前回の敗戦に勇み攻めて来たであろう。だが黒田官兵衛はワシの戦略を看破した。まったく口惜しことよ」と言って悔しがったそうです。
物事に当たる前に相手の狙いが、何かを見抜く眼力を持ちたいものです。

※画像はイメージです。

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