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廃墟マニア垂涎!今はなき九龍城砦の歴史を解説

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皆さんは九龍城砦をご存じですか?九龍城砦とは現在の香港・九龍、九龍城地区に存在した巨大スラム。増築を重ねた異形の外観は、人々に衝撃を与えました。
今回は解体されて久しい九龍城砦の歴史と、その怪しい魅力をご紹介します。

目次

九龍城砦の成り立ち

九龍城砦とは通称で、正式名称は「九龍寨城」といいます。これは1994年の解体時に発見された、石の扁額に書かれていました。さらには要塞時代の大砲なども掘り出され、九龍城砦が軍事的な要だった事を裏付けています。

九龍城砦の始まりは西暦960年、宋王朝の時代にまで遡ります。当時の香港は名前が表す通り、良質の香木や塩を多く産出する港でした。香木の輸出で潤った香港ですが、富み栄えるほどに危険が増すのが世のならい。
やがて香港の周辺海域には海賊が現れるようになり、たびたび船や港を襲って金品を奪い始めます。

この海賊を追い払うため九龍城地区には要塞が設けられ、1668年に砦が完成します。
1841年、イギリスと清のアヘン戦争が終結。南京条約により広州・福州・厦門・寧波・上海が開港を強いられ、香港も譲渡されます。

この時香港城砦は一度イギリス領に取り込まれるものの、英国と清の間で話し合いがもたれ、清の飛び地として租借地から除外されることが決定しました。
それからしばらくは清の役人が常駐していましたが、祝典の時に鳴らした爆竹を銃声と誤解され、英国に追い出されてしまいます。さりとて英国の接収は条約違反となるので、九龍城砦の利権は宙吊りのまま放置されました。

1911年に辛亥革命が勃発、翌1912年1月に中華民国が誕生します。
これ以降も英国と中国の睨み合いは続き、どちらも九龍城砦を手に入れる事ができないまま膠着。
1941年12月、日本軍が香港を占領します。これに伴い城壁の一部が取り壊され、空港拡張工事の資材にあてられました。
1945年以降、香港は再びイギリスの植民地となります。

当時の中国は蔣介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党の内戦が激しさを増しており、香港の親族を頼り中国から押しかけた難民の一部が、九龍城砦に居着いたのです。

九龍寨城(1989年)
九龍寨城(1989年)
Author: Jidanni, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

九龍城砦の最盛期~マフィアが牛耳る犯罪の温床

難民の流入は1960年代にピークに達します。これは毛沢東が主導した文化大革命の余波と無関係ではありません。
城壁が取り壊された跡地には粗末なバラック小屋が犇めき、そこから団地が生まれます。
1960年代後半から1970年代にかけ、バラック小屋は鉄筋コンクリートの細長いビルに生まれ変わりました。
しかし無計画な増築を重ねた結果、九龍城砦は複雑怪奇な迷宮と化します。

インフラの整備は徹底してるとはいえず、住民は宙にネットを張り、そこに大量のゴミを投棄していました。
九龍城砦に多く見られた細長いビルはペンシルビルと呼ばれ、名前のとおり鉛筆によく似た形状が特徴的です。
この頃の九龍城砦は行政の介入が及ばず、一種の治外法権として恐れられていたそうです。

故に中国で無法地帯をさす「三不管」(サンブーグヮン)と呼ばれ、三合会を筆頭とするマフィアが賭博や売春、海賊版製品の売買を取り仕切っていました。

九龍城砦の人口過密具合は凄まじく、僅か0.03平方キロメートルの土地に12階建てビルが複数並んでいます。
総人口は3万3000人以上といわれており、老若男女問わず生活していました。九龍城砦のライフラインは正規のものではありません。住民たちは勝手に電気の配線を拝借していました。水道は家庭に通っておらず、欲しい時は業者に頼んでくみ上げてもらうか、九龍城砦内に点在する給水所に直接出向くしかありません。

しかも酷く濁っているため、飲料水として用いる際は沸騰させなければいけませんでした。
エレベーターは二基しかないので、水を入れたバケツを持って長い階段を上り下りするのは大変だったでしょうね。
また、九龍城砦には奇妙なルールが敷かれていました。それが「14階以上の建物は造らない」というもの。当時九龍城砦の近くには啓徳空港があり、飛行機が頻繁に上空を飛び交っていました。

そのため機体とビルが接しないように、建物の高さが制限されていたのです。
とはいえ12階の屋上でもギリギリなので、至近距離で見る飛行機の腹は、さぞかし迫力満点だったろうと思われます。
また、現地では水が大変貴重である為、コンクリート製造時に水の代わりに尿をまぜた逸話が伝わっています。

九龍城砦の日常とは?

犯罪の温床のイメージが払拭できない九龍城砦ですが、真っ当な商売をしている住民も勿論います。むしろそちらの方が主流でした。九龍城砦で最も多い業種は歯医者。意外な事に無免許医は少なく、大半が中国で免許を取得した腕利きだったそうです。他にも飲食業者が数多く存在し、外部のホテルやレストランの委託を受け点心を作っていたといいます。

九龍城砦独自の商売として興味深いのが水道屋。彼等は各世帯から依頼を受け、城砦の給水所を回り、バケツに汲んだ水を配達します。中には悪徳業者もおり、法外な報酬をふっかけられたそうです。
また、九龍城砦には幼稚園・小学校・老人ホーム・教会などの施設も存在し、住民たちの交流の場として機能していました。
上記の施設群は中庭など日当たりのよい場所に面し、子どもたちがはしゃぐ声や絶えなかったといいます。

余談ですが、九龍城砦外周部のビルは鳥籠と呼ばれる独特のベランダを備えています。これは香港の高層住宅の特徴である鳥籠のような鉄格子を付けたバルコニーのことで、写真で見たことある人もいるのではないでしょうか。
デメリットとして挙げられるのは、外周の部屋と各棟の屋上を除き、自然光を取り入れるのが困難な点。内部に住んでいる人々は、日の光を浴びるのを諦めなければいけませんでした。

一方、コンクリ打ち放しの屋上には住民が無許可で引いたケーブルがこんがらがっており、子どもたちの格好の遊び場になっていました。
救世軍が運営する幼稚園は月謝が無料で、身分証の提出義務もありません。その代わり保護者から100香港ドルの寄付を募り、施設の維持費にあてていました。

九龍城砦の内部の通路(1993年)
九龍城砦の内部の通路(1993年)
Ian Lambot, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons

九龍城砦の終焉

そんな九龍城砦ですが、1993年から1994年にかけ解体され、現在は九龍寨城公園に生まれ変わりました。
公園の敷地内には九龍城砦の写真を展示する資料館も造られ、当時の面影を今に伝えます。
世界有数のスラムとして廃墟マニアの心を掴んだ九龍城砦の姿は、多くのフィクションの中に残されています。

有名どころではゲーム『クーロンズゲート』や眉月じゅんの漫画『九龍ジェネリックロマンス』など、どれも九龍城砦のカオスな魅力を十分に引き出していました。
さらに九龍城砦の実態を知りたい方には、住民へのインタビューと写真で構成された『九龍城探訪 魔窟で暮らす人々』をおすすめします。

監修:吉田 一郎, 写真:グレッグ・ジラード, 写真:イアン・ランボット, 翻訳:尾原 美保
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